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2026年3月22日

ハイパーポップ前史 — PC Music から100 gecs まで

10年間の「やりすぎ」が、なぜ主流のポップになったのか

5分で読めます

3行まとめ

  1. ハイパーポップという名前は2019年のSpotifyプレイリストから広まったが、音の種はもっと前にあった。
  2. PC MusicのA. G. CookとSOPHIEは、甘すぎる声、硬すぎるベース、人工的すぎる質感で「ポップらしさ」をわざと壊した。
  3. 100 gecsを経て、かつて冗談扱いされた過剰さはCharli XCX『brat』でメインストリームの武器になった。

ポップエレクトロニックヒップホップ・R&B

「ハイパーポップ」という名前は、誰がつけたのか

ハイパーポップ、と聞いて何を思い浮かべるだろう。キーンと高く加工した声、機械のように硬いベース、ピンクと水色の世界観。始まったと気づく前に終わる、ひどく短い曲。

だが、「ハイパーポップ」という呼び名の出どころは意外なところにある。この語はもともと、Spotify のデータアナリスト Glenn McDonald(同社で楽曲のジャンル分類を長年担当した音楽データ研究者)が2018年に楽曲のメタデータへ加えたジャンルタグだった。それを2019年8月、同社の編集者が1つのプレイリスト名として採用する。100 gecs というアメリカ合衆国のデュオと、その周辺で活動する SoundCloud のアーティストたちの受け皿に、ちょうどはまる名前だったのだ。

それまでこの音響は、何と呼ばれていたか? それを知るには、当時ほとんど誰も真剣に受け取らなかった、2013年ロンドンの小さなレーベルに戻る必要がある。

名前のなかった音 — PC Music と SOPHIE

そのレーベルを立ち上げたのが、A. G. Cook(ロンドン出身、当時20代前半の英プロデューサー)だった。名前は バブルガム・ベース。そこから流れてくる音は、見たことのない種類のポップだった。機械で磨き上げたように完璧で、人工甘味料の甘さがある。まるで、存在しないポップスターのCMに流れるジングルのような音だった。これは本気のポップなのか、それとも既存のポップへの皮肉な冗談なのか — 当時、評価は割れた。レーベルの答えは「その両方だ」というものだった。

この美学の周辺にいたのが、金属どうしをぶつけたような硬い音や、ゴムが弾むようなベースで、それまでのポップにはなかった独特の触感のあるサウンドを作り出したプロデューサー、SOPHIE(ソフィー)だ。スコットランド・グラスゴーの Numbers(グラスゴー拠点の実験的ダンス・ミュージックのレーベル)から登場し、長く素顔を伏せていた人物で、2017年のシングル『It's Okay to Cry』で初めて素顔を見せ、トランス女性であることを公にした。代表作はコンピレーション『Product』(2015)。2021年に世を去るまで、2010年代でもとりわけ異彩を放つプロデューサーだった。

下のトラックは、バブルガム・ベース とその周辺の美学が結晶した一曲。SOPHIE がプロデュースした、英ポップ歌手 Charli XCX の『Vroom Vroom』(2016)だ。これが「ポップ」だと当時誰も信じなかった。だが Charli はここから、バブルガム・ベース 勢と組んだミックステープ『Pop 2』(2017)、コロナ禍のロックダウン中に制作した『how i'm feeling now』(2020)を経て、この美学を10年かけてポップの本流に持ち込んでいく。2024年の『brat』の音響的な祖先は、ここにある。

2019年、100 gecs が壁を壊す

2019年、ロサンゼルスの Dylan Brady と、シカゴの Laura Les というアメリカ合衆国の2人組「100 gecs」が、『1000 gecs』というアルバムを発表する。2人ともセントルイス近郊の出身で、このときは離れた場所からプロジェクトファイルを送り合って制作した。10曲23分、バブルガム・ベース ならではの甘い音作りに、ポップパンクやスカ、ニュー・メタル、ダブステップのかけらを次々と詰め込んだ作品だった。

このアルバムを聴いた Spotify 編集者が、例のプレイリストを「ハイパーポップ」と名付ける。同じ時期、SoundCloud には glaive や ericdoa(いずれもラップトップだけで曲を作るZ世代のラッパー兼プロデューサー)を中心に「digicore(デジコア)」と呼ばれる派生形が生まれていた。エモ・ラップの湿った感情に、ゲーム音のようなキラキラしたシンセと、バブルガム・ベース 譲りの高く加工した声を重ねた、宅録寄りのサウンドだ。ハイパーポップよりも、SoundCloud ヒップホップというルーツに忠実な呼び名だった。

下のトラックは100 gecs の代表曲。30秒で「無理だ」と思ったら、それが狙い。「最高だ」と思っても、同じく狙いだ。

メインストリームになった「やりすぎ」

2024年、Charli XCX が『brat』をリリースし、世界中の夏は「brat summer」になった。歪ませたシンセを土台に、囁くようなボーカルとダンス・ビートを併置するその音は、2016年の『Vroom Vroom』が試したことを、そのまま10年後のポップ・チャートで鳴らしたものだ。10年前なら「過剰すぎる」と無視されたサウンドが、いまではメインストリームのポップそのものになっている。

ハイパーポップ以後、ポップは「やりすぎ」を恐れなくなった。「整っていて、控えめに甘い」というポップの美学は、10年かけて静かに、しかし完全に書き換えられた。これは、誰も革命と呼ばないまま起きた革命だった。

作者のひとこと

入口にはCharli XCXの『Vroom Vroom』が分かりやすいです。そこから100 gecsの『money machine』へ進むと、ポップが過剰さを受け入れていく流れがかなり自然に見えてきます。

この記事のサウンド

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