ヌエバ・カンシオン・ラテンアメリカーナ
1960-80年代に大陸を横断した政治的歌謡運動。ビオレータ・パラからシルビオ・ロドリゲスまで。
まずはここから
ひとことで言うと1960-80年代に大陸を横断した政治的歌謡運動。ビオレータ・パラからシルビオ・ロドリゲスまで。
まずはこの曲からAtahualpa Yupanqui — Los Ejes de Mi Carreta ▶ YouTube
代表的な人Daniel Viglietti
どんな音か
音の特徴は装飾を極限まで削った素朴さである。編成の基本はアコースティック・ギター1本と独唱、そこにケーナ(アンデスの縦笛)、チャランゴ(小型リュート)、サンポーニャ(パン笛)、ボンボ・レギュエロ(アルゼンチンのパンパ太鼓)が加わる。旋律はアンデスのサヤ・カルナバリート(6/8)、アルゼンチンのサンバ・チャカレーラ(6/8)、キューバのソン(2/4)、時に自由リズムの朗唱調が混在する。歌詞は明瞭に発音され、詩性と政治性を等価に扱う。装飾を排し、直接的に語りかける声のスタイルはビオレータ・パラが確立、キラパジュンやインティ・イリマニのような合唱編成でも、独唱主義は一貫している。「歌謡ではなく詩」を編集原理にしたためコーラス、ハーモニー、フックといった商業ポップの要素は意図的に忌避された。
聴きどころ
ビオレータ・パラ《Gracias a la Vida》はアルバム『Las Últimas Composiciones』(1966)版が原型で、ギター1本と静かな独唱の間にパラの息遣いまで録音されている。ビクトル・ハラ《Te Recuerdo Amanda》はサビが繰り返しの語り、5分の休憩で夫マヌエルに会いに走る労働者アマンダのイメージが具体的で、政治歌がドキュメンタリーの詩情を装備する時のモデルになった。キラパジュン《El Pueblo Unido Jamás Será Vencido》は6声の男性合唱がシンプルなコード進行の上を対位法的に絡み、ラストの拳を突き上げる合唱コーダは連帯運動の身体的記号として世界共通言語になった。メルセデス・ソーサ《Alfonsina y el Mar》はザンバ・チャカレーラの6/8跳ねの上を、詩人アルフォンシーナ・ストルニの入水自殺を海の孤独として歌う語り歌で、彼女の中低音の重心が言葉の重さを支える。
初めて聴くなら
最初の一曲はビオレータ・パラ《Gracias a la Vida》(1966、4分38秒)、次にビクトル・ハラ《Te Recuerdo Amanda》(1969、2分38秒)、そしてキラパジュン《El Pueblo Unido Jamás Será Vencido》(1974、2分44秒)。この三曲でチリ側の起点・詩性・連帯の三つ組が完結する。続いてメルセデス・ソーサ《Alfonsina y el Mar》(1969、5分40秒)でアルゼンチン側、シルビオ・ロドリゲス《Ojalá》(1969)でキューバ側、アリ・プリメーラ《Casas de Cartón》(1974)でベネズエラ側と広げれば、汎ラテンの4か国分の入り口が揃う。アルバムとしてはキラパジュン『El Pueblo Unido』(1974、EMI Odeón)、メルセデス・ソーサ『Homenaje a Violeta Parra』(1971)、シルビオ・ロドリゲス『Días y Flores』(1975)を推す。
代表アーティスト
- Daniel Viglietti
- Inti-Illimani
- Alí Primera
代表曲
- Atahualpa Yupanqui — Los Ejes de Mi Carreta (1955)
- Violeta Parra — Gracias a la Vida (1966)
- Daniel Viglietti — A Desalambrar (1968)
もっと見る(あと6件)
- Mercedes Sosa — Alfonsina y el Mar (1969)
- Silvio Rodríguez — Ojalá (1969)
- Víctor Jara — Te Recuerdo Amanda (1969)
- Alí Primera — Casas de Cartón (1974)
- Quilapayún — El Pueblo Unido Jamás Será Vencido (1974)
- Silvio Rodríguez — Playa Girón (1975)
生まれた背景
音楽的特徴の詳細
楽器アコースティック・ギター、ケーナ、チャランゴ、サンポーニャ、ボンボ・レギュエロ、時にピアノ、カホン、独唱と合唱
リズムアンデスのサヤ・カルナバリート(6/8)、アルゼンチン・サンバ(6/8)、キューバのソン、ミロンガ、時に自由リズムの朗唱調
発展
1970年代後半以降、チリ・アルゼンチン・ウルグアイの担い手たちの多くはヨーロッパ(パリ、ローマ、ストックホルム)へ亡命し、亡命の共同体が汎ラテン・アイデンティティを鍛え直す場になった。キラパジュン、インティ・イリマニは17-15年に及ぶ亡命生活の間に大陸的レパートリーを完成させた(『El Pueblo Unido Jamás Será Vencido』1974の国際普及はこの過程で起きた)。1980-83年のフォーク・リバイバルとメルセデス・ソーサの帰国(1982年ブエノスアイレス13夜連続コンサート)が民主化移行の文化的伏線となった。1990年代以降、シルビオ・ロドリゲスが継続活動し、若手(2000年代のホルヘ・ドレクスレル、2010年代のナタリア・ラフォルカーデ、リアム・ガジェゴ)が伝統を現代的に更新した。
出来事
- 1963: 『Manifiesto del Nuevo Cancionero』(メンドーサ)
- 1966: Violeta Parra『Gracias a la Vida』
- 1969: Víctor Jara『Te Recuerdo Amanda』、Mercedes Sosa『Alfonsina y el Mar』
- 1973: ピノチェト・クーデター、Víctor Jara虐殺
- 1974: Quilapayún『El Pueblo Unido Jamás Será Vencido』
- 1982: Mercedes Sosaブエノスアイレス13夜連続復帰公演
派生・影響
ヌエバ・トロバ(キューバ、1967-)、MPB(ブラジル)、Canto Popular(ウルグアイ)、Nueva Trova Salvadoreña、スペインのcanción de autor、後のラテン・アメリカーナの政治的シンガーソングライター全体の親。
その後の代表曲
- Mercedes Sosa — Yo Vengo a Ofrecer Mi Corazón (1988)
日本との関係
日本には1970年代の学生運動期にキラパジュン、インティ・イリマニの音源が『民衆の歌』シリーズとして紹介され、1974年キラパジュン《El Pueblo Unido》は反戦・反公害運動の集会で頻繁に歌われた。メルセデス・ソーサは1980年代から複数回日本ツアーを行い、1994年NHKホール公演、2002年サントリーホール公演が代表的、彼女の存在はJポップ側のUAや矢野顕子ら女性シンガーソングライターにも影響を及ぼした。シルビオ・ロドリゲスは1991年、2005年、2019年に日本公演を行い、キューバ音楽ファン層と学生運動世代の両方に届いた。歌手・小室等はビクトル・ハラのカバー『あなたを覚えている』を1975年に発表、日本におけるヌエバ・カンシオン受容の起点の一つとなっている。
豆知識
《El Pueblo Unido Jamás Será Vencido》の作曲者セルヒオ・オルテガは1973年6月アジェンデ政権期に4時間で書き上げたと本人が回想している。9月クーデターの3か月前だった。
影響・派生で結ばれたジャンル
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感触が近い系譜も地域も違うのに、聴くと通じるジャンル
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