伝統・民族

クンディマン

Kundiman

フィリピン / 東南アジア · 1880年〜

フィリピンのタガログ語による愛と祖国を歌う芸術歌曲。

どんな音か

クンディマンの音はタガログ語の柔らかい子音と母音が旋律に溶け込んでいる。テンポは遅く、3拍子(ワルツに近い揺れ)が多い。ピアノかギターが和音を支え、ヴォーカルはビブラートを利かせながら長い音符を保ち、ハイノートに向かって高まる。感情の焦点は「ソフリング(苦しみながら耐える愛)」「サンタン(長引く片思い)」といったフィリピン的な感情語に当たる感覚で、あからさまな怒りや喜びより、沈黙の中の深い感情が重んじられる。植民地期には歌詞の表面上の「恋愛」の下に民族的独立への思いが隠されていたとも言われ、音楽が二重の意味を持つ。「Bayan Ko(私の国よ)」はその代表で、単なる愛国歌でなく現在も抵抗の歌として歌い継がれる。

生まれた背景

クンディマンは19世紀後半のフィリピンスペイン植民地末期に形を整え始めた。タガログ語の民謡スペインのサルスエラ(軽オペラ)の影響が混ざり合い、フィリピン中産階級の文化的表現として定着した。1896年のフィリピン独立革命の時代に愛国心と結びつき、「Bayan Ko」は作者不詳ながら現在もデモや抗議集会で使われる。アメリカ合衆国植民地期(1898〜1946年)に英語教育が普及してからも、タガログ語のクンディマンフィリピン語の音楽的アイデンティティとして守られた。現代ではOPM(OPM)に押されて演奏機会が減っているが、舞台芸術や音楽院では継続されている。

聴きどころ

「Bayan Ko」の演奏では、タガログ語の音節が旋律にどう乗るかを確認する。特に語末の「Ko(私の)」という短い言葉が旋律の高い部分に配置されることで、感情的な強調が生まれる。3拍子の「1・2・3」の「1」の打ちの重さと、「2・3」の柔らかい揺れがこのジャンルのリズムの核だ。ビブラートがどのタイミングで入り、どのタイミングで止むかも演奏家の個性が現れる部分。

発展

20世紀前半、アンドレス・モーリーニョス・コンスタンシオ・デ・ギスマン・ホセ・モンサーラ・カピーリャらの作曲家・歌手が発展させ、フィリピン国立音楽院でクラシック歌曲として教えられるようになった。

出来事

  • 19世紀末: 独立運動期にクンディマン発展。
  • 1898年: フィリピン共和国宣言。
  • 1923年: フランシスコ・サンチャゴ『クンディマン1923』。
  • 1934年: ニカノール・アバラル代表作『バヤン・コ』。
  • 1986年: ピープルパワー革命でクンディマン復権。

派生・影響

現代フィリピン・ポップ(OPM)・タガログ・バラードの旋律的源泉、海外フィリピン人移民コミュニティ(米国・カナダ・中東)の郷愁歌として継承される。

音楽的特徴

楽器ピアノ、ギター、声、ロンダラ伴奏(時に)

リズム三拍子のロマン主義旋律、タガログ語詞章、愛と祖国の二重象徴

代表曲

日本との関係

フィリピン人の日本在住者コミュニティは大きく、クンディマンが彼らのコミュニティ行事(独立記念日、フィリピン映画祭など)で演じられることはあるが、日本人聴衆に向けて紹介された例は少ない。OPMやP-pop(フィリピンポップ)が日本K-pop隣接文化で関心を集めることはあっても、クンディマンまで遡る日本人ファンはほとんどいない。

初めて聴くなら

「Bayan Ko」から入る。原曲の作者は不詳だが、複数のフィリピン人歌手による録音が存在する。歌詞の意味(「私の国よ、なぜこんなに苦しむのか」という内容)を大まかに知ってから聴くと、旋律の起伏が言葉の感情と一致していることが分かる。ピアノ伴奏のシンプルな録音版が旋律と声の関係を聴くのに向いている。

豆知識

クンディマン」という語の語源は、タガログ語の「kung hindi man(たとえそうでなくても)」に由来するという説がある。片思いや報われない愛を歌い始める常套句が曲名になったというわけだ。「Bayan Ko」はコラソン・アキノ大統領時代(1986年のピープルパワー革命後)に非公式な第二の国歌として広まり、その後もマルコス家への抗議デモで繰り返し歌われてきた。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1700年代1880年代クンディマンクンディマンロンダリャロンダリャ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
クンディマンを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

クンディマン の系譜全体図(多段)を見る

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