チャンプルサリ
1988年、Manthous が中部ジャワで発明した「混ぜたエッセンス」——ガムラン+クロンチョン+電子キーボード。Didi Kempot が全国化し、「Sobat Ambyar」現象を生んだ。
どんな音か
チャンプルサリの音を最初に聴くと、「これは何と何のミックスなんだろう?」と考える時間を持つことになる。ガムランのスレンドロ音階が電子キーボードから流れ、その下でエレキベースが西洋ポップの周期で歩き、上ではジャワ語の女性/男性ボーカルが、クロンチョン譲りの繊細な cengkok と、ダングドゥット由来の力強い節回しの中間の唱法で歌う。時に kendang(両面太鼓)が dangdut/koplo に近いパターンを刻み、時にスチール・ギターがカントリー西部劇的な音色で情景を描く。編曲師は明らかに「まぜていい素材はすべてまぜる」姿勢で、Manthous 世代の1990年代録音では違和感が魅力に、Didi Kempot 世代の2000年代録音では規範化された「チャンプルサリ・サウンド」になった。
生まれた背景
1988年、ジョグジャカルタ南方のグヌンキドゥル郡で、Manthous(本名 Anto Sugiartono、1950-2012)が結成した「OM チャンプルサリ Gunung Kidul」が録音した《Nyidam Sari》が起点だ。Manthous はガムラン音楽家と電子キーボード奏者の両方に足場を持つ稀有な音楽家で、Yamaha PSR シリーズの電子キーボードにスレンドロ・ペロッグ音階を独自プログラムし、ガムラン語彙をポップ編成で演奏可能にした。1993年の《Prau Layar》で全国的な認知を獲得、以降《Kutut Manggung》《Gambang Suling》を含む数十曲のチャンプルサリ・スタンダードを書いた。1990年代半ば以降、ソロ市の路上音楽家出身のDidi Kempot(1966-2020)が同形式で失恋歌路線を切り拓き、《Cidro》《Stasiun Balapan》《Sewu Kutho》で地方カセット市場を席巻した。
聴きどころ
第一に、キーボード音色に注意する。チャンプルサリの電子キーボード奏者は、通常のポップ音色ではなく、gender、sarón、bonang といったガムラン楽器を模した音色を選ぶ。この音色配置がスレンドロ・ペロッグ音階を鳴らすことで、耳がガムランの空気を感じ取る。第二に、kendang パターン。伝統的なチャンプルサリでは kendang batangan(細長い片手の両面太鼓)の刻みが穏やかだが、2010年代以降の 「campursari koplo」 系ではダンドゥット・コプロと同じ速い kendang パターンが導入されている。第三に、ジャワ語歌詞の詩情。Didi Kempot 以降のチャンプルサリは「失恋のドキュメンタリー」のような、日常的で具体的な地名・状況を歌詞に埋め込む書法が定着した。《Stasiun Balapan》のような特定の駅、《Sewu Kutho》の「千の街」のような具体的空間参照は、ジャワ人リスナーの共通記憶を呼び起こす装置になっている。
発展
2010年代後半、Didi Kempot は SNS 世代の再発見によって全国的な現象になった。2019-20年、彼の失恋歌の総体が「Sobat Ambyar」(「壊れた心の同志たち」の意)というファン共同体を生み、大学キャンパスとYouTubeでライブが数万人を集める規模になった。彼の急逝(2020年5月)後、その系譜は Denny Caknan(1993-、東ジャワ Ngawi 出身)が引き継ぎ、《Kartonyono Medot Janji》(2019)《Los Dol》(2020)がYouTube 数億再生の若年層ヒットとなり、キーボード音色をさらに TikTok 向けに軽量化した「campursari koplo」の亜種を生んだ。この時期以降、チャンプルサリと dangdut koplo は編曲師レベルで人材が重なり、ジャワ大衆音楽の中で境界が緩やかになっている。
出来事
- 1988: Manthous《Nyidam Sari》
- 1993: Manthous《Prau Layar》
- 2000年代: Didi Kempot《Stasiun Balapan》《Sewu Kutho》
- 2019: Didi Kempot「Sobat Ambyar」現象、Denny Caknan《Kartonyono Medot Janji》
- 2020年5月: Didi Kempot没
- 2020: Denny Caknan《Los Dol》TikTok ヒット
派生・影響
ランガム・ジャワ (langgam-jawa)、クロンチョン (kroncong)、ガムラン (gamelan) の直接の子孫。ダングドゥット (dangdut) と ダングドゥット・コプロ (dangdut-koplo) の姉妹形式で、2020年代には「campursari koplo」として実質的に融合している。
音楽的特徴
楽器スレンドロ/ペロッグ調のキーボード、クロンチョン楽器(チャク・チュク・ヴァイオリン・チェロ・フルート)、ドラムキットまたは kendang(ジャワ両面太鼓)、エレキベース、時にスチール・ギター、ジャワ語女声/男声独唱
リズム中庸〜速い4/4を土台に、kendang パターン(dangdut/koplo に近いもの)、gong ageng の周期感を電子ドラムで模倣、ガムラン五音音階の旋律
代表アーティスト
- Manthous
- Didi Kempot
- Guyon Waton
- Denny Caknan
代表曲
- Nyidam Sari — Manthous (1988)
- Cidro — Didi Kempot (1989)
- Stasiun Balapan — Didi Kempot (1999)
- Sewu Kutho — Didi Kempot (2001)
Prau Layar — Manthous (1993)
Kutut Manggung — Manthous (1995)
その後の代表曲
- Pamer Bojo — Didi Kempot (2016)
- Korban Janji — Guyon Waton (2018)
- Kartonyono Medot Janji — Denny Caknan (2019)
- Los Dol — Denny Caknan (2020)
日本との関係
チャンプルサリはインドネシア国外への直接的な波及は限定的だが、日本のインドネシア・コミュニティ(在留23万人、2024年時点)にとって、地方出身の技能実習生や留学生の「家郷の音」として重要な位置を占めている。関東・関西のインドネシア料理店では Didi Kempot の《Cidro》がBGMとして流れることが多く、2019-20年の「Sobat Ambyar」現象と Didi Kempot の急逝は日本のインドネシア人SNSでも大きな話題となった。日本のインドネシア研究者(片岡樹、松浦史明、内海愛子ら)は Didi Kempot 現象を「ジャワ語アイデンティティの世代を超えた再組織化」として分析している。
初めて聴くなら
まず Manthous《Prau Layar》(1993)から。チャンプルサリという配合の輪郭が最も明快に聞こえる一曲。次に Didi Kempot《Stasiun Balapan》(1999)を通じ、失恋歌としてのチャンプルサリの様式を耳に入れる。深く入るなら Manthous 全曲集、Didi Kempot の2019年「Sobat Ambyar」以降のライブ盤(特に 「Konser Amal dari Rumah」 2020年3月28日、Covid-19下の自宅配信ライブで彼の急逝の1ヶ月前)、そして Denny Caknan《Kartonyono Medot Janji》(2019)。
豆知識
Didi Kempot の芸名の「Kempot」は本名の一部ではなく、若い頃ソロ市の Terminal Tirtonadi バスターミナル前で歌っていた仲間の路上音楽家集団「Kelompok Pengamen Trotoar(歩道の路上歌手集団)」の頭文字から来ている。彼のキャリアは1980年代の路上ライブから始まり、地方カセット市場と地方TVを主戦場として30年以上続いた後、55歳前後で TikTok/YouTube 世代の若者に「Godfather of Broken Heart」として再発見されるという遅れた大ヒットの構造を持つ。もう一つ:2020年5月5日の彼の急逝(心臓発作、享年53)の際、大統領ジョコ・ウィドドが公式声明を出し、国全体がジャワ語で追悼を語った。ジャワ語(インドネシアの第二言語)がこれほどの規模で公共空間を占めたのは独立後でも稀有な出来事だった。
同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル
- ロック・メタルインドネシアン・インディーポップ
- 伝統・民族ジャイポンガン
- 伝統・民族ダンドゥット・コプロ
- ポップダンドゥット
