モロッコ・ポップ
1970年代Abdel Wahab Doukkali、Naima Samihのタラブ〜ポップ橋渡し、90年代Latifa Raafat・Samira Saidの汎アラブ・デビュー、そして2010年代Saad Lamjarred・Douzi・Manalの商業的爆発と、半世紀にわたるモロッコ発アラビア語ポップの系譜。
まずはここから
ひとことで言うと1970年代Abdel Wahab Doukkali、Naima Samihのタラブ〜ポップ橋渡し、90年代Latifa Raafat・Samira Saidの汎アラブ・デビュー、そして2010年代Saad Lamjarred・Douzi・Manalの商業的爆発と、半世紀にわたるモロッコ発アラビア語ポップの系譜。
まずはこの曲からAbdel Wahab Doukkali — Kan Ya Ma Kan ▶ YouTube
代表的な人Abdel Wahab Doukkali
どんな音か
モロッコ・ポップは、2000年代以降のモロッコ発の現代アラビア語ポップスを指し、Saad Lamjarred、Douzi、Ihab Amir、Zouhair Bahaoui、Manalらを中心とする商業的な軸だ。エジプト・レバノン主導の汎アラブ・ポップ(Amr Diab、Elissa)と並走しつつ、モロッコ特有のダリージャ発音、gnawa/chaabiのリズム要素を軽く含む点で兄弟ジャンルから分岐する。BPM 90-115の4/4、シンセ主体のプロダクション、時に伝統打楽器(バンディール、ダラブッカ)のサンプルを織り込む。歌詞は恋愛が中心で、ダリージャと標準アラビア語(fusha)を混ぜ、フランス語のフレーズを挟むことも多い。ミュージック・ビデオはドバイ、パリ、時にモロッコの地方風景を舞台にした華麗なストーリーテリング型が支配的で、YouTubeでの視聴回数10億超の楽曲を複数持つ。エジプト・レバノン発のポップと違い、モロッコ・ポップはフランス市場も同時に狙う二重市場戦略が特徴だ。
聴きどころ
まずSaad Lamjarredの声質に耳を澄ませてほしい。彼の声は高音域に張りがあり、汎アラブ・ポップの標準的な男性歌手(Amr Diab、Tamer Hosny)より少し軽く、この軽さがモロッコ・ポップの地中海性を作っている。『Lm3allem』のイントロは、シャアビの跳ねるリズムを電子ドラムで刻み、シンセ・ホーンとレバノン風のストリングスが交互に鳴る構造で、モロッコとレバノンの音楽的橋渡しをそのまま形にしている。次にダリージャと標準アラビア語(fusha)の使い分けで、モロッコ・ポップの歌詞はサビをfushaで書き汎アラブ市場に届きやすくし、Aメロ・Bメロをダリージャで書きモロッコの若い聴衆に親密さを届ける、という二重言語戦略を取ることが多い。Manalの『Slay』はよりR&B寄りで、彼女はダリージャ+英語のミックスを試みる新世代の代表だ。ミュージック・ビデオの映像美学もこのジャンルの重要な要素で、しばしば楽曲より映像が先に議論される。
初めて聴くなら
起点として最初にAbdel Wahab Doukkali『Kan Ya Ma Kan』(1975)——モロッコ人歌手が汎アラブ・タラブに完全参加した歴史的な曲を通しで浴びる。次にNaima Samih『Jarh El Madi』(1980頃)、モロッコ・タラブ女性歌手の様式を、Latifa Raafat『Al Ghali』(1994)で1990年代の汎アラブ・デビュー期を、Samira Said『Ala Baly』(1996)で汎アラブ・スターの原型を辿る。ここから現代側に降りてきてSaad Lamjarred『Lm3allem』(2015)——アラビア語ポップ史上最大のヒット——、『ガザルi』(2018、復帰曲)、『Enty』(2013)、Douzi『Mama Loubnan』(2011、地中海ポップ的な明るさ)、Manal『Slay』(2019、女性シンガー新世代の代表)まで聴くと、半世紀の縦の時間が見える。より広く聴くなら Ihab Amir、Zouhair Bahaoui のヒット曲群を YouTube で追うのがいい。現代側はミュージック・ビデオを見ながら聴くのが正しい消費形態で、映像と音楽が不可分に結びついている。深夜のドライブ、あるいは午後のカフェで、大音量よりも中音量で流し聴きするのが向いている。
代表アーティスト
- Abdel Wahab Doukkali
- Naima Samih
- Samira Said
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- Latifa Raafat
- Douzi
- Saad Lamjarred
- Manal
代表曲
- Abdel Wahab Doukkali — Kan Ya Ma Kan (1975)
- Naima Samih — Jarh El Madi (1980)
- Latifa Raafat — Al Ghali (1994)
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- Samira Said — Ala Baly (1996)
生まれた背景
系譜的な起点は1960-70年代のAbdel Wahab Doukkali(1941年フェス生)で、彼は10代でエジプト・カイロに渡ってUmm Kulthum周辺の作曲家群と交流し、モロッコ人歌手として初めて汎アラブ・タラブ様式を完全に習得した。『Kan Ya Ma Kan』(『昔々』、1975)、『Marsool El Hob』(『愛の使者』)、『Kahrouba』(『琥珀』)が代表曲で、前アラブ・ポップ時代のモロッコの声を代表する存在となった。
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同時期、Naima Samih(1953年カサブランカ生)は10代でRTM(モロッコ国営放送)のオーディション番組『Mawahib』を通じて発掘され、以降半世紀にわたり『モロッコの声』と呼ばれた女性歌手として活動、『Jarh El Madi』(『過去の傷』、1980頃)、『Ana Malli Fiyach』、『Yak Ajarhi』などでモロッコ古典タラブとアラビック・ポップの橋渡しを担った——Saad Lamjarred世代のモロッコ・ポップの直接の母系にあたる。1990年代の転換はLatifa Raafat(1970年ラバト生、同じく『Mawahib』出身)の1994年アルバム『Al Ghali』(『愛しい人』)で、清潔なソプラノとエジプト・レバノン系プロダクションがモロッコ女性歌手の汎アラブ市場デビューの標準を作り、汎アラブ・チャート上位に立った最初のモロッコ女性歌手のひとりとなった。1976年に活動開始したSamira Said(1958年ラバト生)は1980年『Bitwannis Beek』の汎アラブ・ヒットで拠点をカイロに移し、1996年アルバム『Ala Baly』(『私の心に』)で年間ベストセラーを記録、『モロッコ産の汎アラブ・スター』の原型となった。この四半世紀の下地の上に、2000年代半ば以降のレバノン系Rotanaレーベル、UAE系MBCの汎アラブ音楽産業への本格参入の波が来る——Douzi(1985生、Nador出身、本名Abdelhafid Douzi)が2003年頃に活動開始、地中海ポップ寄りの明るい楽曲で汎アラブ市場に届いた。Saad Lamjarred(1985生、ラバト出身)は父Bachir Abdou、母Nezha Regraguiという音楽・演劇一家に生まれ、2007年頃から活動、決定打は2015年12月の『Lm3allem』(『マエストロ』の意)だ。この楽曲はリリース1年でYouTube 5億回、2020年時点で10億回を突破し、アラビア語ポップ史上最大のヒットとなった——スペイン語圏のDespacitoに相当する汎アラビア世界のフェノメナルな成功例だ。楽曲はモロッコ・シャアビのリズムに現代ポップのプロダクションを載せた構造で、モロッコ的なローカル性と汎アラブ的な普遍性を両立させた。
音楽的特徴の詳細
楽器シンセ、リズムマシン、時にウード、バンディール、ダラブッカ、時にエレクトリック・ギター、ストリングス、ボーカル(男女両方、オートチューン多用)
リズム汎アラブ・ポップの4/4(90-115BPM)、時にシャアビ由来の跳ねるビート、時にレゲトンの3-2クラーベ
発展
Saad Lamjarredは2013年『Enty』でカムバック、2015年『Lm3allem』以降アラブ世界最大のポップ・スターの位置を占めた。2016年10月のパリでの性的暴行疑惑の逮捕で危機を迎えたが、2018年ホテル・カルロス4世で撮影されたMV『Ghazali』で復帰、以降現在まで活動を続けている。同世代のIhab Amir(2009年ゾ・スーパー・スター優勝)、Zouhair Bahaoui、そして女性歌手ではManal(2010年代後半台頭、Salma Rachidらと並ぶ新世代)、Jenifa Lamjarrouda、Idohがモロッコ・ポップの重要な担い手だ。
出来事
- 1975: Abdel Wahab Doukkali『Kan Ya Ma Kan』
- 1980頃: Naima Samih『Jarh El Madi』
- 1994: Latifa Raafat『Al Ghali』(汎アラブ・デビュー)
- 1996: Samira Said『Ala Baly』年間ベストセラー
- 2003: Douzi デビュー期
- 2007: Saad Lamjarredソロ・キャリア開始
- 2015: Saad Lamjarred『Lm3allem』(YouTubeで10億回超)
- 2016: Saad Lamjarredのパリ逮捕
- 2018: 『Ghazali』で復帰
- 2020s: Manal、Jenifa Lamjarroudaら女性歌手世代
派生・影響
汎アラブ・ポップ(arabic-pop)の直接の子孫で、フランスのvariété françaiseとレバノンのpop libanaisと兄弟関係。近年はモロッコ・ヒップホップとの越境も進む(ElGrandeTotoとManalのコラボ等)。
その後の代表曲
- Saad Lamjarred — Enty (2013)
- Manal — Denya (2015)
- Saad Lamjarred — Ghazali (2018)
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- Manal — Slay (2019)
- Manal — Taj (2020)
- Saad Lamjarred — Lm3allem (2015)
- Douzi — Mama Loubnan (2011)
日本との関係
日本でのモロッコ・ポップ認知は Spotify、YouTube を通じて広がりつつあるが、まだ限定的だ。Saad Lamjarredの『Lm3allem』は日本の一部アラビア語学習者、中東文化愛好家の間で知られており、東京外国語大学のアラビア語学科では現代アラビア語ポップの教材として時折使われる。Manalは女性中心の R&B/ポップとして、日本の J-POP女性シンガー(iri、AI)のリスナー層と親和性がある。より広い意味では、モロッコ・ポップはアラブ世界の流通網を通じて日本の中東系レストラン、シーシャバー(水タバコ・バー)のBGMとして間接的に聴かれている——東京の代々木、大久保、大阪のシーシャ店では確実に鳴っている。ドバイ、シャルジャ経由のアラブ世界の音楽市場と日本のポップスは、直接的な交流はまだ薄いが、SNSを介した若年層のクロスオーバーは今後増える可能性がある。
豆知識
『Lm3allem』(2015)はYouTubeで10億回超の再生を記録し、アラビア語楽曲として史上初めてこの数字に到達した。この成功はSaad Lamjarredをアラブ世界最大のポップ・スターに押し上げたが、2016年10月のパリでのフランス人女性への性的暴行疑惑での逮捕で危機を迎えた。
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彼は複数の告発を受け、フランス、アメリカ合衆国での裁判が現在も継続中だが、モロッコ国内での支持は根強く、活動は継続している。この状況はモロッコ・ポップの複雑さを象徴する——若い世代の女性ファンの支持と、女性への暴力への社会批判の間で、ジャンル全体が引き裂かれている面がある。ManalはSaad Lamjarredの後の世代を代表する女性シンガーで、意識的にダリージャ+英語+フェミニズム的な歌詞を選ぶことで、モロッコ・ポップの次の方向性を示している。モロッコ王室系のSMR(Société Marocaine des Ressources)は Saad Lamjarredのマネジメント初期に関与しており、モロッコ・ポップは王室主導の文化外交の一部でもある。
影響・派生で結ばれたジャンル
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感触が近い系譜も地域も違うのに、聴くと通じるジャンル
モロッコ・ポップが好きな人は、この6つも刺さる可能性が高いです。系譜図には出てこない、意外な隣人たち。
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