記事
2026年8月23日
インド古典とビートルズの邂逅
ジョージ・ハリスンがシタールを手にした1965年、ラヴィ・シャンカルに弟子入りした1966年——英米ロックが楽器を持ち替えた年
1965年春、ジョージ・ハリスンはロンドンの撮影所で小道具のシタールを手に取った。秋にはそれをビートルズの盤に刻み、翌年にはインドへ渡ってラヴィ・シャンカルに師事する。この出会いが英米ポップを10年作り替えた——そして当事者のほとんどは、自分が借りた伝統を理解していなかった。
2026年8月16日
ガムランが現代音楽に与えたもの
ドビュッシー、ケージ、ライヒが借りたもの
1889年のパリ万博。再現された村の囲いの中で鳴るインドネシアの合奏音楽ガムランに、20代後半のドビュッシーが何度も足を止めた。その響きはその後一世紀の西洋音楽を変える。だが借りは、ほとんど返されなかった——名指して礼を言われることさえ、ついぞなかった。
2026年8月9日
演歌は本当に「日本の心」か
戦後の編集された伝統について
演歌は「日本最古のポピュラー音楽」「国民の魂」とよく言われる。だが今日われわれが演歌と呼ぶ音は、明治の発祥ではなく、戦後1960年代に商業的な理由で組み立てられたものだ。それを知っても感動は減らない。変わるのは、その「意味」のほうだ。
2026年8月2日
ロックンロール誕生の3つの嘘
エルヴィス、チャック・ベリー、そして教科書が語らないこと
ロックンロールは、1954年のメンフィスのスタジオで、ある午後に生まれたわけではない。黒人ゴスペルとジャンプ・ブルース、カントリー・ブギの10年が、きれいな建国神話に押し潰されている。公式の歴史が70年かけて取り込めたはずの、それでもまだ正されていない小さな訂正が3つある。
2026年7月26日
ハウスはなぜシカゴで踊られたのか
フランキー・ナックルズ、ウェアハウス、そしてドラムマシンから生まれた避難所
1977年、フランキー・ナックルズがニューヨークからシカゴ行きの飛行機に乗ったとき、ハウスという音楽はまだ存在していなかった。ひとつのクラブと、ひとつのコミュニティと、安物のドラムマシンが、ディスコの残骸を新しいジャンルに変えていく——これは、ほかに行き場のなかった街の物語だ。
2026年7月19日
ポストパンクは20年ごとに帰ってくる
Joy Division から Interpol を経て Black Country, New Road まで——同じ言葉の、3つの違う音
各世代は前の世代を誤読することでポストパンクを作り直す。その誤読こそが、このジャンルの本当の仕事だ。
2026年7月12日
クラウトロックがロックを再起動した
Can、Neu!、Kraftwerkが70年代に予言した未来
英米ロックを行き止まりだと見限った西ドイツの若者が、半ば偶然に、その後半世紀の電子音楽の設計図そのものを作ってしまった。
2026年7月5日
ノルウェー・ブラックメタルの神話と現実
1993年の事件と、その後30年
教会放火、殺人、自殺。この音楽は、生んだ国の思想ごと、別の場所で正反対に書き換えられた。だが30年たっても、世界が売り買いするのは事件のほうの神話だ。作品より、いつも神話が高く売れる。
2026年6月28日
ジャズ・フュージョンが破壊したもの
マイルス・デイビス『Bitches Brew』(1970)以後のジャズ
フュージョンはジャズをロックから切り離したのではない。ジャズを、それまでの聴衆から切り離したのだ。純粋主義者には冒涜、若い聴衆には解放。
2026年6月21日
シューゲイズ、30年の眠り
1991年のMy Bloody Valentineから2024年のZ世代まで
グランジに飲まれた小さなシーンが、TikTokを経てZ世代インディーの「標準の音色」になるまで。
2026年6月14日
ファンキ・カリオカが描くリオ
DJ Marlboro がマイアミから持ち帰った一枚から Anitta のグラミー候補までの4世代
1989 年に DJ Marlboro がかけた重低音のダンス・レコードと、Anitta がグラミーにノミネートされるまでの間には 30 年と4世代がある。そのすべてはリオデジャネイロのファヴェーラの中で起きた。
2026年6月7日
グライムの第二の風と UK ドリルの誕生
ロンドン東部が、ある音を世界へ送り出し、それが停滞するのを見届け、また別の音を送り出すまでの物語
2003 年の Dizzee Rascal から 2019 年の Pop Smoke まで、ロンドン東部の音楽はストリート・ラップの音そのものを、二度にわたって書き換えた。
2026年5月31日
プラッグからレイジへ — ゲットーの夢の音
Mexikodro が10年で塗り替えたアトランタ・トラップのパレット
Playboi Carti が『Whole Lotta Red』で完成させた明るくドリーミーなシンセの音色は、その6年前にすでに SoundCloud の地下で書き上げられていた。
2026年5月24日
インディー・フォーク復興と文学的時代精神
Mumford & Sons、Bon Iver、Fleet Foxes が守ろうとしたもの
リーマンショックとスマートフォンの完全普及の間の数年、英米の歌い手たちはアコースティック楽器とコーラスへ、そしてより文学的な言葉づかいへと手を伸ばした。
2026年5月17日
ジャージー・クラブと2分10秒の曲
ニューアークの寝室が決めた「最短ダンス曲」の基準
TikTok時代に最適化されたジャージー・クラブのBPMと曲長は、SoundCloud時代の寝室スタジオですでに準備されていた。
2026年5月10日
アフロビートからアフロビーツへの長い夜
Felaが残したもの、Wizkidが受け継がなかったもの
「アフロビート」(単数形、1960s-) と「アフロビーツ」(複数形、2010s-) は別ジャンルだ。だが、Fela Kuti がいなければ、どちらもなかった。
2026年5月3日
テクノはなぜデトロイトで生まれたのか
Belleville Three と中産階級アフリカ系アメリカ人の夢
Juan Atkins、Derrick May、Kevin Saunderson。1970年代後半のデトロイト郊外で出会った3人の高校生が、受け継いだ街を拒むように、まだ存在しない未来を音にした。その記録だ。
2026年4月26日
レゲエからダンスホール、レゲトンへの50年
ジャマイカが生んだリズムが、世界のチャートを征服するまで
1970年のレゲエ、1985年のデジタル・ダンスホール、1990年代のレゲトン。半世紀のあいだ、ジャマイカ生まれのリズムはチャートの中心に居座り続けてきた。その50年の旅をたどる。
2026年4月19日
K-Popの第4世代と「コンセプト」の進化
世界観を作る競争から、「引用される側」になる競争へ
第4世代のK-Popを一言で定義するなら、過去のヒット曲や流行を堂々と下敷きにしている点だ。しかもそれを隠さず、種明かしのように見せる。90年代のR&Bや2000年代初頭のティーン映画が、そのまま土台になる。
2026年4月12日
ボーカロイドが拓いた「歌い手」文化
初音ミク後の15年で、誰が誰のために歌うのかが変わった
2007年の初音ミク発売以後、日本では「声」と「作る人」が分離した。その間に育った文化が、現代のJポップを書き換えた。
2026年4月5日
ヴェイパーウェイヴはなぜ再発見されたのか
2011年のBandcamp投稿から、ネットの物憂さに寄り添うBGMへ
Macintosh Plus『Floral Shoppe』(2011) からほぼ10年、ヴェイパーウェイヴは「皮肉なネット美学」から「いまの資本主義社会への静かな批評」へと意味を変えた。音源は一音も変わっていないのに、だ。
2026年3月29日
アマピアノ — ヨハネスブルクから世界へ
南アフリカ郊外で生まれたピアノ・ハウスが、なぜわずか5年で世界へ出たか
「ピアノたち」というズールー語の名を持つジャンルは、国境を越えてからわずか5年で、南アフリカ郊外のクラブから世界標準のダンス音楽になった。地域の音楽が世界に届くまでの時間が、ここで変わった。
2026年3月22日
ハイパーポップ前史 — PC Music から100 gecs まで
10年間の「やりすぎ」が、なぜ主流のポップになったのか
ハイパーポップという呼び名は、もとは Spotify のデータに付いたタグであり、それが2019年に1つのプレイリスト名になったものだ。だが、その美学は2013年のロンドンの小さなレーベルから始まっていた。
2026年3月15日
シカゴ・ドリルが世界を変えた7年間
シカゴ南部の16歳がYouTubeに上げた1曲が、7年でロンドンとブルックリンへ広がった
2012年、シカゴ南部の16歳がYouTubeに上げた1曲『I Don't Like』。それから2019年のブルックリン・ドリルまで、わずか7年で、ドリルは「シカゴの地元音楽」から世界中の都市が口にする音になった。
2026年3月8日
ジャズの揺りかごとしてのニューオリンズ
クレオールの港町が生んだ20世紀最大の発明
南部には黒人音楽家もブラスバンドもいくらでもいた。なぜメンフィスでもセントルイスでもなく、ニューオリンズだったのか。答えは、19世紀末のこの街の地図そのものに隠れている。
