テクノはなぜデトロイトで生まれたのか
Belleville Three と中産階級アフリカ系アメリカ人の夢
エレクトロニック
1980年、見えない未来の街で
デトロイトという街を聞いて、何を思い浮かべるだろう。アメリカ合衆国の自動車産業の中心、フォードの本拠地、モータウン・レコードのソウルミュージック。しかし、1980年のデトロイトは、それらの全てを失いつつあった。
自動車工場は次々に閉鎖され、街は人口の3分の1を失った。当時のデトロイトは「アメリカ合衆国で最も未来の見えない街」と呼ばれていた。
奇妙なことに、その「未来の見えなさ」こそが、その後40年世界中のクラブを揺らすことになる音楽を生むことになる。
Belleville High School、3人の出会い
デトロイト郊外の小さな町Belleville。高校で出会ったJuan Atkins、Derrick May、Kevin Saundersonの3人は、いつも一緒に音楽を聴いていた。
ラジオから流れるソウル、ファンク、ディスコ。そして、この記事の主役となる音楽 — ドイツのバンド「クラフトワーク」とイタリアのジョルジオ・モロダー。電子音だけで作られた、機械のような音楽だった。
3人はクラフトワークが歌う「未来」を、自分たちの未来のないデトロイトに重ね合わせた。「もし機械が音楽を作るなら、それは新しい街、新しい人生のサウンドトラックになる」と Juan Atkins は後に語った。彼が18歳で作った最初の曲が、これだ。
1987年、『Strings of Life』が世界を裂いた
1987年、Derrick May が一晩で書き上げた曲『Strings of Life』が出た。クラシックなピアノのフレーズと、機械的なドラム、そして人の声に似た合成音。
この曲はデトロイトを越えて、ロンドンとイビサ島へ流れ込み、その夏のイギリス「Second Summer of Love」(1988年の幻覚剤+クラブカルチャーのブーム) を引き起こした。クラブで踊る若者たちは、それまで聴いたことのない種類のダンス音楽を体で覚えた。
翌1988年、ロンドンのレコード会社Virginが Derrick May、Juan Atkins、Kevin Saunderson らの曲をまとめて『テクノ! The New Dance Sound of Detroit』というコンピレーションでリリースする。「テクノ」というジャンル名が世界の語彙に入ったのは、この瞬間だった。
ベルリンで育ち、デトロイトに帰る
1990年代以降、テクノは「ヨーロッパの音楽」と誤解される時期を迎える。ベルリンの壁崩壊後の旧東ドイツの空きビル群が、テクノクラブの巨大な舞台となり、Berghainのような世界的シーンが育ったからだ。
だが、Belleville の3人は今もデトロイトに住んでいる。Derrick May は今もデトロイトの倉庫でDJイベントを主催する。「未来は、まだ遠くにある。だから、今夜も踊りに行こう」と彼は言った。
音楽が街を救うことはできない。しかし、街が音楽に「未来」を見せることは、ある。デトロイトはその例として、まだ世界の音楽史に名前を残し続けている。
