アフロビートからアフロビーツへの長い夜
Felaが残したもの、Wizkidが受け取らなかったもの
伝統・民族ヒップホップ・R&B
「アフロビート」と「アフロビーツ」の違い
音楽記事を読んでいると、「アフロビート」と「アフロビーツ」が混同されているのをよく見る。だが、この2つは別物だ。
「アフロビート」(アフロビート、単数形) は1968年にナイジェリアの Fela Kuti が編み出したジャズ + ファンク + ハイライフ + ヨルバ伝統音楽の融合体。「アフロビーツ」(アフロビーツ、複数形) は2010年代以降、ナイジェリアやガーナの若いプロデューサーがダンスホール、ヒップホップを取り入れて作ったポップ・ジャンルだ。
Fela Kutiの長尺、政治、20人バンド
Fela Kuti のアフロビートは、当時のアフリカ大陸の脱植民地化の音響だった。10分以上の長尺、20人以上のバンド、英語とヨルバ語混じりの政治的な歌詞。彼自身も活動家として軍事政権と何度も衝突し、投獄された。
下のトラックは、Fela の代表曲『Zombie』(1976)。ナイジェリア軍を「無思考のゾンビ」と呼ぶ歌詞で、彼の家(カラクタ共和国)が軍に襲撃されるきっかけになった。母親が窓から投げ落とされて死に、Fela は重傷を負った。
この曲が、彼にとって音楽が何だったかを示している。
Wizkid世代が選んだもの、捨てたもの
2010年代後半、ナイジェリアの新世代の音楽が「アフロビーツ」(複数形 s 付き)と呼ばれて世界に広がる。Wizkid、Davido、Burna Boy、Tems、Asake — 彼らはみな Fela Kuti を知っているし、リスペクトしている。
だが、彼らが受け継いだのは Fela のリズム感覚だけだ。長尺ではなく3分のラジオフォーマット、政治的歌詞ではなく恋愛、20人バンドではなくスタジオ録音。
下は Wizkid のヒット曲『Essence』(2020、Tems featuring)。Billboard Hot 100 にランクインした最初のナイジェリア曲。Fela の長尺3分の音響的子孫だ、と批評家は書いた。
Fela の家、いまも息子と孫が守る
Fela Kuti は1997年に亡くなった。だが、彼の息子 Femi Kuti、孫 Made Kuti も演奏を続けている。ラゴスの「The Shrine」というクラブで、彼らはいまも8〜10分のアフロビートを演奏している。
アフロビートは消滅していない。しかし、彼らが守る伝統と、Spotify のチャートを征服した「アフロビーツ」のあいだには、すでに50年の時差が刻まれている。父と子と孫の音楽の物語として、これほど明確な世代間の距離はめずらしい。
