伝統・民族

長唄

Nagauta

江戸(東京) / 日本 / 東アジア · 1680年〜

別名: Kabuki Nagauta

歌舞伎舞踊の伴奏として発展した三味線音楽の代表的様式。

どんな音か

三味線(細棹)と歌(唄)が中心で、能管(横笛)・小鼓・大鼓・太鼓が場面に応じて加わる。三味線の音は金属的な明るさを持ち、ばちで弦を弾く音がはっきり聴こえる。歌は「コロコロ」「ツン」などの擬音語的な音型を含む独特の旋律で、音域は広くなく、声の色が前面に出る。速度変化が大きく、緩やかな「おとし」と急速な「序の口」を1曲の中で行き来する。歌舞伎の舞台では演奏者が舞台上に並んで演奏することもあり、音楽と踊りが同じ空間で共存する。

生まれた背景

17世紀末の江戸で、歌舞伎の舞踊音楽として整えられた。当初は「うた」「踊り」「三味線」が別々に存在していたが、元禄年間(1688〜1704)あたりから歌と三味線が一体化した「長唄」という様式が確立し始めた。杵屋(きねや)という家元制度のもとで技術と曲目が世代を超えて継承され、明治以降も歌舞伎座などの舞台で演奏が続いている。「勧進帳」は弁慶と義経の物語を扱った代表的な曲目で、長唄の技術的な高みを示す演目として現在も定期的に上演される。

聴きどころ

「勧進帳」の冒頭、三味線が単音で「間(ま)」を取りながら始まる部分で、音と沈黙の比率に耳を傾けてほしい。次に声が入ると、母音を長く伸ばしながら音程が微妙にゆらぐ「こぶし」の技術が聴ける。歌舞伎の場面では舞台の動きと連動しているが、音源だけを聴く場合は三味線のリズムの刻み方が「息づかい」に似た自然なゆれを持っていることに気づく。

発展

明治期に歌舞伎座の整備とともに長唄演奏家が職業として確立し、東京音楽学校(現東京藝大)に邦楽科が設けられた。20世紀には素演奏会・録音の普及で鑑賞音楽としての地位を獲得した。現代では東京藝大邦楽科・国立劇場が中心的伝承機関となっている。

出来事

  • 17世紀末: 江戸歌舞伎で長唄が定着。
  • 1773年: 杵屋家の勢力が確立。
  • 1840年: 河竹黙阿弥らによる長唄舞踊曲の隆盛。
  • 1888年: 東京音楽学校に邦楽科設置(後に独立)。
  • 1955年: 重要無形文化財指定。

派生・影響

邦楽合奏(三曲合奏)・端唄・小唄など江戸後期の三味線歌曲群と互いに影響しあった。歌舞伎舞踊の音楽様式を規定し、日本舞踊の伴奏ジャンルとしても継承される。

音楽的特徴

楽器細棹三味線、唄方、笛、小鼓、大鼓、太鼓

リズム歌舞伎舞踊の段構成、序奏(前弾き)・段切れ、囃子の入りと唄の応答

代表アーティスト

  • 杵屋六四郎日本 · 1900年〜1956
  • 杵屋勝四郎日本 · 1900年〜1976

代表曲

日本との関係

日本の伝統音楽の中でも長唄は歌舞伎と不可分で、伝統芸能の保護政策とともに現代まで演奏人口を維持している。東京藝術大学では長唄専攻があり、正規の音楽教育として継承される数少ない邦楽ジャンルのひとつだ。海外公演は歌舞伎の附帯音楽として行われることが多く、独立したコンサート形式での紹介はまだ限られる。

初めて聴くなら

「勧進帳」の演奏録音を聴く場合は、歌詞の意味を事前に簡単に読んでおくと場面転換がつかみやすい。三味線の技術に興味があれば、演奏者のばちの動きが見える映像(NHKアーカイブスや歌舞伎座公式映像)で聴くと音の出る瞬間と音の関係がより具体的にわかる。

豆知識

長唄」の「長」は曲の長さを指す——歌舞伎の幕間に演奏する「端唄(はうた)」などの短い曲と区別するために付いた名だ。演奏時間が30分を超える曲も珍しくなく、「供奴(ともやっこ)」のように舞踊の演目全体を支える大曲は、演奏者の集中力と体力の維持が技術と同等の課題になる。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1620年代1680年代長唄長唄地歌地歌凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
長唄を中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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日本 · 1680年前後 (±25年)

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