伝統・民族

端唄

Hauta

江戸(東京) / 日本 / 東アジア · 1830年〜

別名: Edo Hauta

江戸後期に成立した、短く軽妙な三味線歌曲。

どんな音か

端唄は三味線の伴奏とともに短く歌う形式で、長唄や常磐津のような大曲に対して「端(はした)の歌」という意味合いを持つ。三味線は細棹(ほそざお)を使い、爪弾くような軽い音色が出る。歌の長さは3〜5分程度で、1コーラスが完結する。歌詞は恋愛・別れ・酒・四季の情景を粋に詠んだ内容が多く、遊里(吉原など)の文化と密接に結びついて発展した。声は張り上げず、語るように歌う——長唄の華やかな声量とは対照的な、小さな部屋に合ったサイズの音楽だ。「梅は咲いたか」は端唄の代表曲で、春の到来を酒席の会話のような軽みで歌う。

生まれた背景

江戸後期(文化・文政年間、1804〜1830年代)に、江戸の花柳界で発展した。それ以前の俗曲(俗謡)から派生し、三味線音楽のジャンルとして独立した位置を占めるようになった。明治以降も芸者や料亭の座敷文化とともに続き、録音技術が普及した昭和初期には蓄音機レコードで全国に広まった。現在は端唄の師匠筋による演奏会・発表会が続いており、東京の伝統芸能の一部として命脈を保っている。ポピュラー音楽との接続は薄いが、昭和歌謡のなかに端唄的な節回しを取り入れた歌手もいた。

聴きどころ

「梅は咲いたか」を聴くときに注目したいのは三味線と声のタイミングだ。伴奏が先行する部分と、声が先行してから三味線が追う部分が交互に来て、この「すれ違い」が端唄の「粋」の感触を作る。声の装飾(コブシ)は少なく、長唄の豪華さより言葉を活かすシンプルさを選んでいる点が特徴。

発展

幕末から明治にかけて流行のピークを迎え、新橋・柳橋の芸者が必修教養とした。昭和期には端唄演奏家が伝統芸能として継承し、ラジオ・録音で普及した。現代は端唄保存会等が継承する。

出来事

  • 1830年代: 江戸町人文化での端唄流行。
  • 1855年: 端唄『春雨』発表。
  • 1900年: 新橋花柳界での端唄定着。
  • 1950年代: 端唄保存運動。
  • 2000年代: 邦楽教育素材として再注目。

派生・影響

端唄からさらに短く変奏した小唄が幕末に独立し、現代まで芸者文化と結びついて存続している。

音楽的特徴

楽器細棹三味線、声

リズム短い詞章、軽快なテンポ、粋を尊ぶ抑制的な節回し

代表曲

日本との関係

日本の伝統音楽なので受容・影響の問題は生じないが、現代の日本人の耳にも「古臭い」と感じられることが多い音楽だ。昭和の映画やドラマで座敷の場面に流れるBGMとして耳に残っている人はいる。近年は着物文化の見直しや伝統芸能への関心の高まりの中で、若い世代の師匠も出てきているが、音楽としての広がりは限定的。

初めて聴くなら

「梅は咲いたか」の録音(複数の名取・師匠による版がある)を、三味線の音色に集中しながら聴いてみてほしい。細棹三味線の細い音が、大きな音量ではなく近い距離で聴くことを前提にしているのがよく分かる。

豆知識

端唄」は江戸で「はした」と読まれていたが、明治以降に「はうた」の読みが定着した。東京の芸者文化と結びついていたため、明治・大正期の花柳界の栄枯が端唄の盛衰と連動している。レコード産業が発展した昭和初期、端唄は「小唄(こうた)」と並んで蓄音機の人気コンテンツだったが、洋楽や演歌歌謡曲の台頭とともに聴かれる場が縮小した。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1830年代1850年代端唄端唄小唄小唄凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
端唄を中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル

日本 · 1830年前後 (±25年)

  • 古典三曲1820年〜 · 日本

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