カンタータ
独唱・合唱と器楽伴奏による、レチタティーヴォとアリアを連ねた声楽曲のジャンル。
どんな音か
生まれた背景
カンタータの語源はイタリア語の「カンターレ(歌う)」で、17世紀前半のイタリアで器楽伴奏付き声楽曲の総称として使われ始めた。アレッサンドロ・スカルラッティが17世紀後半に数百曲のイタリア語カンタータを書き、この形式を整備した。ドイツでは宗教改革以来のルター派教会音楽の伝統と結びつき、ブクステフーデを経てバッハが頂点に達した。「Christ lag in Todes Banden BWV 4」(1707年頃)はバッハ最初期のカンタータの一つで、「Wachet auf, ruft uns die Stimme BWV 140」(1731年)は「眠りたまえ」のコラール旋律が有名なバッハ後期の代表作だ。
聴きどころ
バッハの「Actus Tragicus BWV 106」(1707年頃)は「神の時こそ最善の時」とも呼ばれ、葬儀用に書かれた作品だ。冒頭のソナティナ(器楽前奏)でガンバとリコーダーが絡む静かな哀愁から聴き始めると、その後の合唱との対比がよくわかる。「Ich habe genug BWV 82」(1727年)はバス独唱のみのカンタータで、「もう十分だ」という諦念の中に深い平穏が漂う。レチタティーヴォとアリアの切れ目を意識しながら聴くと、形式の機能が理解しやすくなる。
発展
カリッシミ、A.スカルラッティらがイタリア独唱カンタータを完成させ、バッハがライプツィヒ時代(1723〜1750)に多数の教会カンタータを書いた。テレマンの大量のカンタータ集はドイツ各地の典礼に寄与した。古典派以降は世俗オラトリオ・カンタータに名前を残し、ロマン派ではメンデルスゾーンやブラームスが復活させた。
出来事
- 1620年頃: カリッシミ世代の独唱カンタータ
- 1707: バッハ「アクトゥス・トラギクス」 BWV106
- 1723: バッハ、ライプツィヒ・トーマスカントル就任
- 1735年頃: テレマン「Harmonischer Gottes-Dienst」全72曲
派生・影響
オペラ・アリア/レチタティーヴォ書法、オラトリオ、近代の合唱・管弦楽曲(ストラヴィンスキー「カンタータ」、ヒンデミット)まで広く影響を与えた。
音楽的特徴
楽器独唱、合唱、通奏低音、室内アンサンブル
リズムレチタティーヴォ+アリア+合唱の連結
代表アーティスト
- ハインリヒ・シュッツ
- ディートリヒ・ブクステフーデ
- アレッサンドロ・スカルラッティ
- ヘンリー・パーセル
- ゲオルク・フィリップ・テレマン
- ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
代表曲
- Actus Tragicus BWV 106 — ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1707)
- Christ lag in Todes Banden BWV 4 — ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1707)
- Ich habe genug BWV 82 — ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1727)
- Wachet auf, ruft uns die Stimme BWV 140 — ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1731)
日本との関係
初めて聴くなら
バッハの「Wachet auf, ruft uns die Stimme BWV 140」(1731年)は「眠りたまえコラール」の旋律が有名で、バッハのカンタータの中でも最も親しみやすい入口の一つ。次に「Actus Tragicus BWV 106」を聴くと、若いバッハが死と宗教をどう音楽にしたかが伝わる。バス独唱の「Ich habe genug BWV 82」は夜に一人で聴くと、諦念と平静が同居する独特の感情が届く。
