WorldMusic

伝統・民族

ダルムシュタット楽派

Darmstadt School

ダルムシュタット / ドイツ / 西欧 · 1946年〜

別名: Darmstädter Ferienkurse / Darmstadt Ferienkurse / Darmstadt Circle / 戦後前衛

1946年設立の Darmstädter Ferienkurse を拠点に、Boulez・Stockhausen・Nono・Maderna・Berio・Cage が集結した戦後西洋前衛の中央広場。総音列主義、電子音楽、偶然性、ライブ・エレクトロニクスがここで一斉に立ち上がった。

どんな音か

ダルムシュタット楽派の音は、初期(1951-58)は極端に密度の高い『総音列主義』の書法として立ち現れる。Stockhausen《クロイツシュピール》(1951)、Boulez《ポリフォニーX》(1951)、Nono《カノン変奏曲》(1950)、《中断された歌》(1956)を聴くと、各楽器が音高・持続・強弱・音色のすべての次元で厳密に統制された音列(Reihe)の操作の中で動いていることが分かる。1958年 John Cage のダルムシュタット講演を境に、この密度は偶然性・自由書式・沈黙の使用によって解体され、Stockhausen《ピアノ曲第11番》(1956、19楽節を演奏者が任意順で演奏)、Boulez《ピアノ・ソナタ第3番》(1957、未完)、Cage《コンサート・フォー・ピアノ・アンド・オーケストラ》(1958)へと展開する。並行して電子音楽が本格化し、Stockhausen《習作I・II》(1953-54)、《少年の歌》(1956)、《コンタクテ》(1960)、Berio《Thema》(1958)、Maderna《Notturno》(1956)が、生楽器と電子音の関係を再定義した。

生まれた背景

決定的な起点は1946年、音楽学者 Wolfgang Steinecke(1910-61)が、ドイツ・ヘッセン州ダルムシュタット市の Kranichstein 城で『Internationale Ferienkurse für Neue Musik(国際現代音楽夏期講習会)』を開始したことだ。米占領軍の文化的『再教育(Umerziehung)』政策の一環で、ナチ体制下で禁じられた前衛音楽を復権させる目的だった。1949年、フランスの指揮者・作曲家 René Leibowitz(1913-72、Schoenberg の弟子)がここに招かれ、12音技法を系統的に紹介した。この講習に参加した Nono(25歳)、Maderna(29歳)、Boulez(24歳)、Stockhausen(21歳)が、12音の音列操作を音高だけでなく持続・強弱・音色まで拡張する『総音列主義』を1950-52年に相次いで発表した。1952年 Nono は Schoenberg の娘 Nuria と結婚、シェーンベルク家との人的な連続性が象徴的に確立された。1958年 John Cage 講演、1968年前後の政治化、1970年代の Lachenmann / Rihm / Ferneyhough による多枝化を経て、ダルムシュタットは現在も毎夏開催されている(2024年で創設78年目)。

聴きどころ

第一に、総音列主義の音響の高密度に注意。Boulez《ル・マルトー・サン・メートル》(1955)や Stockhausen《グルッペン》(3群管弦楽、1957)を聴くと、拍節が均等に流れず、各楽器が異なるテンポで並走する時間感覚が全面に出る。第二に、電子音楽の時間論。Stockhausen《少年の歌》(1956)は、少年の声のテープと電子音を織り交ぜ、5チャンネル空間音響で再生される。生楽器では不可能な連続的な音色変化が主題となる。第三に、偶然性の書式。Stockhausen《ピアノ曲第11番》(1956)は19楽節を1枚の大きな譜面に配置し、演奏者が視線で任意の楽節を選ぶ形式。同じ作品が演奏毎に異なる長さ・順序を持つ。第四に、政治音楽としてのダルムシュタット楽派。Nono《Como una ola de fuerza y luz》(1972)、《Il canto sospeso》(1956、ナチ処刑された抵抗運動員の遺書に基づく合唱曲)は、前衛技法と政治的コミットメントが分離不可能に統合された代表例。

発展

1955年 Stockhausen《ツァイトマッセ(時間の尺度)》、Boulez《ル・マルトー・サン・メートル》、1956年 Nono《中断された歌(Il canto sospeso)》(ナチ処刑された抵抗運動員の遺書に基づく合唱曲)、1957年 Stockhausen《グルッペン》(3群管弦楽のための)、1958年 Berio《セクエンツァI》(独奏フルートのための連作の第1作)が、総音列主義の頂点作を形成した。同1958年、John Cage がダルムシュタットで講演し、偶然性(chance operations)と決定不能性(indeterminacy)を提唱、以降 Stockhausen《ピアノ曲第11番》《ミクロフォニーI》、Boulez《ピアノ・ソナタ第3番》で偶然性が主流化した。1968年前後、Nono が政治化し左派前衛を主導、1972年《Como una ola de fuerza y luz》『力と光の波のように』は チリの Luciano Cruz 追悼の政治音楽の里程標となった。1970年代以降、Helmut Lachenmann(1935-)が『拒否の音楽(musique concrète instrumentale)』を、Wolfgang Rihm(1952-)が『新単純性』を、後には Brian Ferneyhough(1943-)が『新複雑性』を提示し、ダルムシュタット系譜はさらに枝分かれした。

出来事

  • 1946: Darmstädter Ferienkurse 創設(Steinecke主導)
  • 1949: René Leibowitz 招聘、12音技法の系統的紹介
  • 1951: Stockhausen《クロイツシュピール》
  • 1952: Boulez《ストリュクチュールI》、Nono / Nuria Schoenberg 結婚
  • 1955: Boulez《ル・マルトー・サン・メートル》
  • 1957: Stockhausen《グルッペン》
  • 1958: John Cage 講演、偶然性の主流化
  • 1968: 政治化と Nono の左派転回
  • 1970: Lachenmann《Pression》で拒否の音楽
  • 1990: Nono 没

派生・影響

second-viennese-school の直接の子孫。total-serialism / elektronische-musik / aleatoric-music / live-electronics / tape-music / new-simplicity の集合的な母体。gendai-hogaku (Takemitsu / Yuasa Joji が1968年以降参加)と20世紀後半芸術音楽近代化の兄弟。

音楽的特徴

楽器室内楽から大編成管弦楽まで、テープ音楽、ライブ・エレクトロニクス、特殊奏法を要求される西洋楽器全般

リズム総音列主義による厳格な律動配分、複合拍節、自由書式(N秒間○○を続ける)、偶然性による演奏順序の可変、電子音の連続的な時間表現

代表アーティスト

  • ブルーノ・マデルナ (Bruno Maderna)イタリア · 1946年〜1973
  • ルチアーノ・ベリオ (Luciano Berio)イタリア · 1950年〜2003
  • 湯浅譲二 (Yuasa Jōji)日本 · 1955年〜
  • ヘルムート・ラッヘンマン (Helmut Lachenmann)ドイツ · 1963年〜

代表曲

その後の代表曲

  • Pressionヘルムート・ラッヘンマン (Helmut Lachenmann) (1969)
  • Dal niente (Interieur III)ヘルムート・ラッヘンマン (Helmut Lachenmann) (1970)

日本との関係

1950年代末以降、武満徹(1930-96)、湯浅譲二(1929-)、松平頼暁(1931-2023)、諸井誠(1930-2013)、一柳慧(1933-2022)らの日本の作曲家がダルムシュタット Ferienkurse に恒常的に参加した。特に1968年、武満徹がダルムシュタットで《テクスチュアズ》を発表、翌1969年には湯浅譲二が同地で《クロマモルフィII》を初演。日本音楽集団(Pro Musica Nipponia、1964年結成)は、この時期のダルムシュタット系譜の作曲家(武満・湯浅・三木稔・長沢勝俊)を主要な作曲家プールとして、和楽器のための現代作品を委嘱・初演していく。現代邦楽(gendai-hogaku)そのものが、事実上ダルムシュタット系譜の日本側の受容と応用として形成された。1970年大阪万博では、Xenakis《ペルセポリス》を含むダルムシュタット楽派作品が数多く上演され、日本の一般聴衆にダルムシュタット系の音を届ける機会となった。細川俊夫(1955-)、藤倉大(1977-)ら現代の日本人作曲家も、ダルムシュタット系譜の直接の後継として国際的に活動している。

初めて聴くなら

まず Boulez《ル・マルトー・サン・メートル(Le Marteau sans maître)》(1955)から。総音列主義の頂点作品で、Boulez 自身指揮 Ensemble intercontemporain の録音(1985 Deutsche Grammophon)がスタンダード。次に Stockhausen《グルッペン》(1957、3群管弦楽)を Rattle / Berlin Phil の録音で。深く入るなら Nono《Il canto sospeso》(1956)、Berio《Sinfonia》(1968-69、Boulez / New York Phil の初演録音)、Cage《Concert for Piano and Orchestra》(1958)、Lachenmann《Pression》(1969)。日本側は湯浅譲二《Interpenetration》(1963)、武満徹《テクスチュアズ》(1968)。

豆知識

1952年、Nono(28歳)は Schoenberg の娘 Nuria(1932-2016)と Los Angeles で結婚した。Schoenberg 自身は1951年に亡くなっており、婚姻式には出席できなかった。しかしこの結婚により、第二次ウィーン楽派ダルムシュタット楽派は文字通り血縁的に接続されることになった。Nuria は生涯にわたって Schoenberg 家財団の運営と、亡父の楽譜出版・遺稿管理を担った。もう一つ:1958年 Cage のダルムシュタット講演は、当時27歳の Stockhausen と31歳の Boulez にとって決定的な衝撃だった。両者は総音列主義の頂点でもあり、その規律性を守ることを共有していたが、Cage の偶然性の提唱は彼らの美学的な前提を根底から揺さぶった。Stockhausen は数年で偶然性を自身の書法に取り入れ、Boulez は最後まで抵抗しつつも《ピアノ・ソナタ第3番》(1957、未完)で部分的に受容した。この分岐はダルムシュタット楽派の二つの支流を作ることになる。もう一つ:武満徹は1968年ダルムシュタット参加時、『日本人はここで何を学べというのか、既に一柳慧(いちやなぎ とし、1933-2022)が Cage の門下として日本にケージ思想を持ち帰っている』と語ったと伝えられる。実際、一柳は1954-61年の New York 滞在中に Cage の直接の弟子となり、帰国後の1961年小澤征爾指揮の演奏会で Cage《ピアノ協奏曲》の日本初演を実現、ダルムシュタットとは別ルートでダルムシュタット楽派日本に持ち込んだ。

同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル

ドイツ · 1946年前後 (±25年)