ラテン・カリブ
マンボ
Mambo
キューバ/メキシコ/米国 / カリブ海 · 1938年〜
1940年代キューバで成立した、ソン・クバーノとアフリカ系儀礼音楽が交わる、ホーンが叫ぶ高速ダンス音楽。
どんな音か
1940年代キューバ生まれのビッグバンド・ダンス音楽。BPM 130〜180。ピアノ、コントラバス、トランペット・サックス・トロンボーンのホーンセクション、コンガ、ボンゴ、ティンバレス、ヴォーカル。リズムは「クラーベ」(2小節の基本パターン)が支配し、ホーンセクションが激しく合いの手を入れる。歌は男声・女声両方、スペイン語、コール&レスポンス形式が多い。歌詞はダンス、恋愛、ストリート。録音はホーンの分厚さとパーカッションの細かさを両立させるバランス。
生まれた背景
1938年、キューバのアルセニオ・ロドリゲス(トレス奏者・作曲家)が、ソン・クバーノのリズムを変奏した「マンボ」を試み始めた。1940年代後半にダマソ・ペレス・プラード(キューバ出身、メキシコシティで活動)が「マンボ No.5」を発表、ビッグバンド形式のマンボを世界化した。1950年代前半にアメリカ合衆国でも大流行、ティト・プエンテ、ティト・ロドリゲス、マチートが「マンボ・キング」と呼ばれた。1955〜60年に「チャチャチャ」(より単純で踊りやすい派生)に主流の座を譲ったが、現在もサルサ・ビッグバンドの基本的な編成・リズム感覚として継続している。
聴きどころ
ホーンセクションのキメ(短い合奏フレーズ)が2〜4小節おきに入る規則性。ピアノの「モントゥーノ」(2小節の繰り返しパターン)。ベースの「トゥンバオ」(3拍目から入る独特のシンコペーション)。ティンバレス(2連の金属太鼓)のソロが入るところは見せ場。
発展
1950年代のニューヨークで「マンボ・キング」(マチート、ティト・プエンテ、ティト・ロドリゲス)がパラディウム・ボールルームを拠点に発展させ、アメリカン・ジャズと深く交差した。1950年代末にチャチャチャに席を譲り、1960年代以降サルサに統合された。
出来事
- 1938: アルカニョが「マンボ」セクション導入
- 1948: ペレス・プラドがメキシコで『マンボ・No.5』
- 1951: パラディウム全盛期
- 1959: キューバ革命
派生・影響
ソン・クバーノから派生してマンボが成立、続いてチャチャチャ、サルサへ展開。アフロ・キューバン・ジャズとも深く交差。
音楽的特徴
楽器ピアノ、ホーンセクション、コンガ、ボンゴ、ティンバレス、声
リズムクラベ2-3、モントゥーノ、ホーン・マンボ・セクション
代表アーティスト
- Machitoキューバ/アメリカ合衆国 · 1940年〜1984
- Pérez Pradoキューバ/メキシコ · 1942年〜1989
- Tito Puenteアメリカ合衆国/プエルトリコ · 1948年〜2000
代表曲
Mambo No. 5 — Pérez Prado (1949)
Ran Kan Kan — Tito Puente (1949)
Mambo Jambo — Pérez Prado (1950)
Mambo No. 8 — Pérez Prado (1950)
日本との関係
1955年のペレス・プラード『マンボ No.5』が日本でも大流行、ダンスホールで踊られた。1990年代の映画『私の頭の中の消しゴム』(韓国2004)など、各国の映画でマンボが「ノスタルジア音楽」として使われる。日本独自のマンボ・シーンは小さいが、ラテン・ダンス愛好者の間で基本ジャンル。
初めて聴くなら
1曲だけ聴くなら、Pérez Prado『マンボ No.5』(1949)。マンボの世界的代表。Tito Puente『Ran Kan Kan』、Machito『マンボ Inn』。映画『Buena Vista Social Club』も入りやすい。
豆知識
Pérez Prado『マンボ No.5』(1949)はLou Bega(ドイツ系)が1999年にカバーして再び世界的な大ヒットを記録した。「マンボ」の語源はバントゥー語の「mambo(対話)」が有力。アルセニオ・ロドリゲス(マンボの先駆者)は失明したまま音楽活動を続け、1970年に58歳で死去した。
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