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伝統・民族

ランガム・ジャワ

Langgam Jawa

スラカルタ/ソロ、ジョグジャカルタ / インドネシア / 東南アジア · 1930年〜

別名: Langgam Jawi / Langgam Keroncong / Javanese Langgam / ランガム / ジャワ・ランガム

1930年代以降、クロンチョンの弦楽編成にジャワ・ガムランの五音音階と声楽を接いだ、遅く瞑想的なジャワ大衆歌謡。Waldjinah が国民歌唱者。

どんな音か

ランガム・ジャワの音は、クロンチョンを一度聴いたことがある耳には「同じ楽器なのに別世界」に聞こえるだろう。チャク・チュク(小型撥弦楽器)、ヴァイオリン、チェロ、フルート、ベース、そして時に kendang(両面太鼓)というクロンチョン標準編成が使われているのに、旋律線がジャワ宮廷ガムランのスレンドロ・ペロッグ音階を辿り、女声独唱は sindhèn(ガムラン声楽の女性ソロ)の呼吸で cengkok(装飾句)をたっぷり織り込む。テンポは遅く、拍節はしばしば伸縮し、聴き手は明るいクロンチョンの2/4拍とは違う時間感覚に置かれる。歌詞はジャワ語で、恋・別れ・郷愁・イスラーム神秘主義的テーマ、あるいは農民生活のミニ・エッセイのような教訓歌が扱われる。

生まれた背景

この形式が輪郭を得たのは1930年代、中部ジャワのソロ(スラカルタ)王宮周辺の音楽家層が、既に流行していたクロンチョンを「もっとジャワ的な語彙で歌えないか」と考え始めた時だった。決定的な役割を果たしたのが、パティ生まれのダラン(影絵芝居の語り手)Ki Nartosabdho(1925-1985)で、彼は wayang kulit の間奏として書いたガムラン用の langgam(ゆったりした歌)を、クロンチョン編成でも演奏可能な譜面で書き直し、《Ngundhuh Wohing Pakarti》《Caping Gunung》《Prawan Ayu》を含む数十曲のスタンダードを残した。1960-70年代、RRIスラカルタ支局のスター歌手Waldjinah(1945-)が Ki Nartosabdho 曲の《Yen Ing Tawang Ono Lintang》を全国流通させ、この曲がランガム・ジャワというジャンルそのもののシンボルとなった。

聴きどころ

第一に、テンポを疑うことから始まる。原初のクロンチョンが「歩ける速さ」なら、ランガム・ジャワは「立ち止まって耳を澄ます速さ」で、フレーズの終わりごとにわずかに時間が伸びる。第二に、女性ボーカルの装飾。ジャワ声楽の cengkok は、旋律の各音の前後に細かい経過音・倚音を散りばめる。西洋声楽のポルタメントとは違い、これは音階内の微細な階段を上下する動きだ。第三に、伴奏のクロンチョン楽器がガムラン音階に合わせて弾かれると、通常の長短音階クロンチョンとは違う独特の緊張感(2度・4度・5度が中心)が生じる。第四に、歌詞のジャワ語。Waldjinah の歌唱は敬語階層(クロモ・マディヤ・ンゴコ)を明確に選び分け、ジャワ社会のマナー体系を歌に埋め込んでいる。

発展

1960-70年代、スラカルタのRRIスタジオを拠点にWaldjinah(1945-、「Ratu Keroncong」、「Queen of Kroncong」と呼ばれた女性歌手)が、Ki Nartosabdhoが書いた《Yen Ing Tawang Ono Lintang》を代表的レパートリーとして全国流通させ、以降この曲がランガム・ジャワの代表曲として定着した。1980年代にはカセット産業の拡大でランガム・ジャワは中部ジャワ以外にも到達したが、東ジャワ側で並行して起こった dangdut と campursari の隆盛に押され、若年層への浸透力は限定的だった。2000年代以降、ジャワ語アイデンティティ運動と Solo/Yogya の若手音楽家層(Sruti Respati、Endah Laras 他)により再評価が進んでいる。

出来事

  • 1930年代: ソロ周辺でクロンチョン+ガムラン様式の実験
  • 1960年代: Ki Nartosabdho作曲群の定型化
  • 1970年代: Waldjinah《Yen Ing Tawang Ono Lintang》のRRI放送流通
  • 1985: Ki Nartosabdho没
  • 2000年代: Sruti Respati らによる再評価

派生・影響

クロンチョン (kroncong) と ガムラン (gamelan) の交差から派生。1990年代のチャンプルサリ (campursari) の直接の親形式。マレー圏の同時代大衆音楽(マレー・アスリ、ラグ・メラユ)とも姉妹関係にある。

音楽的特徴

楽器クロンチョン楽器編成(チャク・チュク・ヴァイオリン・チェロ・フルート・ベース)、時にガムラン楽器(sarón、gender、gambang)を併用、女声独唱(sindhèn)または男声合唱(gérongan)

リズム遅めの2/4または自由な pathet(旋法) 進行、拍節の伸縮を意識的に大きく取る、ジャワ声楽の cengkok(装飾句)を積極的に活用

代表アーティスト

  • Waldjinahインドネシア · 1958年〜
  • Endah Larasインドネシア · 1995年〜
  • Sruti Respatiインドネシア · 2000年〜

代表曲

その後の代表曲

日本との関係

日本のリスナーにとってランガム・ジャワは、二つの理由で近い。一つは、Gesang Martohartono《ベンガwan Solo》(1940)を通じたクロンチョン流通の記憶で、太平洋戦争期に南方に展開した日本兵たちが持ち帰った歌の中で、この曲は最も有名な一つとなった。ランガム・ジャワはその《ブンガワン・ソロ》の隣に立つ、より「深いジャワ」の音楽として位置づけられる。もう一つは、日本ガムラン愛好家層(特に東京・京都のガムラン・スタジオを拠点にする1970-2000年代の学生ガムラン運動)にとって、ランガム・ジャワは「ガムラン音階が大衆歌謡になった時にどう聞こえるか」を提示する重要な参照点になってきた。武満徹の《ノヴェンバー・ステップス》(1967)世代が伝統邦楽の芸術音楽化を試みた時、それに並行してジャワでは Ki Nartosabdho が伝統ガムランの大衆歌謡化を試みていた、と考えるとこの現象の同時代性が見えてくる。

初めて聴くなら

まず Waldjinah《Yen Ing Tawang Ono Lintang》(1970年代の RRI Surakarta 録音)から。ジャケットや YouTube 上のアップロードでは音質のばらつきが大きいので、可能ならスタジオ録音版を選ぶ。次に《Caping Gunung》《Nawang Sekar》を通じて、彼女のレパートリーの民衆的側面と宮廷的側面の両方を耳にする。深く入るなら Ki Nartosabdho 作曲群の複数歌手による録音、Endah Laras の 2010年代再録音、そして Sruti Respati の現代編曲を通じ、ランガム・ジャワが同時代性を失っていない証拠に触れる。

豆知識

「Langgam」という語はもともとマレー語で「歌の流儀・様式」の意で、ラグ・メラユ・アスリ(マレー原初歌謡)やタンジドール(北ジャカルタのブラス・アンサンブル)の文脈でも使われる。「ジャワの langgam」というジャンル名は、実は「ジャワ流の langgam」と読むのが正確で、他の島嶼にも langgam ○○ が存在する。もう一つ:Waldjinah は2010年代、80歳を超えても現役で、ソロ市の文化イベントに定期的に登場している。ジャワ人の音楽的記憶の中で彼女は「ラジオが唯一の全国メディアだった時代の声」として特別な位置を占め、彼女が歌う《Yen Ing Tawang Ono Lintang》は Ki Nartosabdho の作品というより「Waldjinah の作品」として認識されている。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1930年代1960年代ランガム・ジャワランガム・ジャワダンドゥットダンドゥット凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
ランガム・ジャワを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

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