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ラテン・カリブ

ルンバ・フラメンカ

Rumba Flamenca

スペイン / 南欧 · 1950年〜

20世紀のスペインで成立した、Flamencoとキューバのルンバを融合したジプシーポップ。

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ひとことで言うと20世紀のスペインで成立した、Flamencoとキューバのルンバを融合したジプシーポップ。

まずはこの曲からPeretBorriquito ▶ YouTube

代表的な人Peret

どんな音か

ルンバ・フラメンカは、フラメンコの跳ねるリズム語彙とキューバのソン/ルンバの4/4ビートを融合した派生ジャンルで、20世紀のスペインで成立した。BPM 100-140、明るい長調のスパニッシュ・ギター(フラメンコ・スタイル)、フラメンコ系手拍子(パルマ)、カホン(1977年以降)、時にトランペットとエレキ・ベース、男女ボーカル(ヒターノ独特の歌唱)が編成の中核。歌はスペイン語で、テーマは祝祭・恋愛・ストリート・家族。リズムはフラメンコのブレリア(bulería)を簡素化した跳ねる4拍子で、踊りやすく、フラメンコの重く暗いソレアやシギリージャとは対極の明るい情感を持つ。厳密には2つの伝統に分かれ、アンダルシア発の「rumba flamenca」(Peret より前)と、バルセロナ発の「rumba catalana」(Peret 以降)があり、両者は多くの点で重なりつつ独自の展開を持つ。

聴きどころ

まず右手のギター奏法「ventilador(扇風機)」に耳を澄ませてほしい。手首を回してストロークとゴルペ(胴打ち)を交互に鳴らすカタラン側特有の技法で、一人でギターと打楽器を兼ねている。次にコーラス構造、リード・ボーカルが「ai、carahai」といった掛け声を歌い、その後ろで男性コーラス3-4人が掛け合いを返す構造で、これはキューバのソン・モントゥーノ(pregón-coro)から直接来ている。Gipsy Kings『Bamboleo』(1987)は複数のヴォーカルがハーモニーを作る親密さが特徴で、フラメンコ・ルンバの家族音楽としての側面を最も明快に伝える。ペレット『El Muerto Vivo』(1965)ではリード・ボーカルとコーラス、そして ventilador ギターだけで全体を組み上げるミニマルな構成が味わえる。Estopa『Como Camarón』(1999)は伝統フラメンコ・カンテへのオマージュをカタラン・ルンバのリズムで包む世代交代の代表例。

初めて聴くなら

1曲だけなら Gipsy Kings『Bamboleo』(1987)、ルンバ・フラメンカの世界的代表曲。次にペレット『El Muerto Vivo』(1965) でカタラン・ルンバの原型を、Los Chichos『Ni Más Ni Menos』(1973)でアンダルシア側の商業版を、Estopa『Como Camarón』(1999) で新世代の消化例を辿ると、20世紀後半のルンバ系スペイン語圏音楽の40年史が1時間で通貫できる。屋外、夏、スピーカーで鳴らして家族や友人と踊るのが本来の作法に一番近い。

代表アーティスト

  • Peretスペイン · 1957年〜2014
  • Los del Ríoスペイン · 1962年〜
  • Los Chichosスペイン · 1973年〜
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  • Kiko Venenoスペイン · 1977年〜
  • Gipsy Kingsフランス · 1978年〜
  • Chambaoスペイン · 2000年〜

代表曲

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生まれた背景

19世紀末から20世紀初頭にかけて、キューバソン・クバーノとルンバがスペインに逆輸入され、アンダルシアのフラメンコ・コミュニティと結びついて成立した。当初は「ルンバ・ヒターナ」と呼ばれ、フラメンコの伝統派からは「軽い商業音楽」として一段低く見られていた。

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決定的な瞬間は1950-60年代、バルセロナのカタルーニャ・ヒターノ地区でペレット(1935-2014)が独自の「rumba catalana」を打ち出し、1965年『El Muerto Vivo』が全国区のヒットとなった時だ。同時期にアンダルシア側では Los Chichos(1973結成)、Los Chunguitos らが「rumba flamenca」の商業版を展開、フランコ独裁後期のスペイン国民音楽の一つとなった。1978年、フランス南部アルル/モンペリエのヒターノ一族 Reyes/Baliardo が Gipsy Kings を結成、1987年『Bamboleo』でルンバ・フラメンカを世界市場に届けた(彼らは厳密にはカタラン・ルンバフラメンコ・ルンバの折衷)。2010年代には Rosalía が『Milionària』(2019) 他の楽曲でルンバ語彙を再導入、Estopa(1998結成、コルネリャ・デ・リョブレガート)がカタラン側の若手継承者となった。

その後の代表曲

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日本との関係

日本ルンバ・フラメンカが最も広く聴かれた瞬間は、1987年の Gipsy Kings『Bamboleo』が日本のCM(飲料、車、菓子)で多用された時だ。この一曲が「ルンバ・フラメンカ=軽快で明るいスペイン音楽」というイメージを日本人リスナーに定着させた。1989年『Volare』が続き、Gipsy Kings は日本のワールド・ミュージック・ブームの中心の一つとなった。1992年バルセロナ・オリンピック閉会式で Los Manolos の『All My Loving』が世界中継されたことも、カタラン・ルンバ側の日本認知に貢献した。日本フラメンコ舞踊教室では、ルンバ・フラメンカは初心者向けの入門レパートリーとして広く踊られている。近年は Rosalía『Milionària』の日本での小さなヒットが、若年層にルンバ語彙を届け直している。

豆知識

Gipsy Kings のメンバーは全員がフランス国籍のヒターノ(カタルーニャ・ヒターノの末裔)で、Reyes 兄弟と Baliardo 兄弟の血縁家族音楽団だ。彼らはフランス語ではなくスペイン語(実際にはカタルーニャ・ヒターノ訛りのスペイン語)で歌う。

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彼らの楽曲は実は「ルンバ・フラメンカ」の厳密な典型ではなく、フラメンコボサノヴァポップを混ぜた折衷スタイルで、フランススペインの音楽学者からは「genre不明」とも評される。1980-90年代に世界で2000万枚以上を売り、ヒターノ音楽の最大の世界化を実現した。ペレットは1974年ユーロビジョン・ソング・コンテストのスペイン代表として『Canta y sé feliz』で出場、9位となった。彼はスペイン王家からも敬われ、2000年に文化芸術金賞を受賞した唯一のヒターノ音楽家となった。

影響・派生で結ばれたジャンル

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ルンバ・フラメンカを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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