ベンガル現代歌謡
1930-70年代の西ベンガル(コルカタ)と東ベンガル/バングラデシュ(ダッカ)で発達した、Rabindra-Sangeet や Nazrul-Geeti とは別系統の作曲付きベンガル語現代芸術歌謡。Hemanta・Manna Dey・Sandhya Mukherjee がその頂点世代、1992年 Kabir Suman《Tomake Chai》がフォーク・アドゥニクの折衷を提示した。
どんな音か
ベンガル現代歌謡(ベンガル現代歌謡、ベンガル現代歌謡)の音を初めて聴くと、多くの日本人リスナーは『これは映画音楽なのか、フォークソングなのか』と迷うだろう。それは正しい迷いで、実際、Hemanta Mukherjee《Ei Raat Tomar Amar》(1962、映画『Deep Jwele Jai』)を聴くと、20世紀ヒンドゥスターニー古典音楽の raga(旋律型)語彙を基盤としつつ、西洋弦楽・ピアノ・アコーディオンの伴奏を折衷する書法が現れる。これは、既存の Rabindra-Sangeet(ラビーンドラナート・タゴール作品の固定レパートリー)・Nazrul-Geeti(カジ・ナズルル・イスラム作品の固定レパートリー)・パラガン(民俗歌謡)とは明確に別系統の、複数の作曲家が新作を書き分けて特定の歌手が歌う『作曲付きの現代ベンガル語芸術歌謡』の代表例だ。Manna Dey《Coffee ハウスr Sei Adda Ta》(1983、コルカタ College Street の インドn Coffee ハウス で青春を過ごした世代への追悼歌)を聴くと、ジャズ的な和声とヒンドゥスターニー的な旋律線の折衷が明確に聴き取れる。
生まれた背景
決定的な起点は1930年代前半、Hemanta Mukherjee(1920-89、コルカタ生)が独学で作曲・歌唱を学び、1935年頃からラジオ・カルカッタで歌手デビューしたことだ。同時期、Manna Dey(1919-2013、コルカタ生、叔父 K.C. Dey が師)、Sandhya Mukherjee(1931-2022、コルカタ生、Bade Ghulam Ali Khan に師事)、Shyamal Mitra(1929-87)らが並行してラジオ歌手として活動を開始した。1940-50年代、詩人 Gauriprasanna Mazumder(1924-76)と作曲家 Salil Chowdhury(1925-95)、Nachiketa Ghosh(1925-76)、Sudhin Dasgupta(1929-82)が新作歌詞・作曲を担当する制作体制が固まり、HMV Calcutta スタジオでの録音が国立ラジオ AIR(All インド Radio、1930-)とレコード販売の両方を経由してベンガル語圏全域に届いた。1947年インド分割による西ベンガル/東ベンガル分離、1971年バングラデシュ独立戦争を経ても、Hemanta・Manna・Sandhya の楽曲は汎ベンガル語圏の音楽的アイコンとして両側の家庭で共有された。
聴きどころ
第一に、raga 語彙の使用に注意。Hemanta《Ei Raat Tomar Amar》は yaman kalyan raga を基盤に、20世紀映画音楽的な和声を折衷している。Manna Dey《Coffee ハウスr》は khamaj raga を基盤に、ジャズ的な7音音階を導入する。第二に、伴奏編成の変化。1950年代はハルモニウム+タブラ+シタール中心、1960-70年代はピアノ・アコーディオン・西洋弦楽が主流、1980年代以降は電子ピアノ・電子オルガンが加わる。第三に、詩の階層。作詞家(Gauriprasanna Mazumder, Pulak Bandyopadhyay, Shibdas Banerjee)は古典ベンガル語と20世紀口語の折衷、汎ベンガル語圏の異なる階層に同時に届ける多層書式を採った。第四に、映画音楽との相互浸透。1960年代 Hemanta・Salil Chowdhury・Kishore Kumar のベンガル語映画音楽(『Deep Jwele Jai』1959、『Sagarika』1956)は、映画に登場するベンガル現代歌謡としてそのまま流通した。
発展
1950-60年代は Hemanta・Manna・Sandhya・Shyamal の『Big Four』世代が頂点で、Hemanta《Path Harabo Bolei Ebar》(1961)、《Ei Raat Tomar Amar》(1962、映画『Deep Jwele Jai』)、Manna Dey《Coffee Houser Sei Adda Ta》(1983、Gauriprasanna Mazumder 詩・Suparnakanti Ghosh 曲、コルカタの Coffee House 世代の記憶を歌う代表曲)、Sandhya Mukherjee《Ke Prothom Kache Eshechi》(1961、映画『Pathe Holo Deri』)、Kishore Kumar のベンガル語レパートリー《Ei Je Nadi Jae Sagore》(1963)、《Ami Chini Go Chini Tomar》(1979)等が汎ベンガル語圏の記念碑的な録音となった。Salil Chowdhury は作曲家として西洋クラシック(Beethoven, Mozart)、ソ連社会主義リアリズム音楽、南インド映画音楽(Malayalam、Tamil、Telugu)を横断する折衷書法を発達させ、Hemanta との共作を数十曲残した。1971年バングラデシュ独立戦争ではベンガル語圏音楽が汎ベンガル語ナショナリズムの表現媒体となり、Hemanta の1971年録音の《Amar Sonar Bangla》(タゴール詩、後にバングラデシュ国歌)は象徴的な記念碑になった。1990年代以降は Kabir Suman(1949-)が1992年アルバム《Tomake Chai》(コルカタ)で『Jibanmukhi Gaan(生の歌)』を提示、フォーク的な弾き語り書法とアドゥニク的な詩情を融合し、若い世代への接続を果たした。
出来事
- 1930s: ラジオ・カルカッタでの萌芽期
- 1935: Hemanta Mukherjee ラジオ・デビュー
- 1947: インド分割、西ベンガル / 東ベンガル 分離
- 1961: Sandhya Mukherjee《Ke Prothom Kache Eshechi》
- 1962: Hemanta《Ei Raat Tomar Amar》(『Deep Jwele Jai』)
- 1971: バングラデシュ独立戦争
- 1983: Manna Dey《Coffee Houser Sei Adda Ta》
- 1989: Hemanta 没(70歳)
- 1992: Kabir Suman《Tomake Chai》(フォーク・アドゥニク)
- 2013: Manna Dey 没(94歳)
- 2022: Sandhya Mukherjee 没(90歳)
派生・影響
rabindra-sangeet(タゴール作品)/ nazrul-geeti(ナズルル作品)の兄弟。20世紀ベンガル語声楽芸術の三本柱の一つで、両者が名指し作曲家の固定レパートリーであるのに対し、adhunik は複数作曲家が並行して新作を書く点で異なる。hindustani-classical / bollywood と隣接、後期には Kabir Suman を経由してフォーク・シンガーソングライター系譜と接続する。
音楽的特徴
楽器ハルモニウム、タブラ、シタール、エスラージ、後期にはピアノ・アコーディオン・西洋弦楽、ハワイアン・ギター、時に電子ピアノ、独唱者(男女)
リズムヒンドゥスターニー古典由来の Kaharwa 8拍・Dadra 6拍・Rupak 7拍を基盤としつつ、20世紀後半には Fox-trot 4拍・Waltz 3拍を折衷的に導入。
代表アーティスト
- ヘマント・ムカルジー (Hemanta Mukherjee)
- マンナ・デー (Manna Dey)
- サリル・チョウドリー (Salil Chowdhury)
- サンディヤー・ムカルジー (Sandhya Mukherjee)
- カビール・スマン (Kabir Suman)
代表曲
O Aalor Pathojatri — サリル・チョウドリー (Salil Chowdhury) (1957)
Ghum Ghum Chand — サンディヤー・ムカルジー (Sandhya Mukherjee) (1958)
Ke Prothom Kache Eshechi — サンディヤー・ムカルジー (Sandhya Mukherjee) (1961)
Path Harabo Bolei Ebar — ヘマント・ムカルジー (Hemanta Mukherjee) (1961)
Ei Raat Tomar Amar — ヘマント・ムカルジー (Hemanta Mukherjee) (1962)
Ei Je Nadi Jae Sagore — Kishore Kumar (1963)
Sabai To Sukhi Hote Chai — マンナ・デー (Manna Dey) (1969)
Coffee Houser Sei Adda Ta — マンナ・デー (Manna Dey) (1983)
その後の代表曲
Tomake Chai — カビール・スマン (Kabir Suman) (1992)
日本との関係
ベンガル現代歌謡の日本受容は極めて限定的で、20世紀を通じてほぼ知られていなかった。1980-90年代の東京のインド映画・音楽ファン(Bombay Bazaar、下北沢のカレー・レストランの音楽環境)を通じて ボリウッド音楽 系のヒンディー語映画音楽が受容されたが、ベンガル語のベンガル現代歌謡は並行的にはほとんど紹介されなかった。2010年代以降、コルカタ映画祭・Rabindra Bharati 大学経由の音楽学交流、および YouTube・Spotify 経由の Sandhya Mukherjee・Manna Dey の楽曲の日本のインド音楽ファンへの認知が徐々に進んだ。ただし、日本でのベンガル現代歌謡の認知度は日本人の1万人に1人以下と極めて低く、日本のインド音楽シーンの中でも Rabindra-Sangeet(タゴール作品)より知名度が低い。この背景には、ベンガル現代歌謡が ベンガli 語圏内部の家庭音楽として機能し、国際流通の対象になりにくかったこと、そして Rabindra-Sangeet と違ってタゴールという世界的アイコンを持たないことがある。
初めて聴くなら
まず Hemanta Mukherjee《Ei Raat Tomar Amar》(1962、映画『Deep Jwele Jai』)から。20世紀ベンガル語歌謡の教科書的な代表作、Salil Chowdhury 作曲。次に Manna Dey《Coffee ハウスr Sei Adda Ta》(1983、Gauriprasanna Mazumder 詩・Suparnakanti Ghosh 曲)。深く入るなら Sandhya Mukherjee《Ke Prothom Kache Eshechi》(1961)、《Ghum Ghum Chand》(1958)、Kishore Kumar のベンガル語レパートリー《Ei Je Nadi Jae Sagore》(1963)。1990年代以降の Kabir Suman《Tomake Chai》(1992)は Jibanmukhi Gaan の起点として重要。HMV Kolkata ベンガル現代歌謡 のオムニバス盤(1990年代-)が入門的なコンピレーションとして推奨される。
豆知識
Hemanta Mukherjee は同一人物として二つの名前を持つ稀有な芸能人だった:ベンガル語圏では Hemanta Mukherjee(1920生年)、ボリウッド音楽 ヒンディー語では Hemant Kumar(同一人物、同時期活動)。彼は両言語の映画音楽・ベンガル現代歌謡を並行的に作曲・歌唱、それぞれの言語圏で別々の芸名を用いた。もう一つ:Manna Dey は生涯にわたって『Coffee ハウスr Sei Adda Ta』(1983、64歳作)が代表作の一つとして流通したが、彼自身は生前『これは私の ベンガli の代表曲ではない、私のヒンディー語の Ramayana、ボリウッド音楽 映画音楽が本業だ』と述べていた。しかし彼の死去(2013)以降、コルカタでの記念行事は必ずこの曲を歌う伝統ができた。もう一つ:Kabir Suman は1949年カットゥック(オリッサ州)生まれで、旧名 Suman Chatterjee として1970-80年代にアメリカ合衆国 Voice of America・ベンガli Service でジャーナリスト活動をしていた。1990年帰国後の1992年アルバム《Tomake Chai》で Jibanmukhi Gaan を提唱、2000年代にはイスラム改宗して Kabir Suman を名乗るようになり、2006-9年 Trinamool Congress 議員として西ベンガル州議会にも所属した。
