マドリガーレ
16世紀イタリアで成立した、世俗詩を素材とする多声声楽曲。ルネサンスからバロック初期にかけて爆発的に流行した。
どんな音か
マドリガーレは無伴奏か鍵盤楽器の軽いサポートで歌われる4〜6声の声楽曲。各声部(ソプラノ、アルト、テノール、バスなど)が独立した旋律を持ちながら絡み合い、特定の詩の語に合わせて全声部が音型を変える「語りかける音楽」。「涙」という詩語が出ると旋律が半音下降し、「嘆き」では不協和音が使われる。カルロ・ジェズアルドは半音進行を極端に押し進め、「Moro, lasso, al mio duolo」(1611)では聴き手が和声の着地点を予測できない連続が続く。クラウディオ・モンテヴェルディは「Lamento della Ninfa」(1638)でベースが4小節の繰り返し(オスティナート)の上で上声が自由に嘆く形式を使い、バロック音楽への橋渡しをした。
生まれた背景
聴きどころ
各声部がどこで入ってくるかを追うのが最初の入口。モンテヴェルディ「Cruda Amarilli」(1605)は、ソプラノが歌い始めてから次々と声部が加わる冒頭を聴くだけで、声の層が積み重なる感触がつかめる。ジェズアルドの作品では、ある和音から次の和音へ移るときの「外れ方」に耳を傾けると、16世紀の作曲家が現代音楽のような緊張感を既に作っていたことに気づく。
発展
アルカデルト、ヴェルドロらがマドリガーレ第一期を築き、16世紀末にはルッツァスキ、マレンツィオ、ジェズアルドが半音階表現を極限まで推し進めた。モンテヴェルディは「マドリガーレ集」第5巻(1605)で通奏低音を導入し、第8巻(1638)の戦争・愛のマドリガーレで劇的様式を確立した。イングランドではモーリーらが「英国マドリガル楽派」として独自に発展させた。
出来事
- 1530年頃: フィリップ・ヴェルドロ「マドリガーレ集第1巻」
- 1601: ジェズアルド「マドリガーレ第5巻」、極端な半音階
- 1605: モンテヴェルディ「マドリガーレ第5巻」、通奏低音導入
- 1638: モンテヴェルディ「戦争と愛のマドリガーレ」(第8巻)
派生・影響
通奏低音マドリガーレはオペラ初期の独唱モノディや劇的レチタティーヴォへ直結し、カンタータ、オペラの母体となった。20世紀の合唱作曲(ブリテン、リゲティ)も後期マドリガーレの劇的書法を参照する。
音楽的特徴
楽器4〜6声混声(ア・カペラ/通奏低音)
リズム言葉絵画、模倣対位法、半音階
代表アーティスト
- オルランド・ディ・ラッソ
- カルロ・ジェズアルド
- クラウディオ・モンテヴェルディ
代表曲
- Il bianco e dolce cigno (1539)
- Solo e pensoso (1599)
- Cruda Amarilli — クラウディオ・モンテヴェルディ (1605)
- Moro, lasso, al mio duolo — カルロ・ジェズアルド (1611)
- Lamento della Ninfa — クラウディオ・モンテヴェルディ (1638)
日本との関係
日本では大学の合唱団や声楽教育の中でルネサンス多声音楽の一環として取り上げられる。ただし演奏機会は少なく、バッハやモーツァルトと比べると聴衆は限られる。古楽演奏の専門家が来日公演を行う際にプログラムに含まれることがある。
初めて聴くなら
モンテヴェルディ「Lamento della Ninfa」(1638)から入るのが最もとっつきやすい。ベースの4小節ループが繰り返される上で女声が嘆く構造は、現代のポップスのループ構造に近い感覚を持っている。ジェズアルド「Moro, lasso, al mio duolo」は理解が深まった後に聴くと、16世紀の和声がいかに奇妙かが際立つ。
豆知識
カルロ・ジェズアルドは音楽史上では珍しい「実際に人を殺した作曲家」として知られる。1590年、妻とその愛人を屋敷内で殺害した。貴族の特権でほぼ無罪放免となったが、以後は引きこもりがちになり、その不安定な精神状態が半音だらけの過激な和声を生んだとも言われる(あくまで後世の解釈)。ジェズアルドとマドリガーレへの関心は20世紀の現代音楽家にも及び、ストラヴィンスキーが「モヌメンタム」(1960)としてジェズアルドの編曲を行っている。
