アナドル・ロック
1960年代後半-70年代、トルコの若者がバーラマ(サズ)とファズ・ギターでアナトリア民謡をロック化した運動。
どんな音か
アナドル・ロックは、1960年代後半のイスタンブールとアンカラの大学生たちが、アナトリア民謡のマカーム(旋法)と、ジミ・ヘンドリックス以降のファズ・ギター/オルガンを合流させて始めたロック運動を指す。編成はエレキ・ギター、ベース、ドラム、ハモンド・オルガンに、バーラマ(サズ、長棹リュート)を電化した「電気サズ」が主役として加わる。時にダーヴル(大太鼓)+ズルナ(ダブルリード)の伝統的な結婚式楽器組み合わせを、ロックの4/4に投げ込んで異物感を作る。旋律はアナトリア各地の民謡から借用され、ウズン・ハヴァ(自由律)の即興的な歌い出しから、9/8のアクサック・ビート(2+2+2+3)を経て定型律のロック・ビートに転がり込む展開が典型的だ。歌詞はトルコ語で、恋歌より社会批評、労働、農村の疲弊、時に体制批判までを直接扱う。録音はドライで生々しく、テープ・エコーとファズを深く効かせた60-70年代西欧のガレージ/サイケデリック・ロックと同時代の空気を共有する。
生まれた背景
起点は1965年頃、アンカラ・ラジオの音楽コンテスト『Altın Mikrofon(黄金のマイク)』(1965-68)だった。同放送局が主催したこのコンペは、若手音楽家に「西洋楽器で演奏するトルコ民謡」を課題とした異例のコンペで、この課題設定そのものがアナドル・ロックの理論を先取りしていた。エルキン・コライは1962年に既に電化サズを持ち込んでおり、モーロラルは1967年結成でアナトリア楽器の主題を全面に押し出し、バルシュ・マンチョは1970年『Dağlar Dağlar』でヒットを掴んだ。決定的な世代はジェム・カラジャで、1945年イスタンブール生まれのアルメニア系トルコ人の彼は、1967年のApaşlarから始まりKardaşlar(1969)、Moğollar(1971)、Dervişan(1973)と次々にバンドを編成し、その都度アナドル・ロックの型を書き換えた。彼の政治的スタンスは60年代の左派学生運動と直結し、1975年『Namus Belası』は貧困と名誉殺人を扱った社会派の代表作となった。同時期の女性側にはセルダ・バーウジャンがいて、彼女は反戦・反貧困の抗議ソングを歌ったことで1980年9月12日の軍事クーデター後にパスポートを没収され、1981-84年に3度投獄された。1979年、ジェム・カラジャは西ドイツへ亡命、1987年まで帰国できなかった。
聴きどころ
エルキン・コライの『Şaşkın』(1972)は電化サズがハモンド・オルガンと交錯する冒頭を聴いてほしい。サズの高音の粒立ちがギターと違い、それが「トルコのロック」であることの決定的な証拠になっている。ジェム・カラジャの『Namus Belası』は、彼の低音の朗読的な歌い出しから、サビでバンドが2オクターブ跳ね上がる二段構えの構造で、これがトルコ・ロックの声のドラマティズムの型となった。バルシュ・マンチョ『Dağlar Dağlar』(1970)はフォーク寄りの弾き語りとロック・バンドの間を行き来する構造で、彼の後年のポップ性の起源が見える。セルダ・バーウジャンの声は、ボーカル・ブースの中央マイクではなく、部屋全体で鳴っているような太い低音のリバーブが特徴で、これが当時のトルコの録音技術の質感でもある。
発展
1980年の軍事クーデターと戒厳令が事実上この世代の活動を凍結し、ジェム・カラジャは1979年にドイツへ亡命(1987年まで帰国できず)、多くのアーティストが録音・演奏の場を失った。しかし1990年代後半以降、Baba Zulaのようなポスト世代がダブと即興を持ち込みつつアナドル・ロックの遺伝子を継承、2010年代にはアムステルダム拠点のAltın Günやガイエ・ス・アクヨルがこの遺産を国際的な音として再パッケージした。近年、Erkin Koray、Selda Bağcan、Moğollar、Cem Karacaのアナログ盤はイギリスのFinders Keepers、ドイツのPharaway Sounds、日本のP-Vine系リイシューにより世界的に再流通している。
出来事
- 1965-68: Altın Mikrofonコンペティション
- 1970: Barış Manço『Dağlar Dağlar』
- 1971: Moğollar結成
- 1975: Cem Karaca『Namus Belası』
- 1979: Cem Karaca、ドイツへ亡命
- 1980-84: Selda Bağcan投獄
- 1987: Cem Karaca帰国、恩赦
派生・影響
Baba Zula、Altın Gün、Gaye Su Akyolによる2000年代以降のアナドル・サイケデリック・リバイバルの直接の親。Karadeniz(黒海地方)音楽の一部にもエレキ楽器化の系譜として痕跡を残す。
音楽的特徴
楽器エレキ・ギター、ベース、ドラム、ハモンド・オルガン、バーラマ(サズ)、時にダーヴル、ズルナ、ダルブッカ、ボーカル
リズムロックの4/4、アナトリア民謡由来の9/8(アクサック)や7/8、ウズン・ハヴァの自由律から定型律への切り替え
代表アーティスト
- Erkin Koray
- Barış Manço
- Cem Karaca
- Fikret Kızılok
- Moğollar
- Selda Bağcan
代表曲・古典
Anadolu'yum — Fikret Kızılok (1968)
Ilgaz — Moğollar (1968)
Dağlar Dağlar — Barış Manço (1970)
Resimdeki Gözyaşları — Cem Karaca (1970)
Behind the Dam — Moğollar (1971)
Estarabim — Erkin Koray (1972)
Şaşkın — Erkin Koray (1972)
Bebek — Cem Karaca (1974)
Cemalim — Erkin Koray (1974)
İnce İnce Bir Kar Yağar — Selda Bağcan (1974)
Namus Belası — Cem Karaca (1975)
Yaz Gazeteci Yaz — Selda Bağcan (1976)
Gülpembe — Barış Manço (1988)
Dönence — Barış Manço (1992)
日本との関係
日本での認知は、2000年代半ば以降、Finders Keepers Records(英)やSublime Frequencies(米)のリイシューが、東京・大阪のレコード店(Disk Union、Big Love、Time Bomb)に並んだことで始まった。P-Vine Recordsが2010年代に一部のアナドル・ロックの日本盤を出しており、Erkin Koray『Elektronik アナトリア民俗音楽(テュルキュ)ler』(1974)はサイケデリック・ロックのマニアの間で「東地中海の失われた名盤」として認知される。2019年、Altın Günのフジロック出演(その多くのレパートリーはSelda Bağcan、Erkin Korayのカバー)は、日本のリスナーが原曲へ遡る経路を開いた。ただし1970年代当時に日本で紹介された痕跡はほぼなく、日本語ライナーノーツも存在しない。日本におけるアナドル・ロック認知は、あくまで2010年代以降の後追いだ。
初めて聴くなら
最初はErkin Koray『Şaşkın』(1972)、これを聴けば「電化サズがロックの主役になれる」瞬間が体感できる。次にCem Karaca『Namus Belası』(1975)、アナドル・ロックの政治性と歌唱の両方が凝縮された頂点。バルシュ・マンチョは『Dağlar Dağlar』(1970)から入り、その後1988年『Gülpembe』への20年の距離を味わうと、彼の作家性の幅が見える。Selda Bağcan『İnce İnce Bir Kar Yağar』(1974)は、Beyoncéの2016年『Sorry』でDr. Dreがサンプリングしたことで英語圏でも認知されている。深夜、部屋を暗くしてスピーカーで聴くのがこのジャンルには合う。
豆知識
Erkin Korayの電化サズは1962年に彼自身が改造したもので、それ以前にトルコで「電気サズ」という発想はほぼ存在しなかった。Cem Karacaの1979年のドイツ亡命はブレヒト『三文オペラ』のドイツ語劇団Berliner Ensembleに関わっていた縁もあり、1987年オザル政権による恩赦帰国まで、ケルンとフランクフルトのクラブで在独トルコ人コミュニティ相手に演奏を続けた。Selda Bağcan『İnce İnce Bir Kar Yağar』の権利問題は本人と長年のトラブルで、Dr. Dreが2016年のBeyoncé作品でサンプリングした際、事前に本人に連絡し正式なクリアランス手続きを踏んだ最初の海外プロデューサーとなった。彼女は1980年代の投獄期にトルコ国内でLP盤を全て禁書扱いされたため、生き延びた盤の多くが海外のトルコ系ディアスポラ経由で存続した。
影響・派生で結ばれたジャンル
同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル
- ポップトルコ・ポップ
- ポップトルコ90年代ポップ
