ポストパンク
1970年代末のイギリスを中心に成立した、Punkを起点に実験的・暗いサウンドへ拡張したロック。
どんな音か
パンクの破壊衝動が燃え尽きたあと、その焦土から内へ向かった音楽。ギターは歪みを抑え、コーラスやディレイ(音を揺らし反響させる効果)で音を滲ませる。ベースは前へ出て旋律そのものを担い、ドラムはタイトで装飾の少ないパターンを刻む。シンセサイザーが要所で加わることもある。ヴォーカルは歌い上げないものが多く、語りに近い低音や抑揚を抑えた平板な声が中心。一方で女性ヴォーカルの伸びやかな高音を聴かせる例もある。歌詞は不安、孤独、社会批判、抽象的なイメージを扱う。録音はあえて残響を抑え、音をくっきりと立たせる(いわゆるドライな音作り)。テンポはやや速め(1分間に100〜160拍)。パンクが叫ぶなら、ポストパンクは一歩引いて見据えた。
生まれた背景
1977〜79年のイギリスマンチェスター、リーズ、ロンドン。ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)、ワイヤー(Wire)、ギャング・オブ・フォー(Gang of Four)、パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)、ザ・フォール(The Fall)といったバンドが同時多発的に現れた。米国側でも、先行例のテレヴィジョン(Television)やニューウェイヴ寄りのトーキング・ヘッズ(Talking Heads)が関連潮流として影響を与えた。1980年5月、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの自殺はシーンを象徴する事件となる。生き残った3名(サムナー、フック、モリス)に新メンバーのジリアン・ギルバートを加えて結成されたニュー・オーダー(New Order、1980)は、シーケンサー(自動演奏装置)を軸にしたダンス音楽へと舵を切り、ポストパンクをダンスフロアへ橋渡しした。1980年代半ばには第1波は商業的に縮小し、ニューポップやインディー/オルタナへと流れていった。だが2002〜2005年頃、第2波が起きた。ニューヨークのインターポール、イギリスのブロック・パーティーやフランツ・フェルディナンドが、パンクの緊張感をダンスフロアに持ち込み、シャープで踊れるサウンドで人気を集める。さらに2018年ごろからは第3波が続いている。叫ばず語る、皮肉と不安の世代だ。イギリス・アイルランドの若手が、語りに近い歌い方でそれを表現する(ドライ・クリーニング、フォンテインズD.C.ら)。
聴きどころ
ベースが明確なメロディを担う点に注目したい。その手本がジョイ・ディヴィジョンのピーター・フックで、高い音域を使ったベースラインが曲の旋律を運ぶ。ギターはコードを弾くより、リフや単音を刻むことが多い。ヴォーカルは歌い上げず、距離を保った観察者の声が中心だ。そして、音と音のあいだに空間や静けさをあえて残した、隙間の多い録音の質感も特徴である。この隙間こそが、ポストパンクの肌触りだ。
リズムを聴く
このジャンルを特徴づける代表的なリズムパターン。再生ボタンでループ再生し、下のリズム譜で今どの拍が鳴っているかを確認できます。
代表アーティスト
- Talking Heads
- Gang of Four
- Joy Division
- Siouxsie and the Banshees
- The Cure
- Bauhaus
- New Order
- Motorama
- Molchat Doma
代表曲
- Damaged Goods — Gang of Four (1978)
- Hong Kong Garden — Siouxsie and the Banshees (1978)
- She's Lost Control — Joy Division (1979)
- Love Will Tear Us Apart — Joy Division (1980)
- Once in a Lifetime — Talking Heads (1981)
日本との関係
初めて聴くなら
豆知識
ジョイ・ディヴィジョン『Unknown Pleasures』(1979)のジャケットを飾る白い波形は、規則正しい電波パルスを出す天体パルサー(中性子星)CP 1919からの連続するパルスを積み重ねて可視化した図だ。このパルサーは1967年、ケンブリッジ大学の大学院生だったジョスリン・ベル・バーネルが、指導教官アントニー・ヒューイッシュとともに発見した。ただしジャケットの波形図そのものは、天文学者ハロルド・クラフトが1970年の博士論文で作成した図版である。Tシャツやステッカー、SNSのアイコンで誰もが見かけるあの図は、もとを辿ればこの一枚にゆきつく。デザイナーのピーター・サヴィルが『The Cambridge Encyclopaedia of Astronomy』から見つけ、白黒を反転させてクレジットなしで流用したものだった。なお発見者のベル・バーネル本人は、図像が世にあふれていることに異論はないと語っている。
