シャン=ノース歌唱
アイルランド語の無伴奏独唱による、微分音的な装飾を伴う古い歌の伝統。
どんな音か
シャン=ノース(sean-nós、「古いスタイル」の意)は、アイルランド語で歌われる無伴奏の独唱様式だ。伴奏楽器は一切なく、歌い手は一定のテンポを守らず詩の呼吸に合わせて自由に伸縮させる。装飾音は西洋クラシックのような清潔な前打音ではなく、音符の間を微分音的に滑るように入るのが特徴で、これが「調子っぱずれ」に聴こえる瞬間を意図的に作る。歌詞は数百年にわたる恋歌、労働歌、追悼歌、そして政治的バラッドで、一曲が5〜10分に及び、詩の一節を歌い終えると鳴り止み、聴衆が息をつくのが本来の様式だ。
生まれた背景
聴きどころ
まずテンポの伸縮に耳を澄ませてほしい。西洋の拍節感で聴こうとすると迷子になる。歌い手は詩の脚韻と息継ぎで区切りを作るので、拍子ではなく「呼吸」で聴くのが正解だ。次に装飾音で、音符と音符の間を1/4音〜1/6音単位で滑らせる「slide」が入る瞬間があり、それが清潔な西洋歌唱と決定的に違う。Joe Heaneyの『The Rocks of Bawn』を聴くと、フレーズの終わりで声を絞り込むように消していく癖がわかる。Iarla Ó Lionáirdは伝統的な様式を保ちつつマイクの前の距離感を計算しており、頭上に反響するような発声を意図的に作っている。
発展
1970年代以降、ジョー・ヒーニーの北米亡命録音、シャン=ノース全国大会(Oireachtas na Gaeilge)の再興、そしてイアーラ・オ・リオナルドがアフロ=ケルト・サウンドシステムとの共演で世界のフェス回路に持ち出したことで国際的な認知を得た。現代の歌い手は伝統的な様式を守りつつ、映画音楽やアンビエントとの共演にも進出している。
出来事
- 1897: Oireachtas na Gaeilge全国大会創始
- 1963: Joe HeaneyがLPを米録音
- 1997: Iarla Ó LionáirdがAfro Celt Sound Systemに参加
- 2014: Nell Ní Chróinín、TG4 Gradam Ceoil若手歌手賞受賞
派生・影響
アイリッシュ=トラッドの声楽側の中核。ロー・ホイッスルやパイプの装飾語彙はシャン=ノースの声の装飾から借用されたと言われる。
音楽的特徴
楽器無伴奏の独唱声
リズム自由リズム、朗詠に近い伸縮するテンポ、詩の脚韻に沿って呼吸する
代表アーティスト
- Joe Heaney
- Iarla Ó Lionáird
代表曲・古典
The Rocks of Bawn — Joe Heaney (1963)
Amhrán na Trá Báine — Joe Heaney (1964)
Aoibhneas Mhuire — Iarla Ó Lionáird (1996)
代表曲・現在
Foxlight — Iarla Ó Lionáird (2014)
日本との関係
初めて聴くなら
豆知識
「シャン=ノース(sean-nós)」の直訳は「古いスタイル」で、これは19世紀後半のゲール語復興運動が「新しい伴奏付きの歌」と区別するために作った呼称だ。つまり呼称そのものは近代的な概念で、江戸時代の日本語で「古典音楽」という言葉が明治になって初めて生まれたのと構造が似ている。Joe Heaneyは1957年にアメリカ合衆国に渡り、ホテル・ドアマンとして生計を立てながらワシントン大学で客員教授を務めた。彼の死後、コネマラの故郷カーナに毎年Joe Heaney Festivalが開かれている。
