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ポップ

カタラン・ルンバ

Catalan Rumba

バルセロナ / スペイン / 南欧 · 1955年〜

別名: Rumba catalana / Rumba de Barcelona

1950-60年代バルセロナのヒターノ地区で成立した、キューバのソン/ルンバとフラメンコを軽やかに混ぜたお祭りポップ。

どんな音か

カタラン・ルンバは、1950-60年代バルセロナのヒターノ(ロマ)地区、特にグラシア地区の Carrer de la Cera 周辺で成立した、キューバのソン/ルンバとフラメンコの語彙を混ぜたお祭り音楽だ。アンダルシアのルンバ・フラメンカと近縁だが、リズムの跳ね方が違う。ヒターノ・ギターの右手はスペインのラスゲアードに加え「ventilador(扇風機)」と呼ばれる手首を回してストロークとゴルペ(胴打ち)を交互に鳴らす独自技法を使い、これが跳ねる4拍子の背骨になる。編成はスパニッシュ・ギター2-3本、パルマ(手拍子)、ボンゴないしカホン、時にトランペットとベース、そして掛け合いのコーラス。歌詞はカタルーニャ語ではなくスペイン語(カステリャノ)で、テーマは祝祭・恋愛・家族の日常が中心だ。

生まれた背景

1950年代のバルセロナには19世紀後半から続くヒターノ(カタルーニャ・ロマ)の集住区があり、そこにキューバの78回転盤とラジオ電波が届き始めていた。彼らはフランコ独裁下でスペイン全土がキューバ独立革命(1959)の後の左派音楽との接触を厳しく制限されていた時代に、それでも家庭内ではキューバのソンを聴いていた。その融合を最初に音にしたのがバルセロナ・マタロー出身のペレット(1935-2014、本名 Pere Pubill Calaf、ヒターノ)で、彼は1957年頃からプロ活動を開始、1965年『El Muerto Vivo』(生きている死人)が全国区のヒットとなり「カタラン・ルンバの王」の称号を得た。彼のギターの ventilador 技法と、コーラス付きの跳ねる4拍子は、以降のカタラン・ルンバの原型となった。同時期にアルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ、バルセロナ・グラシア地区で育った Gato Pérez(1951-1990)がロック的な感性を注入し、1978年『カタラン・ルンバ』でカタラン・ルンバの都市的な新版を作った。彼が39歳の若さで1990年に急逝したことは、カタラン・ルンバの決定的な次世代作家を失う痛手となった。

聴きどころ

ペレット『El Muerto Vivo』(1965)を聴くと、まずギターの「タカタン・タタン・タカタン」という跳ねるストロークに気づくはずだ。これが ventilador 技法で、彼の右手首の回転がストロークとゴルペ(胴打ち)を交互に鳴らして、独りで打楽器とギターを兼ねる。次にコーラス、ペレットは一人で歌い、その後ろで男性コーラス3-4人が「アイ・カラハイ、アイ・カラハイ(拍子取りの掛け合い)」を繰り返す構造だ。この掛け合いはキューバのソン・モントゥーノ(pregón-coro)から直接来ている。Gato Pérez『カタラン・ルンバ』(1978)は Peret よりロック・ドラムの4つ打ちが強く、バルセロナの都市生活をカタラン・ルンバで歌う点で新しい。Estopa『Como Camarón』(1999)はカマロン・デ・ラ・イスラへのオマージュとして、伝統的なフラメンコ・カンテの語彙をカタラン・ルンバのリズムに乗せた、新世代の代表曲だ。Los Manolos『All My Loving』(1991)は The Beatles の英語ロック曲をカタラン・ルンバに翻訳した実験の白眉。

発展

1980年代前半にはフランス南部アルル/モンペリエのヒターノ一族 Reyes / Baliardo が Gipsy Kings を結成、カタラン・ルンバを世界市場に届けた(『Bamboleo』1987、彼らは厳密にはカタラン・ルンバ本流ではなく、フラメンコ・ルンバとの折衷)。1991年、バルセロナ・オリンピック(1992)の前夜祭ムードのなかで Los Manolos がザ・ビートルズ『All My Loving』のカタラン・ルンバ版を発表、翌1992年の五輪閉会式で世界中継されて歴史に残った。1998年結成の Estopa(コルネリャ・デ・リョブレガート、David & José Muñoz Calvo 兄弟)は労働者街のヒターノ・スペイン人二世として、Camarón へのオマージュ曲『Como Camarón』(1999) を含むデビュー盤で200万枚を売り、カタラン・ルンバをZ世代に届けた最後の商業的成功例となった。

出来事

  • 1957: Peret がプロ活動開始
  • 1965: Peret『El Muerto Vivo』
  • 1978: Gato Pérez『Rumba de Barcelona』
  • 1987: Gipsy Kings『Bamboleo』
  • 1991: Los Manolos『All My Loving』
  • 1992: バルセロナ五輪閉会式で Los Manolos 演奏
  • 1999: Estopa 1st アルバム、200万枚

派生・影響

1980年代の Gipsy Kings のフレンチ・ヒターノ・ルンバ、1990年代 Manu Chao のミクスチャー・ラテン、そして2010年代 Rosalía の一部楽曲(『Milionària』など)まで、カタラン・ルンバの跳ねる4拍子が受け継がれている。

音楽的特徴

楽器スパニッシュ・ギター(ventilador奏法)、パルマ、ボンゴ / カホン、ボーカル、時にトランペット / エレキベース

リズム4/4の跳ねるルンバ・ビート(キューバ的な小節末のタメ)、ventiladorのゴルペ、コール&レスポンスのコーラス

代表アーティスト

  • Gato Pérezアルゼンチン / スペイン(カタルーニャ) · 1975年〜1990
  • Los Manolosスペイン(カタルーニャ) · 1990年〜
  • Estopaスペイン(カタルーニャ) · 1998年〜

代表曲・古典

日本との関係

カタラン・ルンバ日本での認知度が意外に高い。決定的な瞬間は1992年バルセロナ・オリンピック閉会式で、Los Manolos『All My Loving』が世界中継され、NHKの中継を観た日本人視聴者に強烈な印象を残した。Gipsy Kings は1980年代後半の日本CMブーム(『Bamboleo』が飲料・車CMで多用)で日本市場に定着、カタラン・ルンバとフレンチ・ヒターノ・ルンバの区別を曖昧にしたが、結果としてルンバ系スペイン語圏音楽を日本の茶の間に届けた。Estopa は日本スペイン語圏音楽ファンの間で cult 的な人気があり、輸入盤店で継続的に取り扱われている。日本フラメンコ・スタジオでもカタラン・ルンバは基本レパートリーの一つとして踊られている。

初めて聴くなら

最初はペレット『El Muerto Vivo』(1965)、これがカタラン・ルンバの原型そのものだ。次に Gato Pérez『カタラン・ルンバ』(1978)、都市化されたカタラン・ルンバの完成形。Los Manolos『All My Loving』(1991)は The Beatles の曲を素材に、カタラン・ルンバの翻訳可能性を示した好例。Estopa『Como Camarón』(1999)で新世代の消化例を確認できる。屋外、夏の夕方、ビールを飲みながらスピーカーで鳴らすのが正しい聴き方だ。カタラン・ルンバは屋外で踊ることを前提に作られている。

豆知識

「rumba catalana」という呼称は1960年代前半のバルセロナ音楽ジャーナリズムが、既存の「rumba flamenca(アンダルシア発)」との差別化のために使い始めた造語だ。厳密には「カタルーニャ発のヒターノ・ルンバ」という意味だが、実際にはヒターノ・コミュニティの内部では単に「ルンバ」と呼ばれている。ペレットは1974年ユーロビジョン・ソング・コンテスト(スペイン代表)に出場、『Canta y sé feliz』で9位となり、スペインで数少ないユーロビジョン出場ヒターノ・アーティストとなった。Estopa の兄弟 David & José は Cornellà de Llobregat の SEAT 自動車工場の労働者で、工場休みの週末にライブハウスで演奏していたところをスカウトされた。1998年のデビュー盤は Sony が「工場労働者兄弟」の階級性を売りにする戦略で 200万枚を売り、スペイン・レコード史上最速のダブル・プラチナムを記録した。Los Manolos の1992年バルセロナ五輪閉会式演奏は、フアン・カルロス1世前国王とサマランチIOC会長も観覧しており、政府の公式イベントに開かれたヒターノ・ミュージシャンとして歴史的な位置を占める。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1780年代1850年代1950年代カタラン・ルンバカタラン・ルンバフラメンコフラメンコクンビアクンビアルンバ・フラメンカルンバ・フラメンカ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
カタラン・ルンバを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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スペイン · 1955年前後 (±25年)