カザフ・キュイ
カザフのドンブラ(2弦リュート)独奏による物語器楽。ソヴィエト期に国立化された古典レパートリー。
どんな音か
カザフ・キュイ(küi、複数形küyler)は、カザフの2弦フレットレス・リュートであるドンブラの独奏で語られる器楽の伝統だ。各キュイは3-8分の長さを持ち、伝統的に物語・伝説・自然現象(草原の風、狼の遠吠え、河の流れ)・歴史的事件をタイトルと旋律で表現する標題器楽で、演奏前に語り手(奏者自身であることが多い)が背景の物語を短く語ってから弾き始めるのが本来の姿だ。奏法は右手指と親指の弾き分けと、左手の速いフレットレス滑走、そして両手の同時打弦(shertpe/tökpe)の対比を軸とする。テンポは自由で、緩急を大きく変化させながら旋律の物語弧を追う。ソヴィエト期の1934年にKurmangazy State Orchestraが設立されて以降、伝統的な独奏キュイは大人数のドンブラ・オーケストラに編曲される国立化の道を辿った。
生まれた背景
カザフ・キュイの伝統は少なくとも18-19世紀までには成立していたと考えられ、遊牧社会の巡回楽師(sal・sere)が村々を回って弾き語る形式で継承された。19世紀の最大の担い手Kurmangazy Sagyrbayuli(1818頃-1889)は、ロシア植民地下のカザフ草原で反乱に加わって刑を受けた歴史も持ち、彼の作とされる約60曲のキュイが現在も基幹レパートリーになっている。同時期の女性キュイ奏者Dina Nurpeisova(1861-1955)はKurmangazyの直弟子として彼のキュイを次世代に受け渡した重要な女性伝承者だ。1934年、ソヴィエト当局はアルマトイでKurmangazy State Kazakh Orchestra of Folk Instrumentsを設立、伝統的な独奏キュイをオーケストラ編曲する国立化事業を進めた。作曲家・指揮者Nurgisa Tlendievがこの体制の中心人物だった。
聴きどころ
まずドンブラの2弦のうねりに耳を澄ませてほしい。1弦目(高音)が旋律、2弦目(低音)がドローンまたはリズム・パターンを担い、両者の絡み合いが物語の推進力を作る。次に奏法で、shertpe(右手指の細やかな弾奏、南カザフの様式)とtökpe(両手の同時打弦、西カザフの様式)の対比があり、これがキュイの2大流派を分ける。KurmangazyのキュイAdaiは、西カザフのtökpe様式の代表曲で、カザフスタン国歌の第2主題としても使われる。オーケストラ編曲版(Kurmangazy State Orchestra)は伝統の博物館的保存としての性格が強く、独奏版とオーケストラ版を聴き比べると、20世紀の国立化事業がキュイの音の姿をどう変えたかが可聴化される。
発展
1934年、ソヴィエト当局はアルマトイでKurmangazy State Kazakh Orchestra of Folk Instrumentsを設立、伝統的な独奏キュイをオーケストラ編曲する国立化事業を進めた。作曲家・指揮者Nurgisa Tlendiev(1925-1998)はこの体制の中心人物で、キュイの管弦楽編曲と新作作曲でカザフ古典音楽の20世紀様式を確立した。ソヴィエト崩壊後の1990年代以降、独立カザフスタンはキュイをナショナル・アイデンティティの中核に据え、大学の音楽学部と国立コンクールで継承制度を維持している。ただしKimの2026年ブレインストームが率直に指摘したように、この体制は伝統の博物館的保存であり、若い世代のカザフ音楽シーン(K-Q Pop、若年層のヒップホップ)とは事実上切り離されている。
出来事
- 1818頃-1889: Kurmangazy Sagyrbayuli活動
- 1861-1955: Dina Nurpeisova継承
- 1934: Kurmangazy State Orchestra設立
- 1950s-90s: Nurgisa Tlendievのオーケストラ編曲
- 1991: カザフスタン独立、キュイのナショナル・シンボル化
派生・影響
キルギスのkomuz音楽、ウズベキスタンのシャシマカーム器楽と兄弟関係、モンゴル・トゥヴァのホーメイ(倍音歌唱)音楽と地理的隣接。近年Ulytau(2000年結成)が民族楽器+ロック・バンドの融合を試み、キュイの現代化路線を提示している。
音楽的特徴
楽器ドンブラ(2弦フレットレス・リュート)、時にkobyz(弓奏2弦)、sybyzgy(縦笛)、後年のオーケストラ編成では大人数のドンブラ・アンサンブル
リズム自由リズム、shertpe(右手指の細やかな弾奏)とtökpe(両手同時打弦)の対比、標題器楽としての物語弧、各キュイに固有の調弦・音階
代表アーティスト
- Kurmangazy Sagyrbayuli
- Dina Nurpeisova
- Nurgisa Tlendiev
代表曲
Bulbul — Dina Nurpeisova (1940)
Adai — Kurmangazy Sagyrbayuli (1860)
Balbyraun — Kurmangazy Sagyrbayuli (1865)
Aq Sazdyn Sazy — Nurgisa Tlendiev (1978)
日本との関係
初めて聴くなら
最初はKurmangazyの独奏キュイ『Adai』の複数のバージョン聴き比べから始めるのが良い。伝統的な独奏版とKurmangazy State Orchestraのオーケストラ版を並行して聴くことで、20世紀の国立化事業の音の変化が体感できる。次にDina Nurpeisovaの『Bulbul』(1940年代の録音)、女性キュイ奏者の代表的な一曲。Nurgisa Tlendievの1970-80年代のオーケストラ作品は、ソヴィエト期の音楽的到達点として重要。近年のカザフ・ロック・グループUlytau(2000年結成)は伝統キュイのリフをロック編成に組み込んだ路線で、伝統の現代化の一形態を示す。
豆知識
「küi」の語源はテュルク諸語で「音、旋律」を意味する古い語で、モンゴル語のkögとも同源とされる。Kurmangazyの故地(現在の西カザフスタン州アティラウ近郊)には彼の記念公園があり、カザフスタンの紙幣(500テンゲ札)にも彼の肖像が印刷されている。ドンブラ本体は伝統的にトウヒや杏の木を刳り抜いて作られ、弦は現在では合成繊維だが、20世紀半ばまでは羊の腸紐が使われた。Kimの2026年ブレインストームが率直に指摘したように、キュイの継承体制は音楽学校・国立オーケストラ・国立コンクールという博物館的な形で維持されている一方、カザフスタンの若年層音楽シーン(K-Q Pop、ヒップホップ)からは事実上切り離されている。
