レゲエからダンスホール、レゲトンへの50年
ジャマイカが生んだリズムが、世界のチャートを征服するまで
3行まとめ
- レゲエのone dropは、1拍目を空けて3拍目に重みを落とすだけで、世界中の体をゆっくり揺らした。
- その拍はSleng Tengで電子化され、Shabba Ranks『Dem Bow』を通じてスペイン語圏のレゲトンへ渡った。
- 小さな島ジャマイカが50年かけて、レゲエ、ダンスホール、レゲトン、そして今のポップの心臓部に自分のリズムを埋め込んだ。
ラテン・カリブ
ジャマイカの「ワンドロップ」
ほとんどの曲は、聴く人の体を前へ前へと行進させる。レゲエはその逆をやる。体を後ろへ、ゆらりと傾けるのだ。
レゲエで「ワンドロップ(one drop)」と呼ばれる拍の取り方は、少し変わっている。一般的な4拍子なら、1拍目と3拍目に重みが乗る。レゲエはここを裏返す。1拍目をすっぽり空けて、重心を3拍目へ落とすのだ。ザ・ウェイラーズのドラマー、カールトン・バレットらが磨き上げたこの叩き方は、キックとスネアを3拍目で同時に鳴らし、各拍の裏(オフビート)でギターが歯切れよく音を入れる。このギターの刻みが、スカ由来のスキャンク(skank)だ。
重心が後ろに傾くと、聴き手は行進をやめ、揺れはじめる。1970年代、ボブ・マーリーが世界に広めたのは、まさにこの拍だった。
ボブ・マーリーが世界に伝えたもの
ボブ・マーリー(1945-1981)は、ワンドロップを発明した人物ではない。だが、それをキングストンの外へ、英語圏のロックファンにも届く形にして運び出した最初の人物だった。アイランド・レコードとプロデューサーのクリス・ブラックウェルを通じて、『Exodus』(1977)などのアルバムに乗せられたラスタファリ運動の精神性や反植民地の歌詞、そしてあの独特の重心が、ロックと同じ流通の波に乗っていった。
彼の死後も、ジャマイカの音楽は動き続ける。そして1985年、その後ろへ傾く拍そのものが書き換えられる事件が起きた。キング・ジャミー(King Jammy)が手がけた『Under Mi Sleng Teng』である。歌うのはウェイン・スミス、伴奏はノエル・デイヴィーがカシオMT-40という安価な家庭用キーボードの内蔵リズムから組み立てた。広く初の全面デジタル・レゲエとされる一曲だ。このリディム(riddim=ジャマイカ特有の、使い回される伴奏トラック)は瞬く間に広まり、何百もの歌い手が同じトラックの上で新曲を吹き込んだ。ダンスホール自体は1970年代末からすでにあったが、この曲を境にそれが全面デジタル化し、より硬く隙間の多い「デジタル・ダンスホール」へと変質していく。デジタル化したダンスホールは、マーリーのワンドロップを手放し、より打撃の強いリズムへと舵を切っていった。
下はボブ・マーリーの代表曲。スネアが前へ急がず、後ろへもたれる感覚に耳をすませてほしい。それがワンドロップだ。
1990年、一つのリズムが国境を越える
1990年、ジャマイカのDJ(ディージェイ。曲に乗せて歌い、煽る歌い手のこと)シャバ・ランクス(Shabba Ranks)が『Dem Bow』というダンスホール曲を発表する。この曲のリディムを支えるドラムループ——いわゆる「デムボウ(dembow)」リズム——が、その後30年の世界のダンス音楽を方向づけることになる。土台になっているのは、スティーリー&クレヴィ(Steely & Clevie)が作り、人々が「フィッシュ・マーケット」「ポコマン・ジャム」とも呼んだリズムで、制作はボビー・デジタル(Bobby Digital)が手がけた。
このデムボウは、ワンドロップとは正反対の拍だ。1拍目を空けるのではなく、拍頭から跳ねる3+3+2のキックを敷き詰める。ジャマイカが次に世界へ送り出したのは、この硬いリズムだった。
スペイン語圏のカリブ海では、歌い手たちがこのループの上に新しい曲を組み立てはじめた。まずパナマで、90年代初頭にスペイン語で作り直され、やがてプエルトリコの地下で、90年代後半から2000年前後にかけてレゲトンというジャンルへ固まっていく。
そして2004年、Daddy Yankee『Gasolina』が国境を越えた。ジャマイカ生まれのループが、スペイン語のヒット曲として全米を制した瞬間だった。2010年代後半には Bad Bunny や J Balvin が英語圏チャートの常連になる。
下は Bad Bunny『Tití Me Preguntó』(2022)。世界的ヒットだが、そのキックの一打一打を聞いてみてほしい——1990年にボビー・デジタルとシャバ・ランクスがキングストンで切り出したデムボウと、そう遠くないはずだ。
小さな島、世界のリズム
50年前にキングストンで生まれたいくつものリズムが、いまや世界中のクラブで等しく踊られている。ジャマイカは2025年現在、人口約280万人の小さな島国だ。だが一人あたりに換算すれば、世界の音楽をこれほど変えた国は数えるほどしかない。
その痕跡はあらゆる場所に顔を出す。ニューヨークのヒップホップ草創期、DJクール・ハークが持ち込んだのもジャマイカのサウンドシステム文化であり、レコードの上で語りかけるトースティング(toasting=ジャマイカのDJが曲に乗せて喋り、煽る話芸)だった。ショーン・ポールは20年にわたり英語圏のラジオに居続けている。ラゴスのアフロビーツの作り手は、ダンスホールのドラムパターンを当たり前に使う。ジャマイカ起源ではないが、南アフリカ生まれのアマピアノさえ、ロンドンのカリブ系移民コミュニティを介してダンスホールのクラブ文化と交わっている。
ワンドロップは、もうジャマイカだけのものではない。いまもジャマイカのものでありながら、同時に、世界全体のリズムにもなった。
作者のひとこと
ボブ・マーリーからBad Bunnyまで時系列に並べて聴くと、音色や言語は変わっても拍の重心が大きく動いていないことに気づきます。
