WorldMusic

ポップ

トルコ90年代ポップ

Turkish 90s Pop

イスタンブール / トルコ / 中東 · 1988〜2005年

別名: Türk 90'lar pop / 90s Türk Pop / Sezen Aksu era pop

Sezen Aksuを設計者に、Tarkan『Şımarık』1997を頂点とした、トルコ・ポップ黄金期の様式。

どんな音か

トルコ90年代ポップは、シェゼン・アクスを作家/プロデューサーの中心軸に、Tarkan、Sertab Erener、Aylin Aslım、Levent Yükselら世代を国民的スターに押し上げたポップの様式を指す。編成はプログラミングされたドラム、シンセベース、ストリングス・パッド、時にエレキ・ギターのアタックとダルブッカ(逆さ杯型ドラム)、そしてバーラマ(サズ)の高音ラインを乗せる。ボーカルはアラベスク由来の細やかな装飾(gargara=一音上のトリル)と、西欧ポップの直進的な発声を切り替える二重技法が特徴だ。BPMは90-130、フォーマットはユーロダンス寄りの4/4か、アラベスク由来の9/8アクサック(2+2+2+3)を切り替える。プロダクションはギリシャ、ブルガリア、ドイツ(トルコ系)の外部ミキサーとも協働し、トルコ市場を越えたバルカン/地中海全域リリースを最初から想定した設計になっていた。

生まれた背景

シェゼン・アクス(1954年 デニズリ生)は1975年デビューだが、彼女の作家・プロデューサーとしての設計期は1980年代半ばに始まる。1984年『Firuze』は自作曲での初の記念碑的ヒットで、以降『Sen Ağlama』(1984)、『Söylüyorum Sözümü』(1988)、『Gülümse』(1991)と続くアルバム群でトルコ・ポップの現代的テンプレートを一人で書いた。彼女は同時に若手のメンター/プロデューサーとして機能し、10歳のTarkan Tevetoğluを1990年代前半に発掘、1992年の1st『Yine Sensiz』、1994年『A-Acayipsin』を経て1997年『Ölürüm Sana』アルバム収録の『Şımarık』でTarkanを国際市場へ押し出した。Tarkanは1972年ドイツ生まれの在独トルコ人二世で、10代でトルコに帰国、Sezen Aksuに見出されるという「ドイツ・ディアスポラ帰還者」という背景も彼のキャリアの決定的な要素だった。

聴きどころ

Tarkan『Şımarık』(1997)は口笛のフックと『öp öp öp öp』(キスキスキスキス)というキャッチーなサビが表面的な入口だが、バックのビートに注意すると9/8のアクサック(2+2+2+3)がユーロダンス的な4/4の中に組み込まれていることが分かる。これがトルコ・ポップの旋律的DNAで、単なる西欧ポップのコピーではない証拠だ。Sezen Aksu『Firuze』(1984)は彼女の作家性の起点で、シンセ・ストリングスとバーラマの高音が対話する構造が、以降40年のTurkish popの型になった。Sertab Erener『Everyway That I Can』(2003)は英語詞だが、サビの装飾でトルコ的な半音階の粘りが顔を出す瞬間があり、Eurovision欧州観客に「異国感」として届いた要素はそこだ。Ajda Pekkan『Bambaşka Biri』(1977)は70年代仏語シャンソン系アレンジで、90年代Turkish popの祖先形として位置づけられる。

発展

『Şımarık』は口笛のフックと『öp öp öp öp』(キスキスキスキス)というキャッチーなサビで、1998-99年に欧州各国でチャート入り、ドイツ8位、フランス3位、イタリア5位、そして2002年にホリー・ヴァランスによる英語カバー『Kiss Kiss』が全英1位となり、この英語版経由でも原曲がトルコ発だと世界に伝わった。Sertab Erener(1964年 イスタンブール生)はSezen Aksuに10代で発掘され、2003年のEurovision Song Contestで英語曲『Everyway That I Can』を歌い、トルコに同大会初優勝をもたらした。同世代にAjda Pekkan(1946年生の1970年代からの女性シンガー、90年代も現役)、Mustafa Sandal、Kenan Doğulu、Levent Yüksel、Nilüferが並び、Turkish popの国際的な露出は最盛期を迎えた。

出来事

  • 1984: Sezen Aksu『Firuze』
  • 1990: 私営放送解禁
  • 1992: Tarkan 1st『Yine Sensiz』
  • 1997: Tarkan『Şımarık』(『Ölürüm Sana』収録)
  • 1999: 『Şımarık』欧州各国チャートイン
  • 2003: Sertab Erener、Eurovision優勝

派生・影響

現代のturkish-popとturkish-rapに直接接続。Sezen Aksu作曲のスタンダードが2020年代のポップ/ラップの客演でサンプルされる。

音楽的特徴

楽器プログラミング・ドラム、シンセ、ストリングス、ダルブッカ、バーラマ(サズ)、時にオード(ウード)、エレキ・ギター、ボーカル

リズム西欧ポップの4/4、9/8アクサック(2+2+2+3)、時に7/8、ユーロダンス寄りの128BPM

代表アーティスト

  • Ajda Pekkanトルコ · 1963年〜
  • Sertab Erenerトルコ · 1989年〜
  • Kenan Doğuluトルコ · 1993年〜
  • Mustafa Sandalトルコ · 1994年〜

代表曲・古典

日本との関係

Tarkan『Şımarık』は1998-99年の日本のクラブ/レストランで実際に流れた、90年代Turkish popが日本の一般聴衆に届いた唯一の瞬間だ。CanCam、ViViなど当時のファッション誌でも「キス・キス・ソング」として紹介された。ホリー・ヴァランス『Kiss Kiss』(2002、英語カバー、全英1位)を経由して日本の音楽番組にも登場したが、多くの日本人視聴者は原曲がトルコの曲だと知らないままだった。Sertab Erenerの2003年Eurovision優勝は、日本ではNHK BSのニャック・ハイゴアイ番組で放送された程度で、大衆的浸透はなかった。Ajda Pekkanは1970年代に一度、日本のTV番組(『芸能ゴシップ』系)に登場した記録があるが、これは彼女のバカンス旅行の一環で、音楽的な紹介ではなかった。日本の一般Turkish pop認知は事実上『Şımarık』一曲に依存している。

初めて聴くなら

最初はTarkan『Şımarık』(1997)、これは世界共通の入口。次に『Kuzu Kuzu』(2001)、彼のキャリアの二次的な頂点。Sezen Aksu『Firuze』(1984)は彼女の作家性の起点として重要。同じくSezen Aksu『Işık Doğudan Yükselir』(1995)はより成熟した後期の代表作。Sertab Erener『Everyway That I Can』(2003)はEurovision優勝曲として一度は聴いておきたい。Ajda Pekkan『Bambaşka Biri』(1977)は70年代シャンソン寄りアレンジで、時代の空気が体感できる。深夜のドライブか、ケバブ屋の店内BGM的な文脈で聴くのが向いている。

豆知識

『Şımarık』は世界中で勝手にリミックスされ、英語(Holly Valance『Kiss Kiss』2002全英1位)、スペイン語、フランス語、ヘブライ語、ギリシャ語、ロシア語の各バージョンが2000-05年に各国チャートに登場した。原曲の作詞Sezen Aksu、作曲Ozan Çolakoğluには印税が入る形になっているが、英語圏では原曲がトルコ発だと知らない人が多い。Sezen Aksuは2022年、旧約聖書の人物(アダムとイブ)を歌詞で揶揄したとして宗教保守派から脅迫を受け、コンサートを一時中止する事態となった。トルコの世俗主義と宗教保守派の分断そのものをポップ歌手が体現する事態は、この国の音楽文化の重さを物語る。Sertab Erenerの2003年Eurovision優勝曲が英語だったことは、トルコ国内で「なぜトルコ語で歌わなかったのか」という激しい論争を呼び、彼女は数年にわたって非愛国的だという批判を受けた。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1950年代1960年代1980年代トルコ90年代ポップトルコ90年代ポップポップポップトルコ・ポップトルコ・ポップアラベスクアラベスク凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
トルコ90年代ポップを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

トルコ90年代ポップ の系譜全体図(多段)を見る

同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル

トルコ · 1988年前後 (±25年)