伝統・民族

津軽民謡

Tsugaru Min'yō

青森県津軽地方 / 日本 / 東アジア · 1880年〜

別名: 津軽じょんがら節系民謡

青森県津軽地方の力強く即興性の高い民謡群。

どんな音か

三味線の音が鋭く跳び、声が叩きつけられるように出る。津軽三味線は通常の長唄端唄に使う三味線よりも太い棹と厚い皮を持ち、ばちで強く叩いて打音を出す奏法が特徴的。BPMは曲によって異なるが、「じょんがら節」の速弾きでは三味線の音が連続して転がるように続く。声は高橋竹山の録音でいえば、野良仕事の声を思わせる力強さがあり、こぶし(声の揺れ)を素早く入れることで感情を乗せる。替え歌や即興で歌詞を変えることが伝統的に許容されており、演奏者の個性が出やすい。

生まれた背景

津軽地方(青森県西部)は江戸時代を通じて厳しい飢饉に繰り返し見舞われ、特に天明・天保の飢饉では大量の餓死者を出した。門付け芸人(ごぜや盲目の旅芸人)たちが村から村へ渡り歩き、三味線を弾いて物乞いをしながら生きた。その移動と即興の実践が「じょんがら節」「よされ節」「おはら節」などの曲目を磨いた。高橋竹山は1964年に初めてアルバムを出し、民謡として伝承されてきたこの音楽をコンサートの独奏スタイルとして成立させた。吉田兄弟は1990年代後半からロック・クラブ音楽とのコラボレーションを積極的に行い、若い世代への窓口を開いた。

聴きどころ

高橋竹山の「津軽じょんがら節」(1964年)では、三味線の最初の一打ちから音の強さに注目するとよい。ギターとは異なる金属的な余韻と、打ち込む強さから来る音の歪みが独特。こぶしが入る場所——声が一瞬揺れてから元の音程に戻る箇所——は感情の強調であり、民謡ならではの表情付けを体感できる。速弾きセクションでは指の動きを想像しながら聴くと、即興と定型の境界を感じ取れる。

発展

戦後、高橋竹山が舞台演奏者として津軽三味線を独立芸能の地位に押し上げた。1970年代以降は津軽三味線全国大会が開催され、競技化と若手育成が進んだ。21世紀には吉田兄弟・上妻宏光らが現代化と国際的展開を牽引している。

出来事

  • 明治期: 仁太坊らによる津軽三味線芸の成立。
  • 1964年: 高橋竹山初の単独リサイタル。
  • 1985年: 津軽三味線全国大会の制度化。
  • 1999年: 吉田兄弟『いぶき』で津軽三味線ブーム。
  • 2010年代: 若手プレイヤーの国際公演活発化。

派生・影響

津軽三味線という独立芸能を生み、また現代の和楽器ポップスやワールドミュージック交流の素材となった。

音楽的特徴

楽器津軽三味線(太棹)、太鼓、尺八、声

リズム速く強い撥打ち、即興前弾き、変拍子的なノリ

代表アーティスト

  • 高橋竹山日本 · 1925年〜1998
  • 吉田兄弟日本 · 1999年〜

代表曲

日本との関係

津軽民謡はNHKの民謡番組などで長年放映され、日本人の多くは名前として知っている。「津軽三味線」は日本の伝統音楽の代名詞のひとつとして扱われ、海外への日本文化紹介の場でもしばしば演奏される。吉田兄弟は映画「ラスト・サムライ」関連のメディアにも登場し、国際的な知名度を持つ。和太鼓やひょっとこ踊りとともに祭りや地域行事で披露される機会も多い。

初めて聴くなら

高橋竹山の「津軽じょんがら節」(1964年)が出発点として外せない。一人の盲目の旅芸人がその音楽を磨いた背景を念頭に置いて聴くと、速弾きの意味が変わる。吉田兄弟の演奏はより録音が鮮明で高音質なため、三味線の音の構造を聴き取りたい人はそちらから入るのもよい。

豆知識

「じょんがら」という名称の語源には諸説あり、地名説・擬音説・外来語起源説などがある。いずれも確証がなく、民謡研究者の間でも結論が出ていない。また津軽三味線の競技大会「全国津軽三味線コンクール」は弘前市で毎年開かれており、全国から奏者が集まる本格的な競技として定着している。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1600年代1880年代津軽民謡津軽民謡民謡民謡津軽三味線津軽三味線凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
津軽民謡を中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル

日本 · 1880年前後 (±25年)

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