フラメンコ・トケ
フラメンコのギターの枝。ナイロン弦のフラメンコ・ギターによる独奏と、カンテ・バイレの伴奏の両方を担う技法体系。
どんな音か
トケはフラメンコ・ギター(guitarra flamenca)の演奏を指し、伴奏(acompañamiento)と独奏(concierto)の二つの機能を持つ。楽器はクラシック・ギターより胴が薄く軽く、ゴルペ板(打面)を貼った個体で、6本のナイロン弦を指弾きするのが基本。技法の中核は、複数指を素早く扇のように開くラスゲアード(rasgueado)、爪でアポヤンド(隣弦に指をもたせかける)弾きするピカード(picado)、胴を叩いて打楽器のように鳴らすゴルペ(golpe)、親指と小指で交互に鳴らすアルサプア(alzapúa)、そして両手による超速のトレモロ(tremolo)。和声はモード(教会旋法)寄りで、E フリギア(Mode of E)からのアンダルシア終止 Am-G-F-E がフラメンコの音の代名詞だ。
生まれた背景
19世紀後半、カフェ・カンタンテでカンテを支える伴奏楽器として発達し、20世紀前半にラモン・モントヤ(1879-1949、マドリード)が独奏芸術としての語彙を整えた。彼はセゴビアがクラシック・ギターに対して行ったのと同じことを、フラメンコ・ギターに対して行った人物だ。次世代のニーニョ・リカルド(1904-72)とサビカス(1912-90、亡命先のニューヨークで独奏活動)が国際化の基礎を築いた。決定的な転換点は1970年代のパコ・デ・ルシア(1947-2014、アルヘシーラス生、本名 Francisco Sánchez Gómez)で、1973年『Fuente y Caudal』所収の『Entre Dos Aguas』でルンバのリズムに乗ったインストが世界的ヒットとなり、フラメンコ・ギターがラジオで流れる楽曲であり得ることを示した。彼は1977年、ペルー発祥のカホン(cajón、木箱型打楽器)をペルー人音楽家 Caitro Soto から購入して自身の Sextet に導入、これが以降のフラメンコの「標準編成」を書き換えた。1981年 John McLaughlin、Al Di Meola との三重奏『Friday Night in San Francisco』は3人の即興セッションでラテン・ジャズ史上最も売れたインスト盤の一つとなり、1991年『Concierto de Aranjuez』ではホアキン・ロドリーゴのクラシック協奏曲をフラメンコ・ギターで演奏、原作曲家からも公式に認められた。2014年2月26日、彼はメキシコのプラヤ・デル・カルメンの海辺で心臓発作により66歳で急逝、スペインは事実上の国葬に相当する追悼公演を営んだ。
聴きどころ
パコ・デ・ルシア『Entre Dos Aguas』(1973)を聴くと、まず冒頭のラスゲアードの音圧に驚くはずだ。フラメンコ・ギターは倍音成分が多く、ナイロン弦なのに金属的な鋭さがある。次に彼のピカード(親指以外の3本指の速弾き)が驚異的な速度で滑るので、フレーズの入りと終わりだけを聴き分けようとしてほしい。ビセンテ・アミーゴ『Poeta』(1997)はキューバのマエストロ Leo Brouwer 編曲によるオーケストラとの共演で、フラメンコ・ギターがクラシック管弦楽の中で対等に振る舞える瞬間を作った。マノロ・サンルーカル『Tauromagia』(1988) は闘牛の各儀式段階を音にした概念作品で、より学究的な和声実験の例だ。トマティート『Aguadulce』はカマロンの最後の伴奏者だった彼の、より穏やかで甘い南方色の代表作。
発展
パコはさらに1981年 John McLaughlin、Al Di Meola との三重奏『Friday Night in San Francisco』でジャズ側との融合を、1991年『Concierto de Aranjuez』でホアキン・ロドリーゴのクラシック協奏曲との橋渡しを果たし、フラメンコ・トケを「クラシック」「ジャズ」「ルンバ」の複数言語を持つ楽器に変えた。2014年2月26日、彼はメキシコのプラヤ・デル・カルメンの海辺で心臓発作により66歳で死去し、スペイン国葬級の追悼が営まれた。以降のトケはトマティート(1958-、アルメリア、カマロン最後の伴奏者)、マノロ・サンルーカル(1943-2022、ヘレス)、ビセンテ・アミーゴ(1967-、コルドバ)がそれぞれ別方向で系譜を継いでいる。
出来事
- 1949: ラモン・モントヤ死去、独奏語彙の第一世代終わる
- 1973: パコ・デ・ルシア『Entre Dos Aguas』
- 1977: パコ、フラメンコにカホンを導入
- 1981: パコ・マクラフリン・ディメオラ『Friday Night in San Francisco』
- 1997: ビセンテ・アミーゴ『Poeta』
- 2010: UNESCO無形文化遺産登録
- 2014: パコ・デ・ルシア死去
派生・影響
ラテン・アメリカのアコースティック・ギター音楽、ジャズ・フュージョン、映画音楽(『マイケル・コリンズ』のパコ参加など)に広く影響。
音楽的特徴
楽器フラメンコ・ギター(ネグラ/ブランカ)、カホン(1977年以降)、時にバホ・エレクトリコとフルート
リズム12拍のコンパス、ゴルペのアクセント、falseta(独奏のフレーズ)とcompás(伴奏の刻み)の対比
代表アーティスト
- Manolo Sanlúcar
- Vicente Amigo
代表曲・古典
Río Ancho — Paco de Lucía (1976)
Tauromagia — Manolo Sanlúcar (1988)
Poeta — Vicente Amigo (1997)
Ciudad de las Ideas — Vicente Amigo (2000)
代表曲・現在
Aguadulce — Tomatito (2004)
日本との関係
パコ・デ・ルシアは1970年代以降ほぼ毎年来日、東京文化会館・NHKホール・大阪フェスティバルホールを定番会場にした。彼のギター一本+ボンゴ+ベースの Sextet 編成は日本の音楽ファンに強烈な印象を残し、日本のクラシック・ギター奏者(福田進一、鈴木大介)が公にパコを引用するほどの影響を与えた。日本のフラメンコ・ギター奏者は世代的にかなり厚く、片桐勝彦、沖仁(2007年 スペイン主催「首都圏カテドラル」フラメンコ・ギター・コンクール優勝)、徳永兄弟らが海外でも認知される奏者となっている。楽器そのものの製作でも、日本の Yairi、Nakajima Toshimi など複数のフラメンコ・ギター・メーカーがスペイン本国でも評価されている。
初めて聴くなら
1曲だけならパコ・デ・ルシア『Entre Dos Aguas』(1973)、これがフラメンコ・トケの世界化の起点そのものだ。アルバム『Fuente y Caudal』(1973)全編で、伝統派の演奏(ソレア、シギリージャ)とルンバ・インストが同居するパコの二重言語性が味わえる。1981年『Friday Night in San Francisco』はジャズ・ファンにも入りやすい。ビセンテ・アミーゴ『Poeta』(1997)、マノロ・サンルーカル『Tauromagia』(1988)、トマティート『Aguadulce』(2004) が三者三様の現代トケの入り口。夜、良いスピーカーで、ナイロン弦の物理的な鳴り(倍音、爪音、胴の共鳴)を追いかけるのが正しい聴き方。
豆知識
パコ・デ・ルシアの本名 Francisco Sánchez Gómez の芸名「de Lucía」は母 Lucía Gomes の名前から取られており、これは兄弟(彼の兄はカンタオール Pepe de Lucía)全員が母の名を継いだ結果だ。1977年に彼が導入したカホンは、彼がペルー・リマ公演の楽屋で Caitro Soto の演奏を聴いて「これはフラメンコに必要だ」と直感し、その場で購入したという逸話が残る。以来カホンはフラメンコの標準編成に組み込まれ、ペルーの民族楽器がスペインの国民音楽の一部になる稀な逆流を作った。ビセンテ・アミーゴ『Ciudad de las Ideas』(2000)は2001年ラテン・グラミー最優秀フラメンコ・アルバム賞を受賞、彼はフラメンコ・ギタリストとして最も国際的に評価された同時代人となった。
