ロシアン・ロック・アンダーグラウンド
1981年設立のレニングラード・ロック・クラブを核に育った、ソ連末期の非公認ロック運動。Kino、Aquarium、DDT、Nautilus Pompiliusらが牽引した。
どんな音か
ロシアン・ロック・アンダーグラウンドは、1981年3月にレニングラードで公認された「ロシアン・ロック・アンダーグラウンド・クラブ」を核に育った、ソ連末期のロック運動を指す。編成は英パンク/ポスト・パンク由来のギター2本+ベース+ドラム+ボーカルが基本で、Kinoは冷たいスタッカートのミッドテンポ、Aquariumは英フォーク・ロックとロシア文学の交差、DDTは大声で叫ぶハードロック、Nautilus Pompiliusはシンセを含む抒情バラードという四つの異なる質感を持つ。共通するのは、歌詞が恋愛以上に「言葉にできない鬱屈」「灰色の日常」「体制と自分」を扱う点だ。録音は当局非公認機材の貧弱さゆえに剥き出しで乾いており、それがかえって時代の質感を封じ込めた。
生まれた背景
1981年3月3日、KGB主導でレニングラードのルビンシュテイン通り13番地に開設された「ロシアン・ロック・アンダーグラウンド・クラブ」が起点になる。「ロックを管理下に置く」ための施設のはずが、逆にAquarium、Kino、Alisa、DDT、Zoopark、Auktyonといったバンドが公式に集まれる場を得て、シーンそのものが結晶化した。決定的な瞬間は1986年、Kinoの『ペレメン(変化)!』が映画『アッサ』(1988)のクライマックスで数万人の観客の前で歌われ、ペレストロイカ世代の代弁アンセムになったことだ。ヴィクトル・ツォイは1990年8月15日、ラトビアの田舎道での自動車事故で28歳で死去し、全ソ連が喪に服した。
聴きどころ
Kinoの『Gruppa Krovi』の冷たいスタッカートのギター・カッティングにまず耳を澄ませてほしい。ドラムは軍隊のスネアのように乾き、シンセは霧のような遠さで置かれる。ツォイの声はビブラートを削り、感情を表に出さない朗誦調で、それが逆にすべての言葉を重く響かせる。DDTの『Rodina』ではシェフチュークが叫び、Aquariumの『Rok-n-Roll Myortv』ではグレベンシコフが皮肉に歌う、その4組4様のボーカル・アプローチの対比が、このシーンを一色に染めない豊かさを作った。Nautilus Pompiliusの『Ya Khochu Byt' S Toboy』はソ連ロック抒情の最高到達点で、シンセ・パッドの上に浮遊するブトゥーソフの声を聴くと、当時のロシア語のロック・バラードがどこまで届いたかがわかる。
発展
1988年のKino『Gruppa Krovi(血液型)』、1989年『Zvezda po imeni Solntse(太陽と呼ばれる星)』でヴィクトル・ツォイはソ連最大のロック・スターになったが、1990年8月15日、ラトビアの田舎道での自動車事故で28歳で死去。この日は全ソ連が喪に服し、モスクワのアルバート通りには自然発生的な「ツォイの壁」が生まれ、35年経った今も落書きが更新され続けている。1990年代前半にはDDTの『Rodina(祖国)』(1992)、Nautilus Pompiliusの『Ya Khochu Byt' S Toboy(君と一緒にいたい)』(1988)が続き、Aquariumのボリス・グレベンシコフは「BG」の愛称でロシア・ロックの精神的支柱として現在まで活動を続けている。
出来事
- 1981: レニングラード・ロック・クラブ設立
- 1986: Kino『ペレメン!』
- 1988: 映画『アッサ』公開
- 1990-08-15: ヴィクトル・ツォイ交通事故死
- 1991: ソ連崩壊
- 1997: 『Nashe Radio』(ロシアン・ロック専門局)開局
派生・影響
1990年代半ば以降の「ロシアン・ロック・モダン」(Zemfira、Bi-2、Splean、Mumiy Troll)は直接の子孫。歌詞主体の詩性は現代のOxxxymironの文学ラップにも継承されている。
音楽的特徴
楽器エレキギター、ベース、ドラム、時にシンセ、サックス、アコースティック・ギター、ボーカル
リズムパンク/ポスト・パンク由来の4/4、時にレゲエ跳ね、パワー・バラッドの3/4、Kinoは冷たいスタッカートのミッドテンポ
代表アーティスト
- Aquarium
- Boris Grebenshchikov
- DDT
- Yuri Shevchuk
- Kino
- Viktor Tsoi
- Nautilus Pompilius
- Alisa
- Konstantin Kinchev
- Chaif
代表曲・古典
Rok-n-Roll Myortv — Aquarium (1984)
Gorod Zolotoy — Aquarium (1986)
Peremen! — Kino (1986)
Skovannye Odnoy Tsepyu — Nautilus Pompilius (1986)
Moe Pokolenie — Alisa (1987)
Gruppa Krovi — Kino (1988)
Ya Khochu Byt' S Toboy — Nautilus Pompilius (1988)
Zvezda po imeni Solntse — Kino (1989)
Kukushka — Kino (1990)
Osen — DDT (1991)
Chto Takoe Osen — DDT (1992)
Rodina — DDT (1992)
Krylya — Nautilus Pompilius (1997)
日本との関係
日本での認知は限定的だが、意外なほど根強い小さなファン層がある。ヴィクトル・ツォイは1980年代後半、朝日新聞や『Music Magazine』でペレストロイカ関連の文脈で紹介され、彼の死去は日本のロシア文化ファンにとっても記憶に残る出来事だった。Kino『Gruppa Krovi』は日本のロシア文学愛好家、ロシア語学習者の間で長年愛聴されてきた楽曲だ。近年ではSpotify経由で若年層のミリタリー・ゲーム愛好家(『DayZ』『Escape from Tarkov』『Metro』シリーズ)がKinoを発見する経路が広がっている。日本のミュージシャンによる直接的なカバーは限られるが、ラジオ番組『世界の車窓から』のようなノスタルジックな枠でNautilus Pompiliusの『Krylya』が使われた例がある。
初めて聴くなら
最初の一曲は Kino『Gruppa Krovi』(1988)。3分間で、ソ連末期の若者ロックの手触りがすべて分かる。次に『Peremen!』(1986)、ペレストロイカ世代の代弁アンセム。DDT なら『Osen』(1991)、Nautilus Pompilius なら『Ya Khochu Byt' S Toboy』(1988)、Aquarium は『Gorod Zolotoy』(1986)。深夜、ヘッドホン、あるいは冬の街を歩きながら聴くのが一番この音楽に合う。
豆知識
モスクワのアルバート通り(旧市街の歩行者天国)には、ツォイの死去直後の1990年8月末から自然発生的に生まれた「ツォイの壁(Стена Цоя)」があり、35年経った今も落書きと献花が絶えず、当局が消しても翌日には書き直される。1990年代前半、当局は数回消去を試みたが最終的に諦めた。ヴィクトル・ツォイの父ロベルト・ツォイは朝鮮族(高麗人=カレイスキー)で、レニングラードに1937年のスターリンによる強制移住で移った家系である。ロシアン・ロック最大の英雄が朝鮮族出身であることは、多民族国家ソ連の重層性を象徴している。
