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ロック・メタル

チリ・ロック

Chilean Rock

サンティアゴ/コンセプシオン / チリ / 南米 · 1979年〜

別名: Rock chileno

ピノチェト独裁下と民主化移行期のサンティアゴで、Los Prisionerosを起点に開花したロック・エン・エスパニョール。

どんな音か

チリ・ロックの核は、1979年サンティアゴ南部サン・ミゲル区で結成されたLos Prisionerosによる、ピノチェト軍事政権(1973-1990)への直接的な批判を装備したポスト・パンク/ニュー・ウェーブだ。3人組(ホルヘ・ゴンサレス、ミゲル・タピア、クラウディオ・ナランホ)の編成にドラムマシンとシンセを加え、シンプルなコード進行と鋭い政治的歌詞を組み合わせた彼らの1986年作『El フラメンコ・バイレ de los que Sobran』は「余った者たちのダンス」というタイトルで階級社会を告発し、1988年の国民投票でピノチェト政権を退けた「No」キャンペーンの実質的な世代賛歌となった。同世代にはヌエバ・カンシオンとプログレッシブ・ロックを融合したLos Jaivas、90年代のLos Tres、2000年代のLos Bunkersが並ぶ。

生まれた背景

Los Prisioneros以前、1970年代前半にはLos Jaivas(1963結成、ビニャ・デル・マル)がヌエバ・カンシオンとプログレッシブ・ロックを融合させた「アンデス・プログレ」を実践しており、1972年の『Todos Juntos』はアジェンデ政権期の楽観主義を象徴する曲となった。ピノチェト・クーデター後の亡命期を経て、彼らは1981年『Alturas de Macchu Picchu』でパブロ・ネルーダの詩をコンセプト化した傑作を残した。1990年代の民主化以降、Los Tres(1987結成、コンセプシオン)がボレロ、クエカ、ロックを混ぜたロック・ラティーノで登場、2000年代前半にはLos Bunkers(1999結成、コンセプシオン)がビートルズ譲りのブリティッシュ・ポップ路線でシーンを継いだ。

聴きどころ

Los Prisionerosの『El フラメンコ・バイレ de los que Sobran』(1986)の歌詞に集中してほしい。「同じレースをすると信じ、同じスタートを切ると信じていた/私たちは踊るために生まれた/余った者たちの踊り」——シンプルなコード進行と、ホルヘ・ゴンサレスの平板だが冷ややかな歌唱が、当時のチリの階級社会への告発になっている。Los Jaivasの『Todos Juntos』を聴くと、ケーナのアンデス的な旋律の下でロック・ドラムが4/4を刻んでおり、これがチリ独自の「アンデス・プログレ」の構造だ。Mon Laferteは2020年代前半のチリ・ロックの唯一の国際的スターで、彼女のノルテーニョ調のヴォーカルにチリ・ロックの現在を聴くことができる。

発展

2010年代以降はチンビ・チンビ、Mon Laferte(1983-、後半期はメキシコ拠点)、Álex AndersonのGepe、Javiera Menaといったソロ・アクトが個別に国境を越え、ジャンル単位の輸出よりも個の才能で外に届く形に成熟した。

出来事

  • 1972: Los Jaivas『Todos Juntos』
  • 1981: Los Jaivas『Alturas de Macchu Picchu』
  • 1984: Los Prisioneros『La Voz de los 80』
  • 1986: Los Prisioneros『El Baile de los que Sobran』
  • 1988: Noキャンペーンで政権終焉

派生・影響

Latin Alternative、Cumbia Chilenaの一部電化系(Chico Trujillo)、Mon Laferte経由のノルテーニョ寄せクロスオーバー。

音楽的特徴

楽器エレキギター、ベース、ドラム、キーボード、ボーカル、時にケーナやチャランゴ

リズムニュー・ウェーブの4/4を土台にヌエバ・カンシオン由来のアコースティック・パッセージが混入

代表アーティスト

  • Los Jaivasチリ · 1963年〜
  • Los Prisionerosチリ · 1979年〜2006
  • Los Tresチリ · 1987年〜
  • Los Bunkersチリ · 1999年〜
  • Mon Laferteチリ/メキシコ · 2003年〜

代表曲・古典

代表曲・現在

日本との関係

日本でのチリ・ロックの認知は極めて薄く、Los Jaivasの1981年『Alturas de Macchu Picchu』がワールドミュージック好きの一部に届いた程度が実情だ。Los Prisionerosは政治的な文脈と切り離しては理解しにくいこともあり、日本での紹介はいまだ体系的に行われていない。近年、Mon Laferte(2010年代からメキシコ拠点、2016年『Amárrame』でヒット)が国境を越えたラテン・アメリカ合衆国のオルタナ・スターとして日本の一部のリスナーに届き始めており、この経路がチリ・ロックへの新しい入り口になっている。国内でスペインロックを演奏するグループはほぼ存在しない。

初めて聴くなら

最初はLos Prisioneros『El フラメンコ・バイレ de los que Sobran』(1986)、これは政治的文脈を知らなくても、平板な歌唱と鋭い歌詞の緊張感で体感できる。Los Jaivas『Todos Juntos』(1972)でアンデス・プログレの温度を確認し、続いて『Sube a Nacer Conmigo Hermano』(1981)でネルーダ詩集のロック・オペラ化を体験する。Los Tres『Amor Violento』(1991)は90年代のロック・ラティーノの代表曲。現代寄りならMon Laferte『Amárrame』(2016)がクロスオーバーの入り口になる。

豆知識

Los Prisionerosは1988年の『No』キャンペーンで象徴的な役割を果たしたが、皮肉なことにピノチェト時代を通じて彼らの音楽はチリ国営ラジオ(RAdio Nacional)で放送禁止のままだった。ホルヘ・ゴンサレスは民主化後の1990年代にソロ活動に転じ、テクノ寄りの作品も残している。Los Jaivasのドラマー Gabriel Parraは1988年8月、ボリビア・コチャバンバでの自動車事故により死去、その兄弟のClaudio Parraがバンドの中核として活動を継続した。ボーカルのGato Alquinta(本名Eduardo Alquinta)は2003年3月にチリ・ラ・セレナの海岸で溺死している。1988年の『No』キャンペーンの中心的な選挙広告曲『La alegría ya viene』は、実はLos Prisionerosの曲ではなく複数のチリ・ミュージシャンの合作だったが、彼らの精神的な貢献は決定的だった。

影響・派生で結ばれたジャンル

チリ・ロックを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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