上海ジャズ
1930-40年代の上海で、米ジャズと中国民謡が交差して生まれた、周璇・李香蘭の時代の中国語ポップ。
どんな音か
上海ジャズ(上海ジャズ shídàiqū)は、1927 年頃から 1949 年の中華人民共和国建国までの約 20 年間、上海の英仏租界を中心に生まれた中国語ポップの総称だ。米ジャズのスウィング・ビートと、中国五声音階(宮商角徵羽)を土台にした民謡的な旋律が融合したのが最大の特徴で、編成はサックスやトランペットのビッグバンド+ジャズ・ドラム+ピアノを標準に、時に二胡や琵琶が民族色を差し込む。BPM 90-140 のスウィング寄りの 4 拍子が中心で、Fox-trot のリズムに乗った歌謡が典型的だ。歌い手は「金嗓子(黄金の喉)」と呼ばれた周璇のような細く高い女性ボーカルが主役で、鼻にかかった甘い発声(俗に「小嗓」)が上海ジャズの声の商標だった。
生まれた背景
1917 年ロシア革命後、多数の白系ロシア人音楽家が上海に流入し、租界のダンスホール(百楽門 Paramount、大都会 Majestic、仙楽斯 Ciro's)で演奏するプロ・オーケストラを組んだ。1927 年に黎錦暉(1891-1967) が『毛毛雨』(小雨、姉妹の対話体で歌う童謡風のポップ)を発表、これが中国語ポップ史上初のヒット曲とされる。1930 年代に入るとフィリピン人ミュージシャン(Jimmy King ら)が英米ジャズを演奏し、後にカウント・ベイシー楽団のトランペッターとなる Buck Clayton が 1934-36 年に上海の Canidrome(逸園) で常駐した記録が残る。歌手側の頂点は周璇(1920-57)で、映画女優と歌手を兼ね、1937 年の映画『馬路天使』(袁牧之監督)の主題歌『天涯歌女』『四季歌』(いずれも作曲 賀綠汀) で不動のスターとなった。
聴きどころ
周璇の『天涯歌女』を聴くと、まず彼女の声の細さに驚くはずだ。オペラ的な胸声ではなく、鼻腔で共鳴させる細く甘い頭声で、この発声が「金嗓子」の商標となった。バックはピアノ+コントラバス+ジャズ・ドラムの三重奏に、彼女の声と時に二胡が絡む、極めて抑制された編成だ。姚莉の『玫瑰玫瑰我愛你』(1940)はビッグバンドの大編成で、後に Frankie Laine が『Rose Rose I Love You』として英訳、1951 年米ビルボード 3 位を獲得、中国語ポップ史上初の国際ヒットとなった。白光の『秋夜』はソプラノ全盛の時代に敢えてアルト・ハスキー声で歌う異色作で、「魔性の低音」と呼ばれた彼女の商標。周璇の『夜上海』(1946) は上海ジャズの都会性を最も直接的に伝える曲で、Fox-trot の跳ねる 4 拍子が夜のダンスホールの熱気を封じている。
発展
1930-40年代を通じて姚莉(1922-2019、『玫瑰玫瑰我愛你』1940が英語版 Rose Rose I Love You として1951年 Frankie Laine のカバーで米ビルボード Best Sellers 3位)、白光(1921-99、低音ハスキーの成人向け歌唱)、李香蘭(1920-2014、日本人 山口淑子、満映時代から)、李麗華、龔秋霞ら7大歌姫と呼ばれる世代が並び立った。1949年の建国後、共産党は上海ジャズを「靡靡之音(退廃的な音)」として禁圧、多くの歌手・作曲家(黎錦光、姚敏、姚莉)が香港に亡命した。この亡命集団が1950-60年代の Cantopop 初期と Mandopop の原型を作り、鄧麗君は李香蘭・周璇の直系の後継として1970年代に登場する。
出来事
- 1927: 黎錦暉『毛毛雨』
- 1934-36: Buck Clayton 上海 Canidrome 常駐
- 1937: 周璇『天涯歌女』『四季歌』
- 1940: 姚莉『玫瑰玫瑰我愛你』
- 1946: 周璇『夜上海』『何日君再來』
- 1949: 建国、禁圧、香港へ亡命
派生・影響
Mandopop の直接の祖先。1950年代以降の香港/台湾国語時代曲(葛蘭、崔萍、青山)を経て鄧麗君に接続。米スウィング(swing)との直系親子関係。
音楽的特徴
楽器サックス、トランペット、トロンボーン、ピアノ、コントラバス、ジャズ・ドラム、時に二胡、琵琶、揚琴、ボーカル
リズムスウィング4/4、Fox-trot、時にタンゴ・リズム、稀に中国五拍子
代表アーティスト
- Zhou Xuan (周璇)
- Yao Lee (姚莉)
- Bai Guang (白光)
代表曲・古典
何日君再來 — Zhou Xuan (周璇) (1937)
四季歌 — Zhou Xuan (周璇) (1937)
天涯歌女 — Zhou Xuan (周璇) (1937)
玫瑰玫瑰我愛你 — Yao Lee (姚莉) (1940)
夜上海 — Zhou Xuan (周璇) (1946)
蘇州河邊 — Yao Lee (姚莉) (1946)
秋夜 — Bai Guang (白光) (1947)
如果沒有你 — Bai Guang (白光) (1948)
日本との関係
上海ジャズと日本の関係は極めて直接的で、しばしば混沌としている。李香蘭(1920-2014、本名 山口淑子)は日本人でありながら中国語で歌い、満州映画協会(満映)所属で日中両側で活動、戦後日本に帰国し「山口淑子」として国会議員(参議院)まで務めた稀有な人物だ。彼女の代表曲『夜來香』(1944)は 1936 年に黎錦光が作曲した原曲を彼女が歌って上海で大ヒットさせたもので、鄧麗君が 1978 年に日本語版として録音して再ヒットさせた。周璇の『夜上海』は 1957 年、彼女の死の年に日本で「上海ノスタルジー」として一時的ブームとなった。1980 年代以降、日本のジャズ・シンガーが上海ジャズを日本語カバーする流れが定期的に起き、青江三奈、由紀さおり、そして 2010 年代の Chihiro Yamanaka(山中千尋)らがレパートリーに取り込んでいる。
初めて聴くなら
最初は周璇『夜上海』(1946)、これが上海ジャズの声と世界観の代名詞だ。次に『天涯歌女』(1937)、映画『馬路天使』の主題歌としても知られる。姚莉『玫瑰玫瑰我愛你』(1940)は米ヒットの原曲として重要、白光『秋夜』はソプラノ全盛時代のアルトの異形として耳を開かせる。深夜、モノラルのスピーカーで、1930-40 年代 SP 盤のノイズを愛でながら聴くのが本来の作法に近い。Sony Music が復刻した『上海老歌 1940s』(2005 CD 化)が入り口として最良のコンピレーションだ。
豆知識
1949 年建国後、共産党は上海ジャズを「靡靡之音(退廃的な音)」と烙印し、演奏・録音を全面禁止した。多くの歌手・作曲家(黎錦光、姚敏、姚莉、白光)が香港に亡命し、この亡命集団が 1950-60 年代の香港国語時代曲、そして 1970 年代の 広東ポップ 初期を作った。鄧麗君(1953-95)は上海ジャズの直系の後継として現れ、1970 年代日本で『何日君再來』を歌った時に、原曲が周璇の 1937 年録音であることを日本人にも紹介した。李香蘭は 1945 年 8 月の日本敗戦時に「中国人漢奸(売国奴)」として上海で拘留されたが、日本国籍が証明され戦犯裁判を免れ、日本に帰国した。彼女の自伝『李香蘭 私の半生』(1987) は日本でベストセラーとなった。
