古典

新古典主義音楽

Neoclassicism

西ヨーロッパ · 1917〜1955年

1920〜50年代に欧米で流行した、18世紀以前の古典様式を現代的書法で再構築する潮流。

どんな音か

調性(長調・短調)は保たれているが、感情を煽る後期ロマン派の大音量や色彩豊かなオーケストレーションは使わない。代わりにバロックや古典派の様式——フーガ、コンチェルト・グロッソ、ダンス組曲——の形式を骨格にしながら、現代的な不協和音や軽くシニカルなリズムを差し込む。ストラヴィンスキーの「プルチネッラ」(1920)はペルゴレージらの18世紀の素材を編曲したもので、弦楽器の音型は古典的だが和声がわずかにずれていて、模造品のような奇妙な明るさがある。ラヴェルの「クープランの墓」は第1次大戦で亡くなった友人への追悼で、メヌエットやリゴードンという17〜18世紀の舞曲形式で悲しみを抑制して書いた。

生まれた背景

第1次大戦(1914〜18年)後、ヨーロッパでは後期ロマン派の大袈裟な感情表現への反動が生まれた。フランスの批評家ジャン・コクトーは1918年に「コック&アルルカン」で「ワーグナーを脱せよ」と主張し、サティの簡素な書法を支持した。ストラヴィンスキーはピカソと協力した「プルチネッラ」(1920)でパリ社交界の新たな感覚を体現し、20〜30年代にかけてヨーロッパ全土で「過去の様式への意識的な回帰」が洗練された手段として使われた。

聴きどころ

ストラヴィンスキー「プルチネッラ」の第1曲「序曲」を聴くと、弦楽器が18世紀の宮廷音楽そのものに聞こえる瞬間があり、そこへわずかに「ずれた和音」が入ってくる——その瞬間の違和感が新古典主義の核心だ。次にラヴェル「クープランの墓」のトッカータを聴くと、ピアノが高速で均質に動く様子はバッハのような厳格さに見えて、和音の色が20世紀のものになっている。

発展

ストラヴィンスキー「プルチネッラ」(1920)が転換点、「詩篇交響曲」(1930)、「カルタ遊び」(1936)、「弦楽のための協奏曲」(1946)が中期様式を示した。プロコフィエフ「古典交響曲」(1917)、ヒンデミット「室内音楽」連作、フランス6人組(プーランク、ミヨーら)が並行的に展開した。1950年代以降はトータル・セリアリズムに主役を譲った。

出来事

  • 1917: プロコフィエフ「古典交響曲」
  • 1920: ストラヴィンスキー「プルチネッラ」初演
  • 1930: ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」初演
  • 1951: ストラヴィンスキー「放蕩者の遍歴」初演

派生・影響

20世紀後半の調性的・準調性的書法(ブリテン、ショスタコーヴィチ)、戦後ミニマリズムや新ロマン主義の遠い先駆けとなった。

音楽的特徴

楽器管弦楽、室内楽、オペラ

リズム対位法、明晰な形式、古典的舞曲リズム

代表アーティスト

  • ベラ・バルトークハンガリー · 1900年〜1945
  • モーリス・ラヴェルフランス · 1900年〜1937
  • イーゴリ・ストラヴィンスキーロシア/フランス/米国 · 1908年〜1971
  • パウル・ヒンデミットドイツ/米国 · 1920年〜1963

代表曲

日本との関係

武満徹の初期作品(1950年代)は当時のストラヴィンスキーの新古典主義の影響下にあるとされており、日本の現代音楽の出発点にこの潮流が関わっている。教育の場ではストラヴィンスキーとラヴェルは20世紀音楽の必修的な参照点として扱われ、音楽大学の楽曲分析授業では頻出する。

初めて聴くなら

ラヴェル「クープランの墓」のピアノ版(演奏:サンソン・フランソワやアレクサンドル・タローの録音が聴きやすい)を、静かな昼間に聴くのが入りやすい。「これがバッハに似ているかどうか」を意識しながら聴くだけで、新古典主義が何をやっているかがつかめる。

豆知識

「プルチネッラ」に使われた素材はストラヴィンスキー存命中は「ペルゴレージの作品」とされていたが、後の研究でペルゴレージ以外の複数の作曲家の作品が含まれていることが判明した。ストラヴィンスキー自身も晩年に「素材の出典には関心がなかった」と語っている。

影響・派生で結ばれたジャンル

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凡例
派生影響同系統
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