ポップ

ベンガ

Benga

ナイロビ/ニャンザ / ケニア / 東アフリカ · 1965年〜

1960~70年代ケニア・ナイロビでルオ系の伝統琴ニャティティを電化したフィンガー・ピッキング・ギターを核とするダンス音楽。

どんな音か

ベンガの中心はフィンガーピッキングのエレクトリックギターだ。6弦を親指と人差し指、中指で弾き、旋律と伴奏を同時に演奏する。この奏法はルオ民族の伝統的な琴「ニャティティ」の指の動きに由来しており、弦が多いギターで再解釈された形になっている。テンポは130〜150BPM台のダンスミュージックで、16分音符が連続する密なフィンガーピッキングパターンが主旋律を担いながら、ベースラインも同時に弾かれる。ボーカルはルオ語で歌われ、高くクリアな声質が多い。録音には1970〜80年代のアナログ感が残っており、その「薄い」音質もベンガの一部になっている。

生まれた背景

1960年代のナイロビ、独立直後のケニアで、ルオ系の若い音楽家たちがエレクトリックギターを手に取った。彼らが参照したのは西洋のロックでもコンゴのルンバでもなく、自分たちの伝統楽器ニャティティの奏法だった。Daniel Owino Misiani(通称「シャウリ・ヨール・ダニエル」)はこのサウンドを1960年代後半から体系化し、ディスキの楽団を率いてナイロビのダンスホールと録音スタジオで活躍した。ベンガケニアの都市部で急速に広まり、1970〜80年代にはルオ語のベンガケニアのポップチャートに頻繁に登場した。

聴きどころ

Daniel Owino Misianiの「ベンガ Beat」(1975年)か「Shauri Yako」(1980年)から入るのが最も典型的なスタイルを確認できる。まずギターのフィンガーピッキングのパターンを一本だけ追う。親指が刻むベースラインと、他の指が弾く旋律が同時進行している。次に同じリズムが何度もくり返された後、どのタイミングでボーカルが入るかを確認する。くり返しの中で少しずつニュアンスが変わっていくのが、ベンガの「グルーヴ」の核心だ。

発展

1970~80年代に黄金期を迎え、ナイロビのリヴァー・ロード周辺のスタジオから無数の45回転盤が流通した。1990年代以降コンゴ系ルンバや欧米ポップに押されるが、近年デヴォショ・スリやルオ・スターズが復興運動を担う。

出来事

  • 1965: シラリ&ジャンボ・ボーイズ最初のヒット
  • 1970: ダニエル・オウィノ・ミシアニ&シャイラリ・ベンガ結成
  • 1985: アフリ・ジャジー・ナイトが欧州ツアー
  • 2018: ベンガ復興運動

派生・影響

ルンバ・コンゴレーズ、ハイライフ、後のケニア・ヒップホップ、ボンゴ・フラヴァに影響。

音楽的特徴

楽器エレキギター、ベース、ドラム、ニャティティ起源のフィンガー・ピッキング、声

リズム高速4/4、ダブル・ピッキング、ルオ語歌詞

代表アーティスト

  • Daniel Owino Misianiケニア · 1965年〜2006

代表曲

日本との関係

日本ではほぼ無名。ワールドミュージックに深く踏み込んだリスナーや、アフリカ音楽の研究者・愛好家の間で知られる程度。ケニア料理店もほとんどない日本では、音楽として触れる機会は非常に限られている。

初めて聴くなら

Daniel Owino Misianiの「ベンガ Beat」(1975年)はフィンガーピッキングの密度をそのまま体感できる。夜の帰り道や移動中にイヤホンで聴くより、室内のスピーカーでリズムを体全体で受け取る方が、ダンスミュージックとしての性質がよく伝わる。「Shauri Yako」(1980年)はよりポップな旋律線を持ち、ボーカルとギターの対話がわかりやすい。

豆知識

ベンガ」という名称の語源は不明で、ルオ語でも特定の意味を持たないとされている(諸説あり)。Daniel Owino Misianiの「シャウリ・ヨール」(Shauri Yako)はスワヒリ語で「あなたの問題」を意味し、歌詞の内容は社会批評から恋愛まで幅広い。彼の音楽はケニアのルオ・コミュニティにとって政治的表現の場でもあり、政権批判とも受け取られた時期もある。ベンガはその後フュージョン(ベンガ・フュージョン)として現代ケニアポップに吸収され、純粋な形のベンガを演奏する楽団は現在少ない。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1940年代1960年代ベンガベンガルンバ・コンゴレーズルンバ・コンゴレーズ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
ベンガを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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