バスク・ロック
1980年代の Rock Radikal Vasco を起点にバスク語で歌われる政治的ロック。Kortatu、Negu Gorriak、Su Ta Gar、Berri Txarrak。
どんな音か
バスク・ロックは、1980年代半ばのバスク自治州(ギプスコア県・ビスカヤ県・アラバ県)とナバラ州北部で立ち上がった、バスク語(Euskara)と一部スペイン語で歌われる政治的ロックの総体だ。初期の運動体は「バスク・ロック(RRV、バスク急進ロック)」と呼ばれ、パンク、スカ、ハードコアを核に、バスク民族解放左派(abertzale-ezker、アベルツァレ・エスケール)の政治意識を直接歌詞に持ち込んだ。編成は基本ツイン・ギター+ベース+ドラム+ボーカルの4-5人組、Kortatu は初期にトロンボーン/サックス入りの6人編成でスカ寄りだった。歌詞は労働、失業、警察暴力、政治犯(特に ETA 関連の被拘束者)、バスク独立といった直接的な主題を扱い、他のスペイン地域のロックとは題材の温度が根本的に違う。BPM 140-180のパンク領域が主流だが、Su Ta Gar はメタル系の変拍子、Berri Txarrak はより中庸のオルタナ・ロックの4/4を採用した。
生まれた背景
1975年11月20日のフランコ死去後、スペイン全土が民主化(1978年憲法)へ動くなかで、バスク地方は特に急進的に自治権回復運動を進めた。1979年に自治州憲章(Estatuto de Gernika)が成立し、バスク語が公用語として復権したものの、40年間の弾圧の記憶は新しく、若い世代は自分たちの母語で表現できる音楽を渇望していた。この文脈で1983-84年、ビルバオの ディスコs Suicidas レーベルとサラマンカ発のカセットマガジン『Muskaria』が中心となり、「バスク・ロック」の概念が成立した。決定打は1984年結成の Kortatu(ギプスコア県イルン)で、フェルミン・ムグルサ(Fermin Muguruza、1963-)と兄弟のイニゴ・ムグルサ、そして Treku Armendáriz を含む3-4人組が英 The Clash と トゥー・トーン スカの直系として登場した。1985年のシングル『Sarri Sarri』は、同年7月のバスク武装組織 ETA 幹部 Joseba Sarrionandia(通称Sarri)が Martutene 刑務所からスピーカー箱に隠れて脱獄した実話を、明るいスカのリズムで祝うという鮮烈な政治的アイロニーで、以後バスク・ロックの記号になった。同時期にビルバオの La Polla Records(1979結成)、Barricada(パンプローナ)、Eskorbuto(サンティルバノ)が RRV の主軸を形成した。
聴きどころ
Kortatu『Sarri Sarri』(1985)を聴くと、まずトゥー・トーンスカの裏拍カッティング(ギターが「タン・タン・タン・タン」の裏拍だけ弾く)に気づくはずだ。これはイギリストゥー・トーン(The Specials、The Selecter)の直系の技法で、そこにフェルミンのバスク訛りのスペイン語(というよりバスク語混じり)が乗る。歌詞の内容が政治犯の脱獄祝いだと知ってから聴くと、明るいスカのリズムと重い題材のギャップが鮮烈だ。Negu Gorriak『Ustelkeria』(1990) はよりハードでヒップホップ寄り、Kaki Arkarazo のディストーション・ギターとフェルミンのラップに近い歌唱が乗る。Su Ta Gar『Jo ta ke』(1990) はバスク語のヘヴィメタルで、Iron Maiden 譲りのツイン・ギター・ハーモニーがバスク語詞と組み合わさる異形の融合だ。Berri Txarrak『Konplize』(2003)は Fugazi / At the Drive-In 系のポスト・ハードコアで、Gorka Urbizu のバスク語詞は意味が分からなくても子音の重さで政治的緊張が伝わる。
発展
1988年 Kortatu 解散後、フェルミン・ムグルサはより攻撃的なミクスチャーバンド Negu Gorriak(「厳しい冬」の意、1990-96)を結成、ヒップホップ、ダブ、ロック、スカを混ぜたバスク語の政治ロックを提示、デビュー盤タイトル曲『Ustelkeria』(腐敗、1990)は同時代のバスク政治スキャンダルを直接扱った。同年、ギプスコア県エイバルの Su Ta Gar(「火と炎」、1988結成)がバスク語のヘヴィメタルを打ち出し、『Jo ta ke』(1990) がバスク語ロックの最大の商業的成功の一つとなった。1994年、ナバラ州レクンベリの Berri Txarrak(「悪い知らせ」、Gorka Urbizu フロント) が結成、より広いオルタナ・ロック / ポスト・ハードコア寄りの音でRRV後の第二世代を代表、2003年『Eskuak / Ukabilak』所収『Konplize』でスペイン全土のロック・ファンに届いた。
出来事
- 1983-84: RRV(Rock Radikal Vasco)概念の成立、La Polla Records ら結成
- 1984: Kortatu 結成
- 1985: Kortatu『Sarri Sarri』
- 1988: Kortatu 解散、Su Ta Gar 結成
- 1990: Negu Gorriak 結成、Su Ta Gar『Jo ta ke』
- 1994: Berri Txarrak 結成
- 2003: Berri Txarrak『Konplize』
派生・影響
後年のバスク語ヒップホップ(Selektah Kolektiboa)、バスク・レゲエ(Esne Beltza)、そして政治的な現代 バスク・ポップ(Zea Mays)まで、この世代が土台を作った。
音楽的特徴
楽器エレキギター、エレキベース、ドラム、時にサックス/トロンボーン(初期Kortatu)、ボーカル
リズムパンクの疾走4/4、スカの裏拍カッティング(初期Kortatu)、Su Ta Gar のヘヴィメタル変拍子、Berri Txarrak のオルタナ・ロック中庸4/4
代表アーティスト
- Kortatu
- Su Ta Gar
- Negu Gorriak
- Berri Txarrak
代表曲・古典
Sarri Sarri — Kortatu (1985)
Nicaragua Sandinista — Kortatu (1986)
Jo ta ke — Su Ta Gar (1990)
Ustelkeria — Negu Gorriak (1990)
代表曲・現在
Konplize — Berri Txarrak (2003)
日本との関係
バスク・ロックの日本での認知はスペイン語圏音楽の中でも特に薄い。理由は明確で、歌詞がバスク語(スペイン語話者にも通じない少数言語)であること、政治的文脈が理解の前提となること、そしてバンドが基本的にスペイン国内ツアー中心で日本市場に来ないことだ。フェルミン・ムグルサはソロ活動でパレスチナ、キューバ、コロンビアなど政治的音楽の国際回路に接続し、彼のドキュメンタリー映画『Black is Beltza』(2018) が東京国際映画祭で上映されたことがある。日本国内のバスク文化紹介は主に語学(バスク語コース、外語大)や食文化(サン・セバスチャンのバル文化)経由で、音楽単独での紹介は極めて限定的だ。しかし逆に、日本のポスト・ハードコア/エモ系リスナー(envy、cinema staff の周辺)にとって、Berri Txarrak は「知る人ぞ知る」バンドとして定期的に発掘されている。
初めて聴くなら
豆知識
「バスク・ロック」の名称は1983年、サン・セバスチャン近郊の音楽イベントを主催した Gaztetxeen Koordinakundea(青年センター調整委員会)が使い始めた造語だ。厳密な音楽的定義はなく、「バスクの若者が急進的に演奏するロック」という運動体の呼称だった。Kortatu のフェルミン・ムグルサは、Kortatu 解散(1988)後 Negu Gorriak(1990-96) を経てソロ活動、以後 Manu Chao、Palestinian ラッパー DAM、キューバのミュージシャンらと国際的コラボを続けた。彼の作品は日本のワールドミュージック・レーベル P-Vine から一部リリースされたことがある。Su Ta Gar のバンド名の由来「Jo ta ke」はバスク民族左派の伝統的スローガン「Jo ta ke irabazi arte(勝つまで叩き続けろ)」から来ており、彼らの音楽的立場を名前そのものが宣言している。Berri Txarrak の Gorka Urbizu は2019年 25 周年ツアー後にバンドを終了、以後ソロで詩集と楽曲を並行で発表している。
影響・派生で結ばれたジャンル
同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル
- ロック・メタルモビーダ・マドリレーニャ
- ロック・メタルスペイン・インディー
