ファンキ・カリオカが描くリオ
DJ Marlboro がマイアミから持ち帰ったレコードから Anitta のグラミー候補までの4世代
3行まとめ
- ファンキ・カリオカは、DJ Marlboroがリオのファヴェーラで回したマイアミ・ベースの低音から始まった。
- プロイビダォン、女性MC、150 BPM、MTGへ姿を変えても、音の住所はずっとリオの周縁に残っていた。
- Anittaの世界的成功は、輸入された12インチが30年かけて完全にポルトガル語のポップへ変わった証拠だ。
ラテン・カリブ
1989 年、DJ Marlboro がマイアミから持ち帰った一枚
リオ北地区の深夜、スピーカーの壁の前で、ある DJ がマイアミから持ち帰った一枚をかけた。1989 年——ファンキ・カリオカが産声を上げた瞬間とされる。かけたのは Fernando Luiz Mattos da Matta、通称 DJ Marlboro。Miami Bass は、重低音とダンス向けのビートを前面に押し出した音楽だった。その速いテンポと低音の効いた質感は、ファヴェーラのサウンド・システム文化にそのまま馴染んだ。偶然ではない。スピーカーの壁も、MC が場を仕切る伝統も、そして 1970 年代のソウル・シーン以来リオのバイレ(ダンス・パーティ)を動かしてきた、深夜のダンスホールを汗で満たすあのエネルギーも、すでにファヴェーラに備わっていたからだ。
Marlboro が加えたのはプロダクションだ。彼はサンプリングした Miami Bass のブレイクビーツ——当時のリオでよく回っていた輸入ループのひとつ、DJ Battery Brain の『8 Volt Mix』(1988)のような曲は、のちのファンク・ビートの骨格になった——の上に、リオのファヴェーラ出身のポルトガル語 MC の声を乗せていった。その成果のひとつが、彼の名を広めたコンピレーション『Funk Brasil』(1989)である。マイアミの音楽がリオに入ってきてから3年ほどで、この新しいジャンルはブラジルらしい名前(funk carioca、または単に funk)と、はっきりブラジルらしいリズム感覚を手にしていた。
禁じられた歌——プロイビダォンの時代
1990 年代を通じて 2000 年代初頭まで、ファンキ・カリオカは中産階級の耳にはほとんど届いていなかった——一方でファヴェーラでは、それが日常生活に流れ続けるサウンドトラックそのものだった。ジャンルの最も論争を呼んだ一派(下位ジャンル)、プロイビダォン(ポルトガル語で「きわめて禁じられたもの」の意。麻薬密売組織への忠誠を歌詞に込めたため、こう呼ばれた)では、MC たちがファンクの土台となるリズムの上に、リオの組織化された麻薬密売派閥のどちらかへの明示的な忠誠を込めてラップした。コール、スローガン、テリトリーの主張が歌詞に織り込まれていた。これらのレコードは CD-R で流通し、やがて初期の YouTube チャンネルでも流れた。商業ラジオでかかることはまずなかった。
この時期はまた、ファンキ・カリオカ最初の女性スターを生んだ。MC Tati Quebra-Barraco の 2004 年シングル『Sou Feia Mas Tô Na Moda』——おおまかに訳せば「私はブスだけど流行ってる」——は、露骨きわまりない歌詞を、堂々とした自分の見せ方と一体にした。女性の欲望を正面から歌うことを、ブラジル・ファンクの明確な主題に据えたのだ——世界のメインストリーム・ポップが同じことをするようになる10年も前に。女性の欲望をニューヨーク・ラップで切り開いた Lil' Kim や Foxy Brown と同じことを、Tati Quebra-Barraco、Deize Tigrona、そして同世代の小さなグループは、数年遅れでリオ・ファンクでやってのけた。
150 BPM、MTG、そしてファンクの高速化
2010 年代に起きた技術的な変化は、テンポだった。DJ Polyvox や DJ R7——バイレの現場で鳴らすことだけを考えた作り手たち——は、従来のファンキ・カリオカのビートを 130 BPM 前後から押し上げ、tamborzão(このジャンルを特徴づける、ループするドラム・パターン)を、シンプルなキックとスネアへ削ぎ落とした。さらに montagem(MTG)と呼ばれる長尺ミックスのフォーマットも開発した。これは 10〜15 分におよぶ連続再生のミックスで、たいていは1つの短いボーカル・フレーズを切り刻んで軸に据える。ラジオで流すためではなく、会場のサウンド・システムで鳴らすことだけを目的に作られた、バイレ専用の形式だった。2010 年代後半、2018 年ごろには DJ Rennan da Penha——芸名は「ペーニャ地区の」を名乗るが、実際の活動拠点はリオの別地区 Complexo da Maré(ノヴァ・オランダ)だった——らがテンポをさらに押し上げ、バイレを席巻する 150 BPM の高速ファンクをつくり上げた。
並行して、チャート向けのよりポップ寄りのファンキ・カリオカが作られていた。MC Anitta——本名 Larissa de Macedo Machado、リオ北地区 Honório Gurgel の貧困地区出身——は 2013 年に最初のヒットを出し、数年のうちにブラジルを代表するポップスターとなった。のちには Spotify でブラジル史上最多級のストリームを記録することになる。Anitta のファンクは 1990 年代のプロイビダォンではない。グローバルなポップ・オーディエンス向けに作られたファンクで、英語、スペイン語、ポルトガル語のヴァースを混ぜ、Cardi B、Bad Bunny、Major Lazer とコラボし、tamborzão のリズムを Coachella のステージに収まる形へ意識的に翻訳する。
4世代が共有しているもの
Anitta は 2022 年の活躍により、第65回グラミー(2023 年)最優秀新人賞にノミネートされた。ブラジル人がこの部門に挙がるのは、ボサノヴァのアストラッド・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンがノミネートされた 1965 年から数えて 58 年——いわば一巡りである。1989 年に DJ Marlboro が輸入した Miami Bass のレコードが、リオのファヴェーラ訛りのポルトガル語へすっかり書き換えられて里帰りするまでには、まるまる一世代分の時間がかかった。両端の間には4世代が並ぶ。Marlboro の輸入ループ世代、1990 年代のプロイビダォン MC たち、2010 年代の 150 BPM プロデューサーたち、そして Anitta が今ヘッドラインに立つポップ・ファンク世代。
テンポや楽器編成以上に彼らを繋いでいるのは、地理だ。ファンキ・カリオカは最もグローバル化された形でさえ、リオのファヴェーラの住人が作り、その多くは住人自身のために鳴る音楽でありつづける——Cidade de Deus、Complexo do Alemão、Rocinha、Honório Gurgel。サウンド・システムはいまも中心的な制度であり、バイレ(ダンス・パーティ)はいまも曲の真価が試される場であり、MC は、Bad Bunny の曲に客演するときでさえ、Marlboro がポルトガル語版を作った 2 Live Crew のような輸入ヒップホップと、DJ Battery Brain の『8 Volt Mix』に連なるビートの上でラップしている。ジャンルの届く範囲は三十年で広がった。鳴らす相手は変わっていない。
作者のひとこと
『Sou Feia Mas Tô Na Moda』を聴くと、ファンキ・カリオカが単なるダンス音楽ではなく、リオの場所感覚をそのまま持っていることが伝わります。
