古典

地歌

Jiuta

京都・大阪 / 日本 / 東アジア · 1620年〜

別名: Jiuta-mono / Kamigata Shamisen

上方で発展した、中棹三味線と声による座敷音楽。箏や尺八と合奏される「三曲」の中心ジャンルでもある。

どんな音か

三味線の胴が小さく弦も細い「細棹」でなく、やや太い「中棹」を使う。音はぽん、とした丸い立ち上がりで、長唄のような鋭さがない。テンポは全体的にゆったりしており、歌い手は声を張るより、息を細く長く使ってくぐもらせながら歌う。こぶしや音のゆり方が多く、同じ音程のなかで微妙な波が繰り返される。箏や尺八とあわせて演奏されることが多く、その場合は三者がほぼ対等に絡み合う。録音で聴くと会場の残響が少なく、畳の座敷で膝元から聴くような近さがある。

生まれた背景

江戸時代初期、京都・大坂を中心に盲人音楽家の集団(当道座)が担い手として整備したことで、体系的な稽古や師匠制度が早くに定着した。「地歌」の「地」は上方(京・大坂)の地元という意味とも、地声で歌う歌という意味とも言われる。もともとは宴席や座敷での実用音楽だったが、18世紀以降に箏曲の名手・八橋検校やその後継者たちが箏との合奏形式を洗練させ、曲の構成も複雑になっていった。明治以降、当道座制度が廃止されると、担い手が視覚障害者から一般の女性稽古者へ移り、家庭音楽・教養音楽として広まった。

聴きどころ

まず三味線の弦をはじく瞬間の「音の粒」に注目してほしい。音が鳴りはじめてすぐに消えていくのではなく、ゆっくりとにじむように残る。歌は、長い一音の途中で音が揺れたり少しずれたりするので、旋律の「線」を目で追うより、ゆらぎのパターンを耳で感じるとつかみやすい。箏が入っている場合は、三味線と同じ旋律を弾いているようでいて、微妙に違う間(ま)で動いている部分を聴き比べると面白い。沈黙の長さも演奏の一部で、音と音の間に意図がある。

発展

18世紀には峰崎勾当・松浦検校ら名人が手事物の名曲を生み、箏曲との合奏が一般化した。19世紀には光崎検校『五段砧』など現代に伝わる代表曲が成立。明治の盲人保護政策で当道座は廃止されたが、生田流・山田流の家元制で継承が続いた。

出来事

  • 1610年代: 上方で地歌の様式形成。
  • 18世紀: 峰崎勾当・松浦検校らによる手事物の発展。
  • 1854年: 光崎検校『五段砧』。
  • 1871年: 当道座廃止、流派制継承。
  • 1955年: 重要無形文化財指定。

派生・影響

箏曲(生田流系)・尺八との三曲合奏の成立に直結し、近代邦楽の中核を形成した。宮城道雄ら新日本音楽運動の素材としても用いられた。

音楽的特徴

楽器中棹三味線、声、(三曲合奏では)箏、尺八

リズム緩やかなテンポ、手事(器楽間奏)の充実、抒情的旋律

代表曲

日本との関係

地歌日本の伝統音楽のなかでも特に「お稽古事」文化と結びついており、現在でも三曲(箏・三味線・尺八)の習い事として各地に教室がある。一方でポップカルチャーとの接点は薄く、アニメや映画で使われる場合も多くは「和風BGM」として処理される。本来の座敷音楽としての文脈で聴かれる機会は、演奏会や伝統芸能のイベントに限られつつある。

初めて聴くなら

「残月」は地歌の代表曲のひとつで、夜明け前の月をうたった静かな曲。三味線と箏の絡みが聴きやすく、このジャンルの質感をつかむ入口として向いている。昼間より、静かな夜か早朝に再生すると曲の情景と合う。

豆知識

地歌の担い手だった盲人音楽家集団「当道座」は、独自の位階制度(検校・勾当・座頭など)を持ち、江戸幕府から公認された半自治的な組織だった。音楽の習得と師弟関係が、そのまま社会的な身分の昇格と連動していた点は、他の音楽ジャンルにはあまり見られない仕組みである。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1620年代1680年代1820年代地歌地歌長唄長唄三曲三曲凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
地歌を中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

地歌 の系譜全体図(多段)を見る

同じ時期・同じ地域で生まれた他のジャンル

日本 · 1620年前後 (±25年)

ジャンル一覧へ戻る