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伝統・民族

ウィンティ音楽

Winti Music

パラマリボ / スリナム内陸(Marroon居住区) / スリナム / 南アメリカ · 1670年〜

別名: Winti / Suriname possession ritual music / Afro-Surinamese ceremonial music

スリナムのAfro-Surinamese憑依儀礼wintiの音楽。1774-1971年オランダ植民地当局により禁止。

どんな音か

ウィンティ音楽は、スリナムのAfro-Surinameseコミュニティが継承する憑依儀礼wintiの音楽的中核だ。中心楽器はapinti(手叩き木彫太鼓)、agida(縦長樽太鼓、儀礼の最重要楽器)、pudja(短い木彫小太鼓)、kwakwa(打拍子木の板)で、リード歌手のスラナン語による呼びかけに集団が応答する。テンポは中速で、3-2または6/8感覚の複合拍子を用い、儀礼が進むにつれ加速して憑依状態を誘発する。旋律は限定音階(5-7音)で、詩は祖霊(yorka)、精霊(winti)、神格(Kra、Adjai)への呼びかけで構成される。歌詞はスラナン語または儀礼固有のクロマンティ語彙を含み、外部者には内容が伝わりにくく設計されている。カリブのvodou、キューバのsantería、ブラジルのcandombléと大西洋アフロ宗教音楽の兄弟マップを成す。

生まれた背景

17世紀後半以降、スリナムはオランダの砂糖プランテーション植民地として、西アフリカ(特に現在のガーナ、ベナン、ナイジェリア)から数十万人の奴隷を輸入した。彼らはコロマンティ、フォン、ヨルバなど複数の民族的宗教を持ち込み、スリナムでそれらが融合して成立したのがwintiだ。プランテーションから逃れて内陸に共同体を築いた集団(Maroon)は、より純粋な西アフリカ的儀礼形式を保存し、パラマリボ都市部のCreoleは西洋との接触の中でwintiを都市化させた。1874年、Dutch植民地当局はwinti儀礼を「魔術」として法的に禁止し(実質的な禁令はさらに古く1774年に遡る)、この禁令は1971年まで公式に有効だった。ほぼ200年間の禁令期間中、音楽は家庭内儀礼と秘密の集会でのみ継承された。

聴きどころ

まずagida太鼓の低音に耳を澄ませてほしい。この縦長樽太鼓は儀礼の最重要楽器で、リード奏者は素手で皮の中央を叩き、その低音が空間の骨格を作る。次にapintiの高音の連打と、kwakwaの打拍子木の乾いたアクセントが層を成す。旋律側では、リード歌手の呼びかけと集団の応答が数十分にわたり反復され、テンポが徐々に加速するのがwinti儀礼の音楽構造の核だ。憑依が起きるのは通常この加速の最終段階で、儀礼の内部では音楽と憑依状態は不可分に設計されている。Naksの1970-80年代の録音群は、儀礼のうち公開可能な範囲を舞台向けにアレンジしたもので、非儀礼的文脈で聴ける最良の入り口だ。

発展

禁令下でwinti音楽は家庭内儀礼と、後には秘密の集会で継承された。表面的にはブラスバンド化されたkasekoが「winti音楽の代替」として公の場に立ち、儀礼音楽は地下に潜り続けた。1971年の禁令解除、1975年の独立、そして2000年代以降の文化復興運動により、winti音楽は再び公の場に戻りつつあるが、儀礼の性質上、名前を持つスター的な担い手は少ない。パラマリボのオープン・キッチン儀礼、Marroon共同体の年中儀礼、そしてオランダのSurinamese-Dutchコミュニティ内の家族儀礼が主要な継承回路であり、Naks(1960s活動の伝統音楽家族グループ)や、Kenny Bのようにwintiのフレーズを引用する現代ポップ歌手が間接的に音源化を担っている。

出来事

  • 1670s: スリナム植民地成立、西アフリカ奴隷輸入開始
  • 1774: 事実上のwinti禁令
  • 1874: 法的winti禁令
  • 1971: 禁令解除
  • 2000s+: 文化復興運動と学術録音

派生・影響

kasekoの直接の親、Marroon共同体のkawinaと兄弟関係。ハイチのvodouミュージック、キューバのsantería、ブラジルのcandombléと大西洋アフロ宗教音楽の兄弟マップを成す。

音楽的特徴

楽器apinti(手叩き木彫太鼓)、agida(縦長樽太鼓)、pudja(小太鼓)、kwakwa(打拍子木)、時にkawai(足首の鈴)、リード歌手+集団応答

リズム3-2または6/8感覚の複合拍子、儀礼の進行に伴う加速、憑依誘発のためのタムのフィードバック、コール&レスポンス構造

代表アーティスト

  • Naksスリナム · 1960年〜
  • Ronald Snijdersスリナム / オランダ · 1975年〜
  • Kenny Bスリナム / オランダ · 2005年〜

代表曲

その後の代表曲

日本との関係

日本での認知はほぼゼロだ。ウィンティ音楽そのものが日本語で言及される機会は、大西洋奴隷貿易研究や宗教人類学の論文に限られ、音源として日本で流通したことはほぼない。日本の憑依儀礼への関心は主に沖縄のユタや東北のイタコに向かい、大西洋アフロ宗教音楽への視線はブラジルのcandombléが中心で、スリナムのwintiは事実上盲点になっている。日本語でwintiを扱った民族音楽学的著作は現時点でほぼ存在せず、参照は英語・オランダ語文献に頼ることになる。

初めて聴くなら

スタジオ録音としての入り口は限られるが、Naks名義の1970-80年代の録音群(『ウィンティ音楽 Prei』『Apinti Songs』)が最も入手しやすい。これは儀礼のうち公開可能な範囲を舞台向けにアレンジしたもので、儀礼の完全な形ではないが音楽的な特徴は伝わる。学術的には民族音楽学者Kenneth Bilbyの録音アーカイヴ(Smithsonian Folkways / Library of Congress)がMaroon共同体のwinti音楽の貴重な記録として重要だ。現代の間接的な入り口としてはKenny B『ウィンティ音楽 Flow』(2018)がwintiのフレーズを現代ポップに引用した数少ない例だ。

豆知識

「winti」はスラナン語で「風」を意味し、精霊が風のように人間に降りるという儀礼観に対応する。パラマリボのwinti儀礼はKra(個人の運命の神格)、Aisa(大地の女神)、Papa ウィンティ音楽(男性精霊)、Adjai(森の精霊)ら複数の階層の神格に対して行われ、各神格ごとに固有の太鼓リズムと歌が対応する。Maroon共同体(Ndyuka、Saramaka、Aluku)は現代でも比較的伝統形を保存しており、Ndyukaの儀礼はガーナのアシャンティのそれと直接的な連続性を持つ。1971年の禁令解除は、スリナムがオランダから独立する(1975年)4年前のことで、この解禁が独立運動の文化的下敷きとなった側面がある。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1670年代1700年代1930年代ウィンティ音楽ウィンティ音楽マロヤマロヤカセコカセコ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
ウィンティ音楽を中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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