ポスト・ソヴィエト・ロシア・ポップ
1991年ソ連崩壊後、エストラーダを継承しつつ西側ポップの語法を取り込んで再構築されたロシアの主流ポップ。キルコロフ、アルスー、ディマ・ビランが代表。
どんな音か
ポスト・ソヴィエト・ロシア・ポップは、1991年のソ連崩壊後、ソヴィエト・エストラーダの独唱スター文化を維持しつつ、西側のシンセ・ポップ、ユーロ・ダンス、90年代R&Bの制作技術を取り込んで再構築されたロシア主流ポップを指す。編成はソロ独唱者+バックダンサー+同期演奏で、BPMは90-130、旋律はプガチョワ以来の抒情バラードの伝統を残しつつ、90年代欧州ユーロダンス、2000年代英米ダンスポップの語法を積極的に借りた。歌詞はロシア語で、恋愛と華やかな生活が主題、社会性は薄い。テレビ番組『ペースニャ・ゴーダ(その年の歌)』とユーロヴィジョン選抜が主要ショーケースだった。
生まれた背景
起点は1993年前後のフィリップ・キルコロフのブレイクで、彼は1994年にアーラ・プガチョワと結婚(18歳差、2005離婚)し、婚姻を通じてソヴィエト・エストラーダの権威を継承した。2000年、当時16歳のアルスー(タタール系)がユーロヴィジョンで『Solo』を歌い準優勝、2008年、ディマ・ビランが『Believe』でロシア初のユーロヴィジョン優勝を果たした。この2つがロシア・ポップの国際的到達点を象徴し、以降ユーロヴィジョン選抜はロシアの国民的関心事となった。2022年ウクライナ侵攻後、ロシアはユーロヴィジョンから追放され、この主要な国際ショーケースを失った。
聴きどころ
発展
2000年代後半以降はセルゲイ・ラザレフ、ポリーナ・ガガーリナ、グリゴリー・レプス(シャンソン系だがポップ主流にも越境)、ヴェルカ・セルデュチカ(ウクライナだが露語市場で共有)が続き、Eurovision選抜はロシアの国民的関心事となった。2022年のウクライナ侵攻後、ロシアはユーロヴィジョンから追放され、この主要な国際ショーケースを失った。それ以降シーンは国内市場に急速に収束し、若年層は「post-Soviet pop」から離れて完全にラップ/トラップへ移行、この世代のポップは40代以上のテレビ視聴者中心の音楽となっている。
出来事
- 1994: プガチョワ×キルコロフ結婚
- 2000: アルスー『Solo』ユーロヴィジョン2位
- 2005: プガチョワ×キルコロフ離婚
- 2008: ディマ・ビラン『Believe』ユーロヴィジョン優勝
- 2022: ロシアがEurovisionから追放
派生・影響
ソヴィエト・エストラーダの直接の子孫。同時期のユーロダンス、シュラーガー、tATu的な西側輸出型ロシア・ポップとも近縁。
音楽的特徴
楽器ソロ・ボーカル、シンセ、ドラム・マシン、時に生弦・ホーン、コーラス
リズム90-130BPMのユーロダンス4/4、抒情バラードの3/4と自由リズム、時にラテン・リズム引用
代表アーティスト
- Alla Pugacheva
- Filipp Kirkorov
- Valeriya
- Grigory Leps
- Alsou
- Dima Bilan
代表曲・古典
Solo — Alsou (2000)
Ryumka Vodki na Stole — Grigory Leps (2002)
Zaycheg Moy — Filipp Kirkorov (2002)
代表曲・現在
Chasiki — Valeriya (2004)
Nevozmozhnoe Vozmozhno — Dima Bilan (2007)
Believe — Dima Bilan (2008)
日本との関係
初めて聴くなら
豆知識
影響・派生で結ばれたジャンル
同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル
- ロック・メタル現代ロシアン・ロック
- エレクトロニックロシアン・エレクトロニカ
- ヒップホップ・R&Bロシア語ラップ
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