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2026年6月28日

ジャズ・フュージョンが破壊したもの

マイルス・デイビス『Bitches Brew』(1970)以後のジャズ

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3行まとめ

  1. Miles Davis『Bitches Brew』は、エレキ楽器とロックの熱量をジャズに持ち込み、聴衆との約束をひっくり返した。
  2. そこからMahavishnu Orchestra、Weather Report、Return to Foreverが生まれ、ジャズは若いロック世代へ開かれた。
  3. 同時に、ハードバップ以来の聴衆は離れ、フュージョンは大きな市場と引き換えに古い居場所を失った。

ジャズ

紙の上では筋が通らない顔ぶれ、コロンビア・スタジオB

1969年8月、トランペット奏者マイルス・デイビスは、マンハッタンにあるコロンビア・レコードのスタジオBを3日間押さえた。集めた顔ぶれは、ジャズの常識では多すぎた。ソプラノサックス1本にエレキギター1本、鍵盤奏者が3人、ドラマーが2人、パーカッションが2人、エレキベース、そしてバスクラリネット。プロデューサーのテオ・マセロには「テープを回しておいて、編集は後でやれ」と指示が出された。

翌年そのテープから生まれたのが『Bitches Brew』。2枚組のアルバムで、表題曲だけで27分に達した。新しい世代への入口か、それともジャズの終わりか。いまもジャズ評論家のあいだで答えは割れている。

このレコードは、発売当初からジャズのアルバムとしては異例のペースで売れ(Billboard 200で最高35位)、1976年にはマイルス初のゴールド(約50万枚)認定を受けた。同時にこの作品は、マイルスが『Kind of Blue』(1959) 以来守ってきた、ジャズと聴き手のあいだの暗黙の了解を壊した。その了解とは、こういうものだ。ジャズとは、Blue Note やコロンビアといったレーベルに所属する、アコースティックな五人編成(クインテット)が奏でる音楽だ。それを、長尺の曲を黙って聴き通すほど真剣な、大卒の聴き手に向けて売る——そういう音楽である。だが『Bitches Brew』にはエレクトリック・ピアノがあった。ワウペダルがあった。曲の箇所によっては、どの調(キー)で鳴っているのかさえはっきりしなかった。この一枚から弾け飛んだ破片が、やがてジャズを四方へ引き裂いていく。それは、ジャズを聴衆そのものから切り離す破壊でもあった。

弟子たちが、それぞれの旗を立てる

続く3年で、この一枚から派生バンドが四方へ噴き出した——20世紀の音楽でも指折りの、枝分かれの激しさだった。

まず、速さの極にマクラフリンがいた。彼は高速のギターという発想を取り、ヴァイオリン奏者と、9拍子・7拍子のように、ロックやポップスではまず使わない変則的な拍子も刻めるドラマーを加えて Mahavishnu Orchestra を立ち上げた。1971年のデビュー作『The Inner Mounting Flame』の一曲目『Meeting of the Spirits』は、自由な導入からギターが歪む6/4の猛烈なテンポへ一気に雪崩れ込む。そしてこの一作が、以後10年のギター主導フュージョンの音を、事実上決めてしまった。

対照的に、ポップさの極にいたのが Weather Report だ。これは、ジャズがラジオでヒットを出せると証明したバンドである。ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターが共同で立ち上げ、70年代を通じて、自由な形式のモード・ジャズから、FMラジオでも流せるほど洗練された音へと、自分たちの作風を少しずつ近づけていった。1977年には『Heavy Weather』収録の『Birdland』が当たる。ザヴィヌルが書き、ジャコ・パストリアスのフレットレス・ベースが牽引する、誰もが口ずさめる一曲だった。

同じ母体から、さらにラテンへ、ファンクへと枝が伸びた。チック・コリアは Return to Forever を結成する。フローラ・プリムらを擁する最初期のラテン編成で『スペイン』(1973) を生んだ。のちに最も多くカバーされるフュージョンの定番曲のひとつである。その後はアル・ディ・メオラを加え、編成をロック寄りへと変えていった。一足早くマイルスのもとを離れていたハービー・ハンコックは、『Bitches Brew』が売れるのを見て、『Head Hunters』(1973) で応えた。1曲目の『Chameleon』は、クラビネット(独特の歯切れよい音がする電気鍵盤)が鋭くリズムを刻み、その下でシンセサイザーの太いベースが2小節のフレーズを延々と反復する——そんな曲だ。このアルバムが、プラチナ・ディスクに達した。

1つの言葉、2つの聴衆

70年代半ばになると、業界誌は厄介な問題を抱えた。同じ『Downbeat』誌の同じ号の中で、ハンコックの『Chameleon』にも、セシル・テイラーの——音を密集させて叩きつけるような不協和なピアノにも、同じ「ジャズ」という言葉が貼られていたのだ。当時まだ十代だったウィントン・マルサリスは、のちに、フュージョン以前の古典的なジャズへの回帰を旗印にキャリアを築く。そして、スウィングの感覚ではなく、ロック由来の強い裏拍(バックビート)に乗った曲は一切演奏しないと決めることになる。80年代に入ると、批評家スタンリー・クラウチが『Village Voice』紙のコラムでフュージョンを裏切りと断じ、1990年には『The New Republic』誌でマイルスを「ジャズ史上もっとも華々しく身を売った男」と書いた。

帳尻は明白だった。新しい聴衆が入ってきた。すでに Led Zeppelin のレコードを持っていた若者たちが、Mahavishnu を見つけて持ち帰り、二度とビバップ(40年代に生まれた高速の伝統ジャズ)には戻らなかった。古い聴衆は離れていった。60年代に毎晩クラブを満席にしていたハードバップ(ビバップを発展させた1950年代の主流派)のクインテットも、70年代には客が来なくなり、リーダーは大学で教えて食いつなぐようになった。ジャズ・クラブの興行網は70年代を通じて激しく縮小し、生き残った店——老舗の Village Vanguard をはじめとするごく一握り——は、アコースティックな正統派へとブッキングを絞り込んだ。そして一世代分の正統派の奏者たちにとって、新設の大学のジャズ科で教えることが、収入の大半になった。この受け皿が、以後ずっとポスト・バップ(ビバップ以降の正統派ジャズ)を支えている。

子供たちは、その論争に乗らないことで勝った

純粋主義者とフュージョンの争いは、フュージョンを浴びて育った世代が大人になる90年代末には、もう終わっていた。

イギリスのクラブシーンでは、ジャズのレコードが、ゆったりしたテンポの電子音楽(ダウンテンポのエレクトロニカ)のレコードと同じ棚に並ぶのが、ごく当たり前のことになっていた。nu jazz(ヌー・ジャズ)を担った Cinematic Orchestra のような面々は、その境界をはじめから問題にしていない。ロバート・グラスパーの『Black Radio』(2012) は、アコースティックなジャズ・トリオの前にヒップホップのボーカリストを立たせ、グラミー賞を取った。カマシ・ワシントンの『The Epic』(2015) が現れた頃には、「これは裏切りなのか、それとも拡張なのか」というフュージョンの問いは、もう誰も口にしていなかった。

『Bitches Brew』が実際に破壊したのは、ジャズそのものではない。「1つの聴衆が、音楽の行く先がどこであれついてきてくれるはずだ」という前提だった。フュージョンは巨大な遺産を生んだ。マクラフリンの和音とメロディを一体で弾く奏法(コード・メロディ)は、大学のジャズ科で必ず学ぶものになっているし、ハンコックのクラビネットのリフは数百回サンプリングされてきた。そして何より、前衛から生まれた Weather Report の『Birdland』が、いまやどの結婚式バンドのセットリストにも入っている。だが、その代償として、ジャズは、スウィング時代からずっと付いてきた、気軽に楽しむ一般のリスナー層を失った。その聴き手はロックへ、次にポップへ移り、二度と戻らなかった。大学が、その不在の上に立っている。

作者のひとこと

Mahavishnu OrchestraやWeather Reportは難しく構えず、まずリズムと音色だけ追うと入りやすいです。理屈より先に体で分かる部分があります。

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