ラフバニ流派
1955-1990、アーシー・ラフバニとマンスール・ラフバニ兄弟がフェイルーズを主唱者に据え、エジプト古典タラブ・アンダルシア詩・レバノン山岳民俗・西洋弦楽オーケストラを統合した汎アラブ芸術歌謡。Baalbeck 国際芸術祭が制度基盤。
どんな音か
ラフバニ流派の音は、最初に聴くと不思議なほど『洗練されている』。フェイルーズ《Nassam Alayna al-Hawa》(1971、Assi Rahbani作曲)を聴くと、西洋弦楽オーケストラの流麗な伴奏の上に、アラブ古典 maqam の装飾(mordent, tahrir)を残した女声が乗り、Baladi 8拍のダルブッカが均一に刻まれる。この統合の技法上の秘密は、Assi Rahbani が19世紀ロシア/イタリア・オペラの管弦楽書法(Rimsky-Korsakov, Verdi)を熱心に研究したこと、そしてマンスールが古典アンダルシア詩の muwashshah 詩形とレバノン山岳の zajal 詩形の両方に堪能だった点にある。1曲2-4分のポップ・シングル(《Habbeytak Bissayf》1970、《Aatini Al Nay》1971)、30-60分のオペレッタ(《Petra》1977)、そして2-3時間の舞台ミュージカル(《Ayyam Fakhr al-Din》1966)の三形式を横断的に書き、フェイルーズはそのすべての主唱者を務めた。
生まれた背景
1955年頃、当時20代前半の Assi Rahbani(1923-86、ヴァイオリニスト・作曲家)と Mansour Rahbani(1925-2009、詩人・作詞家)は、ベイルートの Radio Levant で若い女性歌手 Nouhad Wadie' Haddad を見出した。兄弟は彼女に《Fairuz(トルコ石)》の芸名を与え、同年 Assi と Fairuz が結婚。以降、兄弟は約35年間にわたってフェイルーズが歌う楽曲の大半を作曲・作詞した。制度的な起点は1957年、ベイルート近郊の古代ローマ遺跡 Baalbeck で始まった Baalbeck 国際芸術祭で、以降ラフバニ流派は毎年新しいオペレッタまたはミュージカルを Baalbeck 舞台で発表した。書法上の三本柱は、(1)エジプト古典タラブ(Umm Kulthum・Mohammed Abdel Wahab の血脈)の maqam 語彙、(2)アンダルシア詩と レバノン山岳民俗の zajal 詩形と旋律、(3)19世紀ロシア/イタリア・オペラ由来の弦楽オーケストラ書法だった。この三点統合が『汎アラブ芸術歌謡の20世紀標準』を打ち立てた。
聴きどころ
第一に、maqam と長短調の切り替えに注意。フェイルーズ《Nassam Alayna al-Hawa》では、A 部分が maqam Bayati(伝統アラブ)で、B 部分が近縁の短調(西洋)に切り替わる書法が採られている。第二に、詩の階層。マンスール・ラフバニは古典アラビア語(fusha)とレバノン方言の切り替えを一曲の中で行い、Baalbeck の観客の異なる社会階層に同時に届ける多層書式を採った。第三に、Assi 期(1955-86)と Ziad 期(1970s-)の音響の違い。Assi 期の弦楽オーケストラは19世紀後期ロマン主義的だが、Ziad 期(1979-)ではジャズ・ピアノ、7音音階の即興、ブレヒト演劇の要素が加わる。第四に、Baalbeck 舞台版と録音版の違い。舞台版は3時間の全編、録音版は各曲2-4分に凝縮された『抜粋』で、両者は同じ楽曲を異なる時間感覚で提示する。
発展
1960年代を通じ、『Habbeytak Bissayf(1970)』『Nassam Alayna al-Hawa(1971)』『Aatini Al Nay Wa Ghanni(1971)』を含むフェイルーズの代表作が量産され、汎アラブ・ラジオ回路で流通した。1977年オペレッタ『Petra』はマンスール作、Baalbeck上演。1975年レバノン内戦勃発によりフェイルーズは1975-94年に国内公演を停止したが、レコード・ラジオでの流通は継続、1984年『Li Beirut(ベイルートへ)』は内戦下ベイルートへの哀歌として汎アラブ的な記念碑となった。1986年アーシー死去後、アーシーとフェイルーズの息子ジアド・ラフバニ(1956-)が母の後期作品を全面的に手がけるようになり、ジャズ・和声の導入、政治風刺(1979『Bala Wala Shi』、1985『Ana Musch Kafer』)、ブレヒト受容など、流派をより都会的・左派的な方向に転回させた。マンスール・ラフバニは2009年没まで作曲を続け、家族としてのラフバニ流派は21世紀まで途切れなく継承されている。
出来事
- 1955: フェイルーズ / ラフバニ兄弟の共作開始
- 1957: Baalbeck 国際芸術祭創設、ラフバニ最初のミュージカル
- 1970: 『Habbeytak Bissayf』
- 1971: 『Nassam Alayna al-Hawa』『Aatini Al Nay Wa Ghanni』
- 1977: オペレッタ『Petra』(Baalbeck 上演)
- 1984: 『Li Beirut』(内戦下ベイルートへの哀歌)
- 1986: アーシー・ラフバニ没
- 2009: マンスール・ラフバニ没
派生・影響
tarab / egyptian-classical-tarab の直接の子孫・兄弟。arabic-pop の起源の一つ。golha / modern-qawwali と20世紀中東芸術音楽近代化の兄弟。ジアド以降 jazz / political-song と接続。
音楽的特徴
楽器西洋弦楽オーケストラ、ウード、カヌーン、ネイ、ダルブッカ、時にピアノ・ギター・ジャズ・アンサンブル(ジアド期)
リズムアラブ古典maqam(rast, bayati, hijaz, saba)を土台に、Baladi 8拍・Malfouf 2拍・Fox-trot 4拍を混在させ、西洋長短調への近接転調を許容する
代表アーティスト
- アーシー・ラフバニ (Assi Rahbani)
- マンスール・ラフバニ (Mansour Rahbani)
- ジアド・ラフバニ (Ziad Rahbani)
代表曲
- Nassam Alayna al-Hawa — Fairuz (1971)
- Ya Ana Ya Ana — Fairuz (1974)
- Li Beirut — Fairuz (1984)
Ayyam Fakhr al-Din (Days of Fakhr al-Din) — アーシー・ラフバニ (Assi Rahbani) (1966)
Petra (Operetta Suite) — マンスール・ラフバニ (Mansour Rahbani) (1977)
Bala Wala Shi (For Nothing at All) — ジアド・ラフバニ (Ziad Rahbani) (1979)
その後の代表曲
- Ana Musch Kafer — ジアド・ラフバニ (Ziad Rahbani) (1985)
- Kifak Inta — Fairuz (1991)
日本との関係
フェイルーズとラフバニ流派は、日本での知名度は決して高くないが、1970年代からアラビア語圏の音楽研究者(松山洋平、水野信男、蒲生美津子ら)の紹介により少しずつ受容されてきた。フェイルーズは日本公演を行っていないが、坂本龍一が『音楽図鑑』(1984)以降のインタビューで Rahbani 流派を『20世紀最良の芸術歌謡の一つ』として繰り返し名指し、日本のワールドミュージック・シーンでの認知に貢献した。2011年 NHK『世界わが心の旅』でレバノンが取り上げられた際、Baalbeck 国際芸術祭とラフバニ流派の系譜が詳細に紹介された。ジアド・ラフバニのジャズ的な作品は、菊地成孔の DC/PRG 世代のミュージシャンからの言及もあり、21世紀の日本のジャズ・シーンにも影を落としている。
初めて聴くなら
まず Fairuz《Nassam Alayna al-Hawa》(1971、Assi Rahbani 作曲)から。ラフバニ流派の教科書的な代表作。次に《Li Beirut》(1984、内戦下ベイルートへの哀歌、Rodrigo《アランフエス》主題を引用)。深く入るなら Baalbeck 芸術祭の1970年代舞台録音(《Petra》1977、《Ayyam Fakhr al-Din》1966の CD/DVD 復刻)。ジアド期は《Bala Wala Shi》(1979、ジアドのソロ・アルバム)、フェイルーズ・ジアド共作の《Kifak Inta》(1991)。フェイルーズのベスト盤は EMI Arabia / Voix de l'Orient レーベルから複数出ている。
豆知識
『Fairuz(فيروز)』は本人の芸名で、アラビア語で『トルコ石』の意。1934年生まれの本名は Nouhad Wadie' Haddad で、キリスト教マロン派の家庭出身。彼女は生涯を通じてほとんどインタビューを受けず、公演でも最小限のトーク以外を避ける『沈黙の女神』としての神秘的な公的像を維持してきた。もう一つ:1975年レバノン内戦の勃発以降、フェイルーズは19年間にわたって国内公演を停止した(1975-94)。彼女の理由は『内戦の異なる派閥のどちらか側で歌うことを避けたい』というもので、この沈黙自体が汎レバノン的な統合の象徴として機能した。1994年 Beirut Downtown 再建記念公演で公演再開、以降 Baalbeck・アンマン・カイロで断続的に公演を続けている(2024年現在も存命、89歳)。もう一つ:ジアド・ラフバニは母フェイルーズと父アーシーの息子として1956年に生まれ、17歳で最初の作品を書いたが、成人後は左派共産主義の立場を公言し、レバノン内戦中は左派民兵組織 LNM を支持した。母フェイルーズは政治的中立を守り、二人の政治的立場は正反対だったが、音楽的な共作は継続、この母子共作は20世紀後半アラブ音楽史の稀有な事例となった。
