古典

表現主義音楽

Musical Expressionism

ウィーン / オーストリア / 中央ヨーロッパ · 1905〜1925年

20世紀初頭ウィーンで、内面の極限的感情を直接音化した音楽運動。新ウィーン楽派の核。

どんな音か

和声はほぼ機能しない。長調でも短調でもなく、何の調でもない音が次々と現れる。弦楽器は高音部で軋み、管楽器は音域の端を突き、声楽では「シュプレヒシュティンメ(Sprechstimme)」と呼ばれる話し声と歌声の中間の技法が使われる——音の高低は指定されているが、歌唱ではなく「語りながら音程をたどる」ように聞こえる。シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」(1912)で聴けるこの声が、表現主義音楽の最も特徴的な質感だ。曲は短く切れ込み、沈黙が音と同じ重さを持つ。

生まれた背景

19世紀後半のウィーンはワーグナーとブラームスの対立が続き、調性音楽は最大限まで引き伸ばされていた。シェーンベルクは1905〜1910年頃、もはや既存の和声体系では自分の感情を書けないと感じ、調性を解体し始めた。同時代の画家カンディンスキーやムンクと個人的な交流もあり、内面の恐怖・不安・狂気を芸術として直接化するという表現主義の運動と共鳴していた。ウェーベルンとベルクがその弟子として加わり、「新ウィーン楽派」として20世紀前半の最重要な音楽思想の核となった。

聴きどころ

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番」作品10(1908)の第4楽章では、ソプラノ独唱が入ってくる直前、弦楽器だけで高音域の不安定な和音が続く——ここが調性から「落ちていく」境界線だ。次にベルク「ヴォツェック」から第3幕第2場を聴いてみてほしい。殺人の場面で音楽が沈黙と爆発を繰り返す——和音の名前が分からなくても「この音は怖い」という判断は身体が正直に下してくれる。

発展

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番」(1908)の終楽章でソプラノが「他の惑星の空気を感じる」と歌い、調性離脱を宣言した。その後「3つのピアノ曲」 作品11(1909)、「月に憑かれたピエロ」(1912)、ベルク「ヴォツェック」(1925)、ウェーベルンの極小作品が表現主義音楽の代表作となった。

出来事

  • 1908: シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番」、調性解体宣言
  • 1909: シェーンベルク「3つのピアノ曲」 作品11
  • 1912: シェーンベルク「月に憑かれたピエロ」
  • 1925: ベルク「ヴォツェック」初演

派生・影響

12音技法、戦後のセリアリズム、戦後オペラ(ベルク「ルル」、ヘンツェ)、現代の心理劇音楽全般に影響を残した。

音楽的特徴

楽器声、管弦楽、室内楽

リズム調性解体、跳躍旋律、激しい対比

代表アーティスト

  • アルノルト・シェーンベルクオーストリア/米国 · 1900年〜1951
  • アルバン・ベルクオーストリア · 1908年〜1935
  • アントン・ウェーベルンオーストリア · 1908年〜1945

代表曲

日本との関係

日本での受容は戦後から始まり、主に音楽大学の現代音楽教育を通じて入ってきた。作曲家の武満徹はウェーベルンの極度に凝縮した書法から影響を受けたと語っている。演奏機会はオペラシティや東京文化会館などのコンサートホールに限られることが多く、大衆的な広がりはないが、現代音楽ファンの間では表現主義はひとつの「歴史的引用点」として常に参照される。

初めて聴くなら

最初はシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」作品21(1912)の第1曲「月に憑かれたピエロ」を聴いてほしい。演奏時間が短く(2〜3分)、シュプレヒシュティンメの質感がすぐに把握できる。「これは歌なのか、語りなのか」という違和感が表現主義の核心だ。次にベルク「ヴォツェック」の抜粋へ進むと、この語法がいかに劇的な力を持つか実感できる。

豆知識

シェーンベルクは画家としても活動しており、表現主義の絵画展示(ブラウエ・ライター)にも参加していた。カンディンスキーと交わした書簡は、音楽と視覚芸術の境界を越えた創作論として現在も研究されている。また彼はチェスが好きで、亡命先のロサンゼルスでは近所の子供たちとよく対局していたという。

影響・派生で結ばれたジャンル

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