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伝統・民族

ヌエバ・カンシオン・ラテンアメリカーナ

Nueva Canción Latinoamericana

チリ / アルゼンチン / ウルグアイ / キューバ / ブラジル / ベネズエラ / ラテンアメリカ · 1963〜1985年

別名: Pan-Latin nueva canción / Canción de protesta latinoamericana / New Song Movement

1960-80年代に大陸を横断した政治的歌謡運動。ビオレータ・パラからシルビオ・ロドリゲスまで。

どんな音か

音の特徴は装飾を極限まで削った素朴さである。編成の基本はアコースティック・ギター1本と独唱、そこにケーナ(アンデスの縦笛)、チャランゴ(小型リュート)、サンポーニャ(パン笛)、ボンボ・レギュエロ(アルゼンチンのパンパ太鼓)が加わる。旋律はアンデスのサヤ・カルナバリート(6/8)、アルゼンチンのサンバ・チャカレーラ(6/8)、キューバのソン(2/4)、時に自由リズムの朗唱調が混在する。歌詞は明瞭に発音され、詩性と政治性を等価に扱う。装飾を排し、直接的に語りかける声のスタイルはビオレータ・パラが確立、キラパジュンやインティ・イリマニのような合唱編成でも、独唱主義は一貫している。「歌謡ではなく詩」を編集原理にしたためコーラス、ハーモニー、フックといった商業ポップの要素は意図的に忌避された。

生まれた背景

1963年アルゼンチンのメンドーサで発表された『Manifiesto del Nuevo Cancionero』(アルマンド・テハーダ・ゴメス、メルセデス・ソーサら署名)と、同じ頃チリのビオレータ・パラがサンティアゴで開設したペーニャ・デ・ロス・パラ(民衆歌謡カフェ)が起点。パラ1966年『Gracias a la Vida』が母胎となり、ビクトル・ハラ、キラパジュン、インティ・イリマニがアジェンデ人民連合政権(1970-73)の文化的支柱として運動を発展させた。1973年9月11日ピノチェト・クーデターは決定的な転換点で、ビクトル・ハラは9月16日にサンティアゴのチリ・スタジアムで軍事政権に手を折られ44発を撃ち込まれ殺害された(享年40)。この虐殺以降、運動の担い手はヨーロッパ(パリ、ローマ、ストックホルム)へ亡命し、キューバのヌエバ・トロバ、ウルグアイのCanto Popular、ベネズエラのアリ・プリメーラ、ブラジルMPBを結節する汎ラテン・アイデンティティが亡命の共同体で鍛え直された。

聴きどころ

ビオレータ・パラ《Gracias a la Vida》はアルバム『Las Últimas Composiciones』(1966)版が原型で、ギター1本と静かな独唱の間にパラの息遣いまで録音されている。ビクトル・ハラ《Te Recuerdo Amanda》はサビが繰り返しの語り、5分の休憩で夫マヌエルに会いに走る労働者アマンダのイメージが具体的で、政治歌がドキュメンタリーの詩情を装備する時のモデルになった。キラパジュン《El Pueblo Unido Jamás Será Vencido》は6声の男性合唱がシンプルなコード進行の上を対位法的に絡み、ラストの拳を突き上げる合唱コーダは連帯運動の身体的記号として世界共通言語になった。メルセデス・ソーサ《Alfonsina y el Mar》はザンバ・チャカレーラの6/8跳ねの上を、詩人アルフォンシーナ・ストルニの入水自殺を海の孤独として歌う語り歌で、彼女の中低音の重心が言葉の重さを支える。

発展

1970年代後半以降、チリ・アルゼンチン・ウルグアイの担い手たちの多くはヨーロッパ(パリ、ローマ、ストックホルム)へ亡命し、亡命の共同体が汎ラテン・アイデンティティを鍛え直す場になった。キラパジュン、インティ・イリマニは17-15年に及ぶ亡命生活の間に大陸的レパートリーを完成させた(『El Pueblo Unido Jamás Será Vencido』1974の国際普及はこの過程で起きた)。1980-83年のフォーク・リバイバルとメルセデス・ソーサの帰国(1982年ブエノスアイレス13夜連続コンサート)が民主化移行の文化的伏線となった。1990年代以降、シルビオ・ロドリゲスが継続活動し、若手(2000年代のホルヘ・ドレクスレル、2010年代のナタリア・ラフォルカーデ、リアム・ガジェゴ)が伝統を現代的に更新した。

出来事

  • 1963: 『Manifiesto del Nuevo Cancionero』(メンドーサ)
  • 1966: Violeta Parra『Gracias a la Vida』
  • 1969: Víctor Jara『Te Recuerdo Amanda』、Mercedes Sosa『Alfonsina y el Mar』
  • 1973: ピノチェト・クーデター、Víctor Jara虐殺
  • 1974: Quilapayún『El Pueblo Unido Jamás Será Vencido』
  • 1982: Mercedes Sosaブエノスアイレス13夜連続復帰公演

派生・影響

ヌエバ・トロバ(キューバ、1967-)、MPB(ブラジル)、Canto Popular(ウルグアイ)、Nueva Trova Salvadoreña、スペインのcanción de autor、後のラテン・アメリカーナの政治的シンガーソングライター全体の親。

音楽的特徴

楽器アコースティック・ギター、ケーナ、チャランゴ、サンポーニャ、ボンボ・レギュエロ、時にピアノ、カホン、独唱と合唱

リズムアンデスのサヤ・カルナバリート(6/8)、アルゼンチン・サンバ(6/8)、キューバのソン、ミロンガ、時に自由リズムの朗唱調

代表アーティスト

  • Daniel Vigliettiウルグアイ · 1961年〜2017
  • Inti-Illimaniチリ · 1967年〜
  • Alí Primeraベネズエラ · 1969年〜1985

代表曲

その後の代表曲

日本との関係

日本には1970年代の学生運動期にキラパジュン、インティ・イリマニの音源が『民衆の歌』シリーズとして紹介され、1974年キラパジュン《El Pueblo Unido》は反戦・反公害運動の集会で頻繁に歌われた。メルセデス・ソーサは1980年代から複数回日本ツアーを行い、1994年NHKホール公演、2002年サントリーホール公演が代表的、彼女の存在はJポップ側のUAや矢野顕子ら女性シンガーソングライターにも影響を及ぼした。シルビオ・ロドリゲスは1991年、2005年、2019年に日本公演を行い、キューバ音楽ファン層と学生運動世代の両方に届いた。歌手・小室等はビクトル・ハラのカバー『あなたを覚えている』を1975年に発表、日本におけるヌエバ・カンシオン受容の起点の一つとなっている。

初めて聴くなら

最初の一曲はビオレータ・パラ《Gracias a la Vida》(1966、4分38秒)、次にビクトル・ハラ《Te Recuerdo Amanda》(1969、2分38秒)、そしてキラパジュン《El Pueblo Unido Jamás Será Vencido》(1974、2分44秒)。この三曲チリ側の起点・詩性・連帯の三つ組が完結する。続いてメルセデス・ソーサ《Alfonsina y el Mar》(1969、5分40秒)でアルゼンチン側、シルビオ・ロドリゲス《Ojalá》(1969)でキューバ側、アリ・プリメーラ《Casas de Cartón》(1974)でベネズエラ側と広げれば、汎ラテンの4か国分の入り口が揃う。アルバムとしてはキラパジュン『El Pueblo Unido』(1974、EMI Odeón)、メルセデス・ソーサ『Homenaje a Violeta Parra』(1971)、シルビオ・ロドリゲス『Días y Flores』(1975)を推す。

豆知識

《El Pueblo Unido Jamás Será Vencido》の作曲者セルヒオ・オルテガは1973年6月アジェンデ政権期に4時間で書き上げたと本人が回想している。9月クーデターの3か月前だった。フレデリック・ジェフスキーはこの曲を1975年にピアノ独奏用に《36の変奏》として作曲、ラテン政治歌謡が現代クラシック・ピアノ・レパートリー入りするという珍しい越境を実現した。ビクトル・ハラの遺体は事件当時ジェネラル墓地の一般埋葬地に投げ込まれたが、2003年に妻ジョアン・ハラの請願でようやく国葬が実施され、2018年にはハラ殺害の実行犯8名がチリ司法により有罪判決を受けた(判決は殺害から実に45年後)。ヌエバ・カンシオン運動は決して過去の音楽ではなく、その正義はいまだ現行の司法プロセスの上にある。

影響・派生で結ばれたジャンル

ヌエバ・カンシオン・ラテンアメリカーナを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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