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ポップ

ソヴィエト・エストラーダ

Soviet Estrada

モスクワ / ソ連 / ロシア / 東ヨーロッパ · 1930〜1991年

別名: Эстрада / Soviet variety pop / ソ連歌謡 / エストラーダ

1960-80年代のソ連で国家テレビと巡演文化に支えられた変奏舞台歌謡。プガチョワ、マゴマエフ、コブゾンらの独唱スター音楽。

どんな音か

ソヴィエト・エストラーダは、1960-80年代のソ連で国営テレビ番組『青い炎』を主な発表の場として育った変奏舞台(вариете)歌謡を指す。編成は独唱者+20-40人のバラエティ楽団(弦、金管、木管、ドラム、ピアノ)で、独唱者の存在感がすべてを決める。旋律はロシア民謡と欧州カンツォーネ/シャンソンを掛け合わせた歌謡曲寄り、歌詞はロシア語で恋愛と人生と控えめな社会的テーマを扱う。ソ連版の「歌謡曲」で、新年放送『青い炎』は日本の紅白歌合戦に相当する役割を果たした。録音はクリーンで残響豊か、独唱者の声を舞台中央にスポットライトのように配置するミックスが典型だ。

生まれた背景

戦前・戦時のソヴィエト大衆歌(マッソヴァヤ・ペースニャ)から派生し、1960年代の雪どけ期以降、より個人的で叙情的な独唱歌謡へと発展した。決定打は1975年、26歳のアーラ・プガチョワがブルガリアのソポト国際歌謡祭で『アルレキーノ』を歌い金賞を獲得、以降30年以上ソ連/ロシアの「国民的ディーヴァ」の座を独占したことだ。同時期の男性歌手ではムスリム・マゴマエフ(バクー出身、バリトン)、イオシフ・コブゾン(実質的な「国民歌手」)、女性ではアンナ・ゲルマン(ポーランド系、澄んだソプラノ)、ソフィア・ロタール(モルドバ出身)、エディタ・ピエハ(ポーランド出身)が独自の位置を占めた。

聴きどころ

プガチョワの『百万本のバラ』(1982)の朗々と歌い上げるサビと、Aメロの語りかけるような弱声の対比にまず耳を傾けてほしい。彼女は「舞台で全身を使う独唱者」の完成形で、マイクとの距離、テンポの意図的なタメ、ヴィブラートの深さのすべてを制御する。マゴマエフの『Ekipazh Odna Semya』はイタリア・オペラ由来の朗々としたバリトンで、ソ連版の男性カンツォーネと言える。アンナ・ゲルマンの『Nadezhda』はソプラノでありながら過剰に飾らず、静かに祈るような発声で、彼女がポーランド出身であることの節度がロシア語にも通じている。

発展

1980年代にはプガチョワが『ミリオン・アルィフ・ロズ(百万本のバラ)』(1982、ラトビアのライモンズ・パウルス作曲、原詩はアンドレイ・ヴォズネセンスキー)で頂点を刻み、この曲は日本でも加藤登紀子のカバー(1987)で広く知られるようになった。ソ連崩壊(1991)以降、エストラーダは新しい世代のポップ(ポスト・ソヴィエト・ロシア・ポップ)に流路を譲るが、コブゾンとプガチョワは2000年代までテレビの主役を続けた。プガチョワは2022年のウクライナ侵攻に公然と反対、2023年に「外国エージェント」指定を受けて事実上イスラエルへ亡命した。

出来事

  • 1975: プガチョワ『アルレキーノ』ソポト金賞
  • 1982: プガチョワ『百万本のバラ』
  • 1988: マゴマエフ実質的引退
  • 1991: ソ連崩壊、エストラーダ制度の解体
  • 2022-23: プガチョワ反戦声明、外国エージェント指定

派生・影響

戦前のソヴィエト大衆歌から派生し、1990年代以降のポスト・ソヴィエト・ロシア・ポップ(フィリップ・キルコロフ、アルスー、ディマ・ビラン)へ直接繋がる。中央アジア諸国の同時代エストラーダ(カザフ、ウズベク)にも影響を残した。

音楽的特徴

楽器独唱ボーカル、バラエティ楽団(弦、金管、木管、ドラム、ピアノ)、時にアコーディオン、シンセ

リズム60-120BPM、歌謡曲の4/4、時にワルツ3/4、抒情バラードの自由リズム、独唱者の即興的タメが要

代表アーティスト

  • Edita Piekhaソ連 · 1955年〜
  • Iosif Kobzonソ連/ロシア · 1959年〜2018
  • Anna Germanソ連/ポーランド · 1960年〜1982
  • Muslim Magomayevソ連(アゼルバイジャン) · 1962年〜2008
  • Alla Pugachevaソ連/ロシア · 1965年〜
  • Sofia Rotaruソ連/ウクライナ/モルドバ · 1971年〜

代表曲・古典

日本との関係

日本での接点は意外に多い。プガチョワの『百万本のバラ』(1982)は加藤登紀子のカバー(1987)を通じて日本の合唱曲・シャンソン愛好家に広く行き渡り、原曲の作詞アンドレイ・ヴォズネセンスキーの原詩が「百万本の赤いバラで女優を口説くグルジアの貧しい画家」という具体的なエピソードだと知られたのは日本カバー版の後だった。ムスリム・マゴマエフは1971年ヤマハ世界歌謡祭東京大会に出場し、戦時歌『青いプラトーク(Sinii Platochek)』を歌った記録が残る。アンナ・ゲルマンは1980年に日本公演を果たしており、静かなソプラノの節度が日本の演歌好きにも通じる質感を持っていた。

初めて聴くなら

最初の一曲はアーラ・プガチョワ『百万本のバラ』(1982)、これで日本の耳とロシアの耳が同じ場所に立てる。続いて『アルレキーノ』(1975)で若きプガチョワの声の強靭さを、『Pozovi menya s soboy』(1996)で90年代の彼女の抒情を。マゴマエフは『Ekipazh Odna Semya』(1968)、アンナ・ゲルマン『Nadezhda』(1973)、コブゾン『Den Pobedy(勝利の日)』(1975)がそれぞれ入口として良い。テレビの前で夕食を取りながら聴くのがこの音楽本来の場面設定に近い。

豆知識

プガチョワは2022年9月、ウクライナ侵攻に公然と反対する声明をInstagramに投稿し、翌2023年に「外国エージェント」指定を受けた。彼女はイスラエルとキプロスに拠点を移したが、ロシア国内での彼女の楽曲のラジオ放送は続いている。1994年の彼女とフィリップ・キルコロフ(18歳下)の結婚は「ソヴィエト・エストラーダのディーヴァと若手プリンス」の連合として国民的関心事となり、2005年の離婚まで11年続いた。イオシフ・コブゾンは1990年代以降、連邦議会下院議員を長く務め、ショービジネスと政治の交差点にいた稀有な人物で、2018年の彼の国葬にはプーチンが出席した。

影響・派生で結ばれたジャンル

ソヴィエト・エストラーダを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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