コラデイラ
カーボヴェルデの明るい2/4ダンス歌謡。モルナ、フナナと並ぶ三本柱の一本。
どんな音か
コラデイラは、カーボヴェルデ諸島サン・ヴィセンテ島とサンティアゴ島で1930-40年代に確立された、中速2/4のダンス歌謡だ。同じ島で歌われる悲哀のモルナ(遅い3拍子)、労働のフナナ(高速2/4)と並ぶカーボヴェルデ三本柱の一本で、明るさ、皮肉、社会風刺を核にする。編成はナイロン弦ギター、カヴァキーニョ(4弦の小型ギター)、ヴァイオリン、時にクラリネットとサックス、そしてリード歌手。テンポは110-140BPM、ベースは強調された2拍目、旋律にはポルトガル民謡由来のヘ短調・変ロ長調の郷愁が響く。歌詞はカーボヴェルデ・クレオール語(Kriolu)で、恋、噂話、政治への皮肉を扱う。作曲家B. Léza(1905-1958)がブラジル・サンバから輸入した半音下降和声「passagem à Léza」は、コラデイラとモルナ両方の署名になった。
生まれた背景
聴きどころ
まず2拍目のベースに耳を集中してほしい。コラデイラは4/4ではなく2/4の枠組みで作られ、その2拍目(あるいは4/4に読み替えたときの2・4拍目)に強いアクセントが置かれる。これはダンスの膝の屈伸と直接対応するリズムだ。次にカヴァキーニョの4分刻みの伴奏、そしてナイロン弦ギターのアルペジオが上に乗る典型的な編成が聴き取れる。Cesária Évora『Cabo Verde』(1997)のコラデイラ曲は、彼女の枯れた声質と、Bau率いる伴奏隊の抑制された演奏で、モルナの悲哀とは全く別の明るさを示す。B. Léza由来のpassagem à Léza(半音下降和声)は、和声の切なさとリズムの明るさが同居する独特の情緒を生む。
発展
戦後、ミンデロのカーニバルとダンスホール文化を軸にコラデイラは商業的な広がりを得た。1988年、Cesária Évora(1941-2011)がフランスLusafricaレーベルからデビュー、モルナと並んでコラデイラも国際的な耳に届けた。彼女の代表作『Miss Perfumado』(1992)、『Cabo Verde』(1997)にはコラデイラの快活な曲が並ぶ。2000年代以降はMayra Andrade、Tcheka、Bauらが伝統様式を保ちつつリスボンとパリのワールド・ミュージック回路に接続、若い世代はfunaná-coladeiraのハイブリッドを作っている。
出来事
- 1930-40s: サン・ヴィセンテ島で成立
- 1950s: B. Léza / Manuel de Novasのレパートリー確立
- 1988: Cesária Évora Lusafricaデビュー
- 1992: Cesária Évora『Miss Perfumado』
- 2000s: Mayra Andrade / Tchekaの新世代
派生・影響
モルナとフナナと兄弟関係。ブラジルのサンバ、ゾウク(カリブ)、ポルトガル・ファドと相互影響。1990年代のkolá san jonへも影響。
音楽的特徴
楽器ナイロン弦ギター、カヴァキーニョ、ヴァイオリン、ベース、時にクラリネット/サックス/ピアノ、リード歌手+バッキング
リズム中速2/4(110-140BPM)、2拍目を強調するダンス・ベース、ポルトガル民謡由来の短調と長調の交錯、歌詞はKriolu
代表アーティスト
- B. Léza
- Manuel de Novas
- Tcheka
代表曲
- Cabo Verde — Cesária Évora (1997)
- Petit Pays — Cesária Évora (1992)
Lua Nha Testemunha — B. Léza (1955)
Sodade Ka Tem Fim — Manuel de Novas (1975)
その後の代表曲
- Argui! — Tcheka (2003)
- Storia, Storia — Mayra Andrade (2010)
Nu Monda — Tcheka (2006)
日本との関係
初めて聴くなら
豆知識
「コラデイラ」の語源はポルトガル語colar(貼り付く、密着する)由来で、ダンスの密着した性質を指すという説が有力だ。B. Lézaの「passagem à Léza」は、コード進行の1度→7度→短7度→短3度と半音ずつ下降する和声移行で、ブラジル・サンバのbossa nova和声にも通じる。この署名はCesária Évoraのモルナ・コラデイラ両方で執拗に用いられ、彼女の音楽の署名になった。カーボヴェルデ音楽をLusafricaレーベルで世界流通させたJosé da Silvaは、Cesária Évoraを1988年に発掘した張本人で、彼のプロデュース戦略なしに現在のカーボヴェルデ音楽の国際的位置付けはあり得なかった。
