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ロック・メタル

香港ロック

Hong Kong Rock

香港 / 東アジア · 1983年〜

別名: HK Rock / Cantonese Rock / 香港搖滾

1980-90年代の香港で、広東語の叙情とハードロック/ニューウェイヴを結合させた、Beyond に代表されるバンド音楽。

どんな音か

香港ロックは、広東語(粤語)で歌われるロックの総体で、広東ポップ のバラード工場とは別軸で1980年代の香港が独自に育てたバンド文化を指す。中心はハードロック寄りの Beyond(黃家駒率いる4人組)、シンセ主体のニューウェイヴ Tat Ming Pair(達明一派、劉以達+黃耀明の2人組)、そして返還後の広東語ラップ/ラップメタルの LMF(大懶堂) の三つの型に分けられる。編成は基本的にエレキギター+ベース+ドラム+ボーカルの4人組で、Beyond のようにツイン・ギターを立てる編成が主流。歌詞は広東語で書かれ、恋愛・青春だけでなく反体制、社会階級、香港のアイデンティティを直接扱う点で、同時期の 広東ポップ とは明確に距離を取った。録音は 広東ポップ の艶やかな仕上げに対し、より生々しくギターの歪みを前に出す方向を好む。

生まれた背景

決定打は1983年結成の Beyond で、黃家駒(1962-93、ボーカル/ギター)率いる4人組が 広東ポップ アイドル全盛期のなかで「バンドであること」を若者に見せつけた。1988年『大地』が最初のヒット、1990年『光輝歲月』はネルソン・マンデラの27年獄中生活を主題にした反アパルトヘイト・ソングを広東語で書いた稀有な例だった。頂点は1993年5月の『海闊天空』で、返還を4年後に控えた香港青年の宣言歌としていまも歌い継がれている。しかし同年6月24日、日本のフジテレビ『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の収録中、黃家駒がステージ上のセットから転落し、6日後の6月30日に東京女子医大病院で死去した(31歳)。この事件は香港ロック史の分水嶺となり、Beyond は残った3人で活動を続けたものの、黃家駒個人の存在感が持っていた重量は取り戻せなかった。同時期の Tat Ming Pair(1984-91)は英 New Order / Depeche Mode 系のシンセ・サウンドに、返還前香港の政治的不安と黃耀明自身のセクシュアリティを織り込んだ、当時の華人圏で最も先鋭的な歌詞を書いた。

聴きどころ

Beyond の『海闊天空』は、Aメロで黃家駒が抑えた地声で語り、サビでファルセット直前の高音を張り上げる二段構えの構造を聴いてほしい。彼の声質は 広東ポップ の艶やかな男性歌手(譚詠麟・張學友)とは対照的に、掠れと勢いが同居する「バンドのボーカル」の声で、これが香港ロックの声の商標となった。Tat Ming Pair の『石頭記』(1987)を聴くと、劉以達の Yamaha DX7 のベル・パッドと黃耀明の中性的なテナーが同時期のイギリス ニューウェーブ そのままの手触りで並ぶことに気づく。LMF は広東語スラング(いわゆる「粗口」を含む)を多用したことで大人からは強く忌避されたが、返還後の若者の言語感覚をそのまま音にした。RubberBand の『每道微小』(2019)は反送中運動時期に街頭で歌われた曲で、抑えたバラードから徐々に高揚するダイナミクスに、いまの香港ロックの骨格が残っている。

発展

1990年代後半には LMF が広東語ラップ・ロックを打ち出し、返還後の香港下町の広東語スラングで若者の鬱屈を歌った。2000年代に入ると RubberBand (2005結成) がメロディック・ロック路線で世代の代弁者となり、Kolor、Mr.、Dear Jane が続いた。2014年の Umbrella Movement 以降は歌詞の政治性がさらに強まり、2019年反送中運動時には香港ロックの多くの楽曲が街頭で歌われた。国安法施行(2020)以降、多くのアーティストが海外拠点に移り、シーンは英ロンドン、台北、トロントに分散している。

出来事

  • 1983: Beyond 結成
  • 1984: 中英共同声明、返還決定
  • 1990: Beyond『光輝歲月』
  • 1993: 黃家駒東京死去、Beyond『海闊天空』
  • 1997: 香港返還
  • 2014: Umbrella Movement
  • 2019: 反送中運動
  • 2020: 国安法施行

派生・影響

Cantopop と兄弟関係にあり、両者のアーティストは頻繁に交差する(黃耀明は Tat Ming Pair 解散後 Cantopop ソロへ)。広東語ラップの現代形は本作 c-rap ではなく hongkong-rock 系譜の LMF が直接の親。

音楽的特徴

楽器エレキギター、エレキベース、ドラム、キーボード/シンセ、ボーカル、時にサックスやハーモニカ

リズムスタンダードなロックの4/4、時に広東語の四声に沿った跳ねるスウィング、パワーバラードの3/4

代表アーティスト

  • Beyond香港 · 1983年〜
  • Tat Ming Pair (達明一派)香港 · 1984年〜1991
  • LMF (Lazy Mutha Fucker / 大懶堂)香港 · 1993年〜2003
  • RubberBand香港 · 2005年〜

代表曲・古典

代表曲・現在

日本との関係

Beyond と日本の関係は直接的で、重い。1992年、彼らはサザンオールスターズが所属する日本のアミューズと契約、日本語アルバム『Super Rock in 日本』(1992)などを制作し、日本市場を本気で狙っていた。1993年6月24日、東京・お台場のフジテレビ第一スタジオでの『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』収録中に、ステージ上のセットが崩れ、黃家駒がおよそ2.7メートル下に転落、頭部を強打した。黃家駒の遺体は6月30日の死去後、香港へ空輸され、7月5日の香港での葬儀には数万人が参列した。日本国内では長らくこの事件そのものが表立って語られてこなかったが、近年 YouTube 上で当時の日本語番組出演映像が再流通し、日本人リスナーが遡って Beyond に辿り着くルートが生まれている。Tat Ming Pair の黃耀明は日本のシンセ・ポップ(YMO、佐野元春)の直接の影響下にあることを公言している。

初めて聴くなら

最初の一曲は Beyond『海闊天空』(1993)。これを聴かずに香港ロックは語れない。次に『光輝歲月』(1990)、反アパルトヘイトの主題を広東語のロックに乗せた、政治性の教科書。Tat Ming Pair『石頭記』(1987)は返還前香港のシンセ・ニューウェイヴがどこまで届いていたかを示す。LMF『大懶堂』(2000)で返還後の言語感覚の断面を、RubberBand『每道微小』(2019)で反送中運動時期の香港ロックの現在地を確認できる。夜、部屋を暗くしてスピーカーで聴くのが一番向いている。

豆知識

黃家駒の墓は香港・將軍澳中華永久墳場にあり、毎年6月30日の命日には数百人のファンが花を持って集まり続けている。日本のフジテレビは事故当時、番組の該当エピソードを再放送せず、社内でも長らくタブー扱いだった。Tat Ming Pair の黃耀明は2012年に自身の同性愛を公表、香港・華人圏のアーティストとして最初期の当事者カミングアウトとなった。LMF のメンバー DJ Tommy は後に単独プロデューサーとして活動、香港最初期の hip-hop プロデューサーの一人となる。Beyond の残り3人(黃貫中、黃家強、葉世榮)は現在それぞれソロで活動、2005年に「Beyond 25」ツアーで一時再結成した。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1960年代1970年代1980年代香港ロック香港ロックロックロック広東ポップ広東ポップニューウェーブニューウェーブ中国ロック中国ロック凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
香港ロックを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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