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伝統・民族

ヌエバ・カンシオン

Nueva Canción

サンティアゴ / チリ / 南米 · 1960年〜

別名: Nueva canción chilena / New song / 抵抗歌

アンデス民謡を土台にしたラテンアメリカの抵抗歌。

まずはここから

ひとことで言うとアンデス民謡を土台にしたラテンアメリカの抵抗歌。

まずはこの曲からVioleta ParraGracias a la Vida ▶ YouTube

代表的な人Violeta Parra

どんな音か

ケーナやチャランゴといったアンデスの民族楽器とアコースティック・ギターを軸に、社会的メッセージを込めて歌うラテンアメリカ合衆国ヌエバ・カンシオン。装飾を抑えた素朴な伴奏と、語りかけるような誠実なボーカルが核にある。土地・貧困・尊厳・連帯を主題に、商業歌謡とは一線を画す質朴さを保つ。

聴きどころ

ヌエバ・カンシオンを聴く時は「歌詞と歌唱の直接性」に集中してほしい。ビクトル・ハラの『Te Recuerdo Amanda』(1968)は、工場でスト参加中の恋人アマンダの姿を、5分間のスペイン語で語り歌う曲で、伴奏はギターとハーモニーの後衛のみだ。この「装飾を極限まで削ぎ落とした」形式が、ヌエバ・カンシオンの音の中核だ。ビオレータ・パラの『Gracias a la Vida』(1966)は自殺の直前に書かれた曲で、生命への感謝を10のブロックで積み上げる構造になっており、彼女のかすれた声質が意図的に「素人的」に響くように録音されている。メルセデス・ソーサ(アルゼンチン)の低い女性ボーカルは、この形式を国境を超えて汎ラテン・アメリカ合衆国の標準にした。

初めて聴くなら

最初はビオレータ・パラ『Gracias a la Vida』(1966)、これはヌエバ・カンシオンの決定曲の一つで、生涯の総決算としての詩と、彼女の意図的に生々しい歌唱が体感できる。次にビクトル・ハラ『Te Recuerdo Amanda』(1968)、5分間の直接的な詩と、後の殺害を予兆する政治的緊張が音として伝わる。メルセデス・ソーサ『Alfonsina y el Mar』(1969、女性詩人アルフォンシナ・ストルニの自殺を主題)で汎ラテン・アメリカ合衆国の拡張を確認する。ビクトル・ハラの遺作『Manifiesto』(1974、死後発表)は彼が「私はビクトル・ハラだから歌う」と繰り返す自己肯定の詩で、殺害直前の意志表明として決定的だ。

代表アーティスト

  • Violeta Parraチリ · 1950年〜1967
  • Víctor Jaraチリ · 1957年〜1973
  • Los Jaivasチリ · 1963年〜
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  • Mercedes Sosaアルゼンチン · 1965年〜2009
  • Quilapayúnチリ · 1965年〜

代表曲

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生まれた背景

1960年代、チリでビオレータ・パラが各地の民謡を採集・再創造したことが源流となり、ビクトル・ハラやキラパジュンが社会変革の運動と結びついて「チリの新しい歌」を形づくった。アジェンデの人民連合政権を支える文化運動として広がり、アルゼンチンのメルセデス・ソーサらを通じてラテンアメリカ合衆国全域へ波及した。

音楽的特徴の詳細

楽器アコースティック・ギター、ケーナ、チャランゴ、ボンボ、声

リズムアンデス民謡由来の旋法、簡素な伴奏、語りかけるボーカル

発展

1973年のチリ軍事クーデターでビクトル・ハラが逮捕・拷問の末に殺害され、多くの音楽家が亡命を強いられた。弾圧は逆にこの音楽を国際的な連帯の象徴へと押し上げ、亡命先の欧州やメキシコで継承された。

出来事

  • 1966年: ビオレータ・パラが『Gracias a la Vida』を発表。
  • 1970年: サルバドール・アジェンデの人民連合政権が成立。
  • 1973年: チリ軍事クーデター、ビクトル・ハラが殺害される。

派生・影響

ブラジルのトロピカリアと並ぶ60-70年代ラテンアメリカの抵抗音楽。後のラテンフォークやワールドミュージックにも影響を残した。

日本との関係

日本での認知は、ビクトル・ハラの1973年9月16日のピノチェト・クーデター後の惨殺という悲劇的な物語と強く結びついている。彼の『Te Recuerdo Amanda』は日本の平和教育・音楽教育の教材(『アマンダの思い出』)としても採用され、1970年代の日本フォーク運動と直接的に呼応した。愛知県(名古屋)のManda Beat Festival(1978年開始、現在も継続)はビクトル・ハラの命日である9月16日に近い日程で毎年開催されており、日本ヌエバ・カンシオン受容の中心的拠点となっている。ビオレータ・パラの『Gracias a la Vida』は日本のシンガー・ソングライターのカバー・レパートリーの定番。

豆知識

ビオレータ・パラは1967年2月5日、49歳で自殺した。彼女はチリの民俗音楽の全国採集を10年以上行った民族音楽学者でもあり、彼女の録音アーカイブ(サンティアゴのビオレータ・パラ財団所蔵)はチリ民俗音楽の最重要資料になっている。

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ビクトル・ハラは1973年9月16日、ピノチェト・クーデターから5日後にサンティアゴのエスタディオ・チレ(サッカースタジアム、後にエスタディオ・ビクトル・ハラに改名)で、拷問された後に機関銃で処刑された。彼の遺体には40発以上の銃創があった。エスタディオ・ビクトル・ハラでは、いまも毎年9月16日に彼を追悼する無料コンサートが開催されている。2018年、ビクトル・ハラ殺害の実行犯とされる元軍人8人がチリ最高裁により有罪判決を受けた。

影響・派生で結ばれたジャンル

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ヌエバ・カンシオンを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

ヌエバ・カンシオン の系譜全体図(多段)を見る

感触が近い系譜も地域も違うのに、聴くと通じるジャンル

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