伝統・民族

ロマ音楽

Romani Music

ヨーロッパ全域 / 東ヨーロッパ · 1300年〜

別名: Gypsy Music

ヨーロッパ全域のロマ民族の音楽伝統。

どんな音か

ロマ音楽に「これ一つ」という様式はない。バルカン半島のブラスバンドは金管楽器が縦横無尽に絡み合い、チューバが低音を刻みながらトランペットが小刻みに音を割る。ルーマニアのタラフはバイオリンが何挺も重なり、1人のプリマ奏者がメロディを即興で装飾し続ける。フラメンコのギターにはアンダルシアのロマ音楽師の影響が入っている。共通しているのは、拍の上に乗るのではなく、拍の周囲をぐるりと回るような微妙なタイミングのずらし方と、感情の密度が突然上がる瞬間の存在だ。

生まれた背景

ロマの祖先はインド北西部(現在のラージャスターン〜パンジャーブ地方)から出発し、10〜13世紀にかけてペルシャ、アナトリア、バルカンを経てヨーロッパに到達したと考えられている。各地を移動しながら音楽師・職人として生計を立て、その土地の音楽を吸収しながらロマ固有の感覚でつくり直してきた。定住を強制された19世紀以降も、音楽だけは移動性・即興性を保ち続けた。コチャニ・オルケスタル(マケドニア)やタラフ・ド・ハイドゥークス(ルーマニア)は1990年代のワールドミュージックブームで国際的に注目された。

聴きどころ

「Čaje Šukarije — Esma Redžepova (1971)」はマケドニアのロマ女性歌手による代表曲で、声の伸ばし方と切り方に中東・バルカン両方の影響がある。「Siki Siki Baba — Kočani Orkestar (1997)」では金管アンサンブルがどう一塊になって疾走するかを感じてほしい。「Carolina — Taraf de Haïdouks (1991)」ではバイオリンの即興がどこで本線から逸脱し始めるか追うと面白い。

発展

20世紀末以降のWorld Music潮流でTaraf de Haïdouks、Esma Redžepova、Kočani Orkestarら国際的スターが生まれた。映画音楽(Bregović、Kusturica作品)で国際的認知も高まった。

出来事

  • 11世紀: ヨーロッパ移動開始
  • 1971: 第1回世界ロマ会議
  • 1991: Taraf de Haïdouks国際進出
  • 1998: Bregović『Underground』

派生・影響

Flamenco、Balkan Brass、Cigányzene、Manele、Lăutari音楽などの広い母体。

音楽的特徴

楽器ヴァイオリン、ツィンバロム、アコーディオン、ブラス、ギター、声

リズム地域により多様(緩急対比、メリスマ歌唱が共通)

代表アーティスト

  • Esma Redžepova北マケドニア · 1957年〜2016
  • Kočani Orkestar北マケドニア · 1990年〜
  • Taraf de Haïdouksルーマニア · 1991年〜

代表曲

日本との関係

トニー・ガトリフの映画「ラッチョ・ドローム」(1993年)や「ガッジョ・ディビル」(1997年)が日本で公開され、映像と音楽の組み合わせでロマ音楽を知った人が一定数いる。クラブ系の文脈では「バルカン・ビート」として東京のクラブでかかることもあった2000年代後半。ファドやジプシー・ジャズの愛好家と重なる層に支持がある。

初めて聴くなら

「Čaje Šukarije — Esma Redžepova (1971)」で声から入るのが最も直接的な入口。次に「Siki Siki Baba — Kočani Orkestar (1997)」で金管の世界へ。2曲の温度差がロマ音楽の地域差をそのまま示している。

豆知識

エスマ・レジェポヴァはマケドニアのロマ音楽を代表する歌手で、「ロマの女王」と称された。47人の孤児を引き取ったことでも知られ、2016年に亡くなった際には国葬に準じた扱いを受けた。「Misirlou」はギリシャ語、アラビア語、ヘブライ語の諸説がある歌だが、バルカンのロマ音楽師がアレンジを担った可能性もある。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1300年代1780年代1830年代1850年代1990年代ロマ音楽ロマ音楽フラメンコフラメンコバルカンブラスバルカンブラスチガーニ・ゼネチガーニ・ゼネマネレマネレ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
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