阿波踊り
徳島の盆踊り。二拍子の囃子に乗せた群舞。
どんな音か
二拍子の囃子が一切の揺れなく前に進む。三味線・太鼓・鉦・笛が鳴り、「ヤットサー、ヤットヤット」という掛け声が何度もくり返される。リズムは単純に聴こえるが、踊り手の足が地面を踏む音と楽器のビートが重なることで、会場全体が低く共鳴する。男踊りは腰を低くして大きく手を振る豪快な動き、女踊りは下駄の爪先立ちで小刻みに進む優雅な動き——同じ音楽から全く異なる身体表現が生まれる。屋外で大勢が踊るときのこの音楽は、録音で聴くよりはるかに大きく、物理的に体に届く。
聴きどころ
囃子の中でまず「鉦(かね)」の高い金属音を探す。これが全体のテンポを刻む錨になっている。次に三味線の刻みリズム——表と裏を短く刻む奏法が連続するので、表拍と裏拍の両方に音が来る感覚がわかる。掛け声「ヤットヤット」が囃子とどのタイミングで重なるかを追うと、音楽全体の組み立てが見えてくる。映像と合わせて見ると、踊り手の動きの「溜め」と「解放」が囃子のリズムとどう同期しているかが分かる。
初めて聴くなら
「阿波よしこの節」は最も標準的な形の囃子で、この一曲を繰り返し聴くと全体の構造が体に入る。実際の祭の映像も合わせて見ることを強く勧める。踊り手と観客の境界が曖昧になっていく瞬間、「参加する音楽」としての阿波踊りの性格がよくわかる。
代表曲
- 阿波よしこの節
生まれた背景
阿波踊りの起源については諸説あるが、徳島藩主・蜂須賀家の入城祝いを起源とする説が広く知られる(1587年頃)。一方で、盆踊りの全国的な流行と重なるため、盂蘭盆の霊を送る踊りとして独自に発展した説も有力だ。
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江戸時代を通じて踊りは周期的に禁止と黙認を繰り返しながら民衆の間で生き続け、明治以降に地域振興の文脈で再編成された。戦後の1946年以降、現在のような大規模な連(れん)形式の競演会として整備され、「阿波踊り振興協会」が組織化された。現在は毎年8月12〜15日に開催され、観光客100万人規模の徳島最大の祭となっている。
音楽的特徴の詳細
楽器三味線、太鼓、鉦、篠笛、声(囃子)
リズム二拍子のヤットサー囃子、男踊り・女踊りの振り、連の隊列
発展
戦後の経済発展期に観光資源として大規模化し、東京高円寺(1957年〜)、埼玉南越谷など、都市圏でも阿波踊り大会が開催されるようになった。「連」の組織化と振付の体系化が進み、若手・女性・海外チームの参加も増えた。
出来事
- 1586年: 徳島城下での踊り起源(伝)。
- 1879年: 「阿波踊り」の名称定着。
- 1957年: 高円寺阿波おどり開始。
- 1985年: 徳島市阿波踊り観光客100万人突破。
- 2018年: 徳島阿波踊り運営問題で社会的注目。
派生・影響
全国の盆踊り様式に影響を与え、高円寺阿波おどり・南越谷阿波踊りなど都市型阿波踊りを派生させた。
日本との関係
豆知識
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損」という囃し言葉は阿波踊りを象徴するフレーズとして広く知られるが、これがいつ誰によって作られたかは不明で、少なくとも戦前から使われていたことは確認されている。また、阿波踊りの「連」(グループ単位)にはそれぞれ独自のスタイルがあり、伝統的な連と芸能を前面に出した「有名連」では踊りの質感も囃子の編成も異なる。
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徳島の地元では連に所属することが地域コミュニティへの参加と重なっており、社会的な結節点になっている。
感触が近い系譜も地域も違うのに、聴くと通じるジャンル
阿波踊りが好きな人は、この6つも刺さる可能性が高いです。系譜図には出てこない、意外な隣人たち。
