ナルコ・コリード
コリードの語り歌形式で麻薬密売の当事者を主人公にする、1970年代以降のノルテーニョ/バンダ内部で拡大した論争的サブジャンル。
どんな音か
ナルコ・コリードは、コリード(メキシコの伝統的な語り歌)の三人称叙述形式を保ったまま、その主人公を麻薬密売人(narco)や関連の犯罪組織の人物に置き換えた語り歌のサブジャンルだ。編成は基本的にノルテーニョかバンダ・シナロエンセそのままで、ボタン式アコーディオン+バホ・セスト+ベース+ドラム(ノルテーニョ側)か、トロンボーン+トランペット+スーザフォン+タンボーラ(バンダ側)。ジャンルとしての独自性は音ではなく歌詞にあり、実在の麻薬密売人の名前、輸送ルート、抗争、殉死といった具体的な出来事を、19世紀のメキシコ革命コリードと同じ叙事的トーンで語る。テンポと拍子はコリードのポルカ2/4かワルツ3/4、テンポは110-140BPM。近年の「ナルコ・コリード(戦争コリード)」派は、より暴力的な描写を強調する方向に進んでいる。
生まれた背景
コリード自体は19世紀のメキシコ革命期(1910-20)から続く語り歌の伝統で、パンチョ・ビリャ、エミリアーノ・サパタら革命の英雄を歌う中立的な報告体が原型だ。この叙述形式に麻薬密売を初めて本格的に載せたのが、1974年のLos Tigres del Norte『Contrabando y Traición』——テキサスからカリフォルニアへマリファナを運ぶ女性密売人カミリアが、共犯の男に裏切られる物語を歌った曲——だった。この曲は数百万枚を売り、以降ナルコ・コリードは商業的サブジャンルとして拡大した。決定的な独自の声を持ち込んだのが、シナロア州出身のChalino Sánchez(1960-92)で、彼は自ら密売の世界と近い距離を保ちながらコリードを歌い、1980年代後半にロサンゼルスの移民ラジオを通じて頭角を現した。1992年5月16日、Chalino Sánchezはシナロア州クリアカン市の公演直後に誘拐され、翌朝遺体で発見された(享年31)。犯人は未特定のまま今日に至り、この死がナルコ・コリードを「殉死者を持つジャンル」に変えた。
聴きどころ
ナルコ・コリードの聴きどころは、音そのものよりも歌詞の叙事的な緊張感だ。伝統コリードと同じく、歌手は「1985年のある夜、ソノラの山道で〜」といった具体的な時間と場所から語り始め、登場人物の名前を挙げ、事件の展開を三人称で報告する。Los Tigres del Norteの『Contrabando y Traición』を聴くと、密売人カミリアの物語が3分の中で完結する叙述の技を体感できる。Chalino Sánchezの歌唱は決して技巧的ではないが、彼自身の声が「実際に密売の世界を知っている人物の声」として受け取られたことで、ジャンル全体の説得力を書き換えた。Los Tucanes de Tijuanaの『Mis Tres Animales』(1995)は、動物の隠語で3種の麻薬(マリファナ=シカ、コカイン=オウム、覚醒剤=ヤギ)を歌った物議を醸した曲で、ジャンルの暗号的な語り方の代表例だ。
発展
1992年5月16日、Chalino Sánchezはシナロア州クリアカン市の公演直後に誘拐され、翌朝遺体で発見された(享年31)。犯人は未特定のまま今日に至り、この死がナルコ・コリードを「殉死者を持つジャンル」に変えた。以降ロサンゼルスとティフアナを軸に、Los Tucanes de Tijuana(1987結成)、Chalinillo(Chalino息子)、El As de la Sierra、Valentín Elizalde(2006年に射殺)、Sergio Vega『El Shaka』(2010年に射殺)がジャンルの主役を務めた。メキシコの北部諸州(シナロア、チワワ、キンタナ・ロー、バハ・カリフォルニア)では公演でのナルコ・コリード演奏が州法で禁止されるようになり、2019年以降は「Corrido bélico」という新しい呼称で内容がさらに過激化した若い世代(Adriel Favela、El Fantasma、Nataneal Canoの初期作)が問題視されている。2023年、Peso Plumaはティフアナ公演直前にカルテルからの脅迫バナーを受けて公演を中止した。
出来事
- 1974: Los Tigres del Norte『Contrabando y Traición』
- 1987: Los Tucanes de Tijuana結成
- 1992年5月: Chalino Sánchez殺害
- 2006: Valentín Elizalde射殺
- 2010: Sergio Vega射殺
- 2023: Peso Plumaがティフアナ公演をカルテル脅迫で中止
派生・影響
伝統コリードから派生した直接の子孫で、コリードス・トゥンバドス(2019-)は、このナルコ・コリードの叙述形式をトラップの808ビートで再解釈したもの。
音楽的特徴
楽器ボタン式アコーディオン、バホ・セスト、ベース、ドラム、時にサックス、または吹奏楽団(バンダ・シナロエンセ)、ボーカル
リズムコリードのポルカ2/4、ワルツ3/4、テンポ110-140BPM、物語詩の叙事形式
代表アーティスト
- Chalino Sánchez
- Los Tucanes de Tijuana
代表曲・古典
Alma Enamorada — Chalino Sánchez (1990)
Nieves de Enero — Chalino Sánchez (1992)
Mis Tres Animales — Los Tucanes de Tijuana (1995)
日本との関係
初めて聴くなら
最初はLos Tigres del Norteの『Contrabando y Traición』(1974)、ジャンルの起点であり最良の入り口だ。歌詞のスペイン語が分からなくても、叙述の抑制されたトーンから物語の緊張感は伝わる。次にChalino Sánchezの『Alma Enamorada』(1990)、彼の1992年の死の直前の録音で、素朴な歌唱の説得力が体感できる。Los Tucanes de Tijuana『Mis Tres Animales』(1995)は、ジャンルの論争的側面を示す。ヘッドホンで、歌詞の対訳を追いながらが向いている——ナルコ・コリードは踊る音楽ではなく、聴く音楽だ。
豆知識
「Chalino Sánchez」は本名Rosalino Sánchez Félixで、シナロア州エル・グアヨタル出身。1970年代にカリフォルニアに移住し、当初は移民労働者として働きながら夜にコリードを歌っていた。彼の死後、彼の墓(ロサンゼルス郡Whittier)は現在も巡礼地となっており、若手コリード歌手が墓前で歌うことが「ジャンルへの敬意」の儀式として続いている。ナルコ・コリードの歌詞に登場する隠語(gallo=戦闘用の鶏、chapo=背の低い男、jefe=ボス)は、実際のカルテル内部の隠語と一致することが多く、DEA(米麻薬取締局)は一時期ナルコ・コリードの歌詞を「密売組織の情報源」として分析していたと言われる。メキシコの複数の州(チワワ、シナロア、キンタナ・ロー、バハ・カリフォルニア)では、ライブ会場でのナルコ・コリード演奏を州法で禁止しており、違反すると会場側に罰金が科される。
