ヤシ酒音楽
19世紀末から20世紀前半、西アフリカ沿岸の港町のヤシ酒バーで生まれた、アコースティック・ギター主体の口ずさむ音楽。
どんな音か
パーム=ワイン(ヤシ酒)音楽は、19世紀末から20世紀前半にかけて、西アフリカ沿岸の港湾都市(アクラ、フリータウン、モンロヴィア、ラゴス、そして西インド諸島との交易船が行き来した中継地)で生まれた、アコースティック・ギター主体の口ずさむ音楽だ。編成は驚くほど簡素で、6弦アコースティック・ギターに、木製の箱を叩くリムボックスかフレーム・ドラム、シェーカー、時にコンサーティーナやハーモニカが加わる。ギター奏法は「ツー・フィンガー・ピッキング」と呼ばれ、親指が低音のベース・ラインを一定に刻み、人差し指が高音の旋律とハーモニーを取る、アメリカ合衆国のカントリー・ブルースの奏法に近い形式だ。歌はクリオ語(シエラレオネ)、ファンティ語やガ語(ガーナ)、時にピジン英語で、酒場の噂話、船員の失恋、街の出来事を語る。テンポは緩やかで、録音は乾いており、楽器の間の隙間が広い。
生まれた背景
起源は19世紀末、西アフリカの港にリベリア沿岸のクル族(Krou、Kru)の船員が寄港し、彼らがヨーロッパ商船から手に入れたアコースティック・ギターを浜辺の酒場に持ち込んだことだった。クル族の船員は西インド諸島とラゴス、アクラ、フリータウンを行き来しており、カリプソやメレンゲの跳ねるリズム感、キューバのソンのギター奏法、そして各地の民族旋律を混ぜ合わせた。ヤシ酒(発酵したヤシの樹液で作る安価な酒)を提供する庶民の酒場が最大の演奏場だったので、この音楽群は「パーム=ワイン・ミュージック」と総称された。1928年にガーナで録音された『Yaa Amponsah』(作者 Kwame Asare、通称 Sam)は現存最古のパーム=ワイン系録音の一つで、後のハイライフのギター・パターンの原型と評されている。
聴きどころ
発展
1950年代の SLBS(シエラレオネ放送)の登場で、S.E. Rogie(1926-1994)がスタジオ録音の代表格になった。ガーナ側では Sam(Kwame Asare) と Kwaa Mensah が二本柱で、彼らのギター奏法とハーモニーを直接受け継いだ楽団音楽こそが1930年代のダンス・バンド・ハイライフだった。1960年代以降はテレビとエレキ楽器の普及で衰退したが、S.E. Rogieの1994年ワールド・ミュージック期の再発見と、Koo Nimo(ガーナのフィンガー・ピッキング奏者、1934-)の欧州ツアーで細く命脈を保っている。
出来事
- 1928: 『Yaa Amponsah』録音(ガーナ最古のパーム=ワイン系録音)
- 1955: S.E. Rogie『My Lovely Elizabeth』(シエラレオネ)
- 1962: Koo Nimo、伝統音楽ツアー開始
- 1994: S.E. Rogie 死去(ロンドン公演中の心臓発作)
派生・影響
ハイライフ(ガーナ)、ジュジュ(ナイジェリア)、メレンゲ・ドミニカーナへ影響。パーム=ワイン奏法のツー・フィンガー・ピッキングは戦後の西アフリカ全域のギター奏者の基本語彙になった。
音楽的特徴
楽器アコースティック・ギター、リムボックス、シェーカー、時にコンサーティーナやハーモニカ、ボーカル
リズム緩やかな4/4か跳ねる6/8、ツー・フィンガー・ピッキングによる親指ベース+人差し指の交互パターン
代表アーティスト
- Kwaa Mensah
- S. E. Rogie
- Koo Nimo
代表曲・古典
My Lovely Elizabeth — S. E. Rogie (1955)
Wo Nsa Da Mu A — Kwaa Mensah (1962)
Osabarima — Koo Nimo (1976)
Please Go Easy With Me — S. E. Rogie (1994)
日本との関係
日本での認知はほぼゼロで、渋谷 El Sur Records、代々木 Music Circus といった専門店で S.E. Rogie の1994年 World Circuit 再発盤が細々と流通した記録が残る程度の接点しかない。
初めて聴くなら
豆知識
「パーム=ワイン・ミュージック」という呼称は、アフリカ音楽学者 Wolfgang Bender が1985年の著作『Sweet Mother』で体系化したのが最も広く参照される定義で、それ以前は「マリンガ(maringa、シエラレオネ)」「ハイライフ・ギター(ガーナ)」「モンロヴィア・スタイル」など地域ごとに別名で呼ばれていた。S.E. Rogie(本名 Sooliman Ernest Rogers、1926-1994)は1970年代にアメリカ合衆国オークランドに亡命、タクシー運転手として生計を立てながら音楽活動を続け、1990年代に英 World Circuit レーベルの Nick Gold が発掘して国際デビューを果たした。ロンドン公演のリハーサル中に心臓発作で死去した1994年、彼は68歳だった。
