新ポルトガル歌謡
2010年代以降のポルトガル語シンガーソングライター復権。Salvador Sobral、António Zambujoがリーダー。
どんな音か
新ポルトガル歌謡(新ポルトガル歌謡)は、2010年代以降のポルトガルで、ファドの語りの伝統とジャズの和声、ボサノヴァのリズム感覚、シンガーソングライター的な内省を融合させた新世代の歌謡を指す。編成は音数を絞ったジャズ・トリオ(ピアノ、コントラバス、ドラム)や、ポルトガル・ギター+クラシック・ギター+コントラバスの室内楽的なアンサンブルが多い。BPM 60-100の抑えた4/4、時に7/8のシンコペーション、歌詞は日常の細部(朝のコーヒー、ビラの階段、雨の窓)と存在論的な問い(愛とは、死とは、私とは)を行き来する。名前は正式なムーブメント自称ではなく、批評家がこの世代を総称するために使う便宜的な呼称で、ジャンル境界はゆるやかだ。ファドとNova Cançãoの境界も溶解しており、Ana MouraやCarminhoといった新世代ファディスタはこちら側にも立っている。
生まれた背景
始点は2000年代半ば、アレンテージョ地方ベジャ出身のアントニオ・ザンブジョ(António Zambujo、1975-)が cante alentejano(アレンテージョの男声合唱)、ファド、ブラジル・ボサノヴァを溶かした個人的な様式を確立したことだ。2010年『Guia』、2012年『Quinto』、2014年『Rua da Emenda』、2019年『Do Avesso』でカルロス・ド・カルモ以降で最も洗練された男性シンガーとしての地位を確立した。同時期にリスボン出身のシンガーソングライター、サルバドール・ソブラル(Salvador Sobral、1989-)が姉ルイーザとの共作でスタンダード・ジャズと現代のシンガーソングライター音楽を融合させた作風を打ち出した。決定打は2017年5月、Salvadorが姉ルイーザ作の『Amar Pelos Dois』(2人分の愛)を歌い、ポルトガル史上初のEurovision優勝を果たしたことだ。彼は心臓移植を待つ状態でステージに立ち、Eurovisionの派手さと真逆の抑えた歌唱で全欧を沈黙させた。
聴きどころ
まずAntónio Zambujoの歌唱の抑制に耳を澄ませてほしい。彼は決して大きく歌わない。声を投げるのではなく、置く。ボサノヴァのJoão Gilbertoの後継者と評される所以で、リズムは声と楽器の間の『間』で成立する。次に『Amar Pelos Dois』のアレンジで、この曲はAメロがピアノとコントラバスのみ、サビでストリングスがふわりと入る。Salvadorはビブラートをほぼ使わず、フレーズの終わりの音を『息が続かなくなるまで』伸ばして途切れさせる——この途切れ方が感情を作る。ジャズ・スタンダードの語彙(II-V-I、テンションコード)がベースにあり、ファドのルバートとぶつかりつつ融合する。歌詞の日常性も聴きどころで、Zambujoの『Flagrante』は現行犯逮捕の警察用語(flagrante delito)を恋の比喩に使う、日常語をずらすタイプの詩作りが世代的な特徴だ。
発展
決定打は2017年5月のEurovision決勝で、Salvador Sobralが姉ルイーザ作の『Amar Pelos Dois』(2人分の愛)を歌い、ポルトガルとして史上初の優勝を果たしたことだった。心臓移植を待つ状態でステージに立ったSobralは、Eurovisionの派手さと真逆の抑えた歌唱で全欧を沈黙させ、ポルトガル語の歌謡が『世界の中央』で聴かれる瞬間を作った。同世代のMárcia、Ana Bacalhau、Aline Frazão、GISELAらが並走し、Marizaら国際的ファド世代とNova Cançãoの境界は次第に溶解している。
出来事
- 2010: António Zambujo『Guia』
- 2014: Salvador Sobral『Excuse Me』
- 2017: Salvador SobralがEurovision優勝(『Amar Pelos Dois』)
- 2019: Zambujo『Do Avesso』
- 2020s: Márcia、Aline Frazãoら新世代
派生・影響
ファドとフランスのchanson、ブラジルのMPB(música popular brasileira)、ジャズ・スタンダードの融合。Portuguese IndieやAntónio Zambujoを介したcante alentejanoの現代化とも接続する。
音楽的特徴
楽器クラシック・ギター、ポルトガル・ギター、ピアノ、コントラバス、ドラム、時にサックスやトランペット、ボーカル
リズム遅い4/4、7/8のジャズ的シンコペーション、ボサノヴァ由来の跳ねるスウィング、時にファド由来のルバート
代表アーティスト
- Ana Moura
- António Zambujo
- Salvador Sobral
代表曲・古典
Algo Estranho Acontece — António Zambujo (2010)
代表曲・現在
Rua da Emenda — António Zambujo (2014)
Excuse Me — Salvador Sobral (2016)
Flagrante — António Zambujo (2016)
Amar Pelos Dois — Salvador Sobral (2017)
Prometo Não Prometer — Salvador Sobral (2019)
日本との関係
Salvador Sobralの2017年Eurovision優勝はNHKでも報じられ、『Amar Pelos Dois』はYouTubeで日本人リスナーにも広く聴かれた。この曲は日本のジャズ・ボサノヴァ・ファンのプレイリストに定着し、Salvadorは2019年に来日、東京・大阪でジャズ・クラブでの単独公演を行っている。António Zambujoも2015年頃に来日公演を実現、ブラジル音楽ファン層に受け入れられている。より広い意味では、新ポルトガル歌謡世代は日本のシンガーソングライター(小山田圭吾、青葉市子、七尾旅人)と親和性が高く、非英語圏の内省的な歌謡という共通の位置にある。ジャズ喫茶ベイシー(岩手県一関市)などの深いリスナーが、この世代のポルトガル語歌謡を早くから紹介してきた実績もある。
初めて聴くなら
入り口は Salvador Sobral『Amar Pelos Dois』(2017)——3分の中に世代の全てが凝縮されている。次に彼の1st『Excuse Me』(2016)、ジャズ・スタンダードのカバーとオリジナルが半々の作品で、彼の音楽的な引き出しが見える。António Zambujoは『Flagrante』(2016)、彼の抑制の美学が最も明瞭な曲。より広く聴くなら『Rua da Emenda』(2014、アルバム)、ボサノヴァとファドの中間点。同世代の女性歌手ならMárcia『O Que Faço Hoje』(2011)、Ana Bacalhau『Nome Próprio』(2019)。深夜、あるいは日曜の朝、静かな部屋でヘッドホンで聴くのが向いている。この世代の音楽は音量を上げるより、周囲の音を落とすことで聴く音楽だ。
豆知識
Salvador Sobralの姉ルイーザ・ソブラルはEurovision『Amar Pelos Dois』の作詞作曲者で、実は彼女自身も優れたシンガーソングライターとして活動している。姉が書き、心臓移植を待つ弟がステージで歌ったこの曲は、Eurovisionの派手なポップ・パフォーマンスの伝統を破壊したと評された。Salvadorは受賞スピーチで『音楽は花火ではない、音楽は感情だ』と語り、この一言が新ポルトガル歌謡世代の美学的宣言として広く引用されている。彼は2017年12月に心臓移植手術を受け、2018年に復帰、以降活動を続けている。António Zambujoはアレンテージョ地方の伝統音楽 cante alentejano(2014年ユネスコ無形文化遺産)の男声合唱団で少年期を過ごし、その中低音の合唱感覚が彼のソロ歌唱の土台になっている——ポルトガルの地方文化と国際的洗練が同じ声の中に共存する例だ。
影響・派生で結ばれたジャンル
同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル
- ロック・メタルポルトガル・インディー
- ヒップホップ・R&Bポルトガル語ヒップホップ
- ポップピンバ
