ラテン・カリブ

ボンバ/プレナ

Bomba and Plena

プエルトリコ / カリブ海 · 1700年〜

プエルトリコ沿岸部のアフリカ系コミュニティで生まれたボンバ(打楽器主導)とプレナ(歌詞主導)という二つの伝統的アフロ・カリブ音楽。

どんな音か

複数の太鼓が重なり、最も低いバスドラムが基調を支え、その上に高さの違う三つ、四つの太鼓が複雑に絡む。拍は2拍子だが、タイコの絡み具合で3拍子のポリリズムに聞こえることもある。歌はスペイン語で、サビが非常に短く、ほぼアドリブのヴォーカルと反復的なコーラスが交互に現れる。男女が別々に踊ることもあり、その場合、ボンバは男性のソロ・ダンス中心、プレナは男女が混在する。音質はライヴ感が重視され、スタジオ録音でも現場の空気をそのまま保つスタイル。

生まれた背景

プエルトリコの沿岸部、アフロ・カリブ系コミュニティで17〜19世紀にかけて形成された音楽。スペイン統治下のプエルトリコに連れてこられたアフリカ系奴隷たちが、西アフリカのタイコ・リズムとスペイン民謡の歌詞を融合させたと考えられている。ボンバはより古い形式で儀式的、プレナはより現代的で物語性が強い。20世紀半ばまで農村や港町の祭りに限定されていたが、1960年代の都市化とレコード化により国際的に知られるようになった。

聴きどころ

複数のタイコの音色の差と、それぞれのリズムパターン。一見複雑に聞こえても、よく聴くと各タイコが独立した短いフレーズを繰り返していることに気づく。ボーカルのシャウトと、コーラス集団の合わせ方。音の抜き方、タイミングのズレが意図的に作られているか。踊り手の足音が録音に含まれている場合、その音も音楽の一部。

発展

1950年代にラファエル・コルティハ、コルティーホ・イ・ス・コンボがプレナとボンバを電化バンド化し、現代サルサに接続した。1970年代以降のボンバ・プレナ復興運動でロス・プレネロス・デ・ラ・ベインティトレス、ヤヤ・サラサが伝統的形態の保存を担った。

出来事

  • 1898: 米国占領
  • 1950: コルティーホ・イ・ス・コンボ結成
  • 1975: ボンバ・プレナ復興運動
  • 2018: プレナがプエルトリコ国民音楽指定

派生・影響

サルサ、レゲトン、ラテン・ジャズ、現代プエルトリコ・ヒップホップに深い影響。

音楽的特徴

楽器バリル、クア、パンデロ、アコーディオン、ギロ、声

リズムボンバ:6/8と4/4、プレナ:2/4 ピケ即興、コール&レスポンス

代表アーティスト

  • Ismael Riveraプエルトリコ · 1954年〜1987
  • Rafael Cortijoプエルトリコ · 1954年〜1982

代表曲

日本との関係

ボンバ・プレナが日本で大きな流行になることはなかったが、1960〜1970年代のワールドミュージック・ブームと、ラテン音楽への関心層がレコード輸入を通じて知るようになった。カリブ海の民族音楽としては、キューバン・ソンやレゲエに比べ認知度は限定的。最近では、ゲーム『グランド・セフト・オートIII』などのサウンドトラックに収録されたことで、若い世代にも部分的に届いている。

初めて聴くなら

Rafael Cortijo『El Bombón de Elena』(1959) を祭りの雰囲気で聴く。複数の太鼓と、祝祭的なシャウトが一体になった源泉的な音。静かな環境で聴くなら、Ismael Rivera『Las Caras Lindas』(1978)。より洗練された音質で、プレナの歌詞の物語性が浮かび上がる。

豆知識

プレナの歌詞の多くは、その時々の社会ニュースや恋愛の嘆きをテーマにしており、新聞小説的な物語性を持つ。ボンバの儀式的な起源に対し、プレナはより娯楽的・日常的な音楽として発展した。両者はしばしば混同されるが、タイコの構成と歌詞の役割がはっきり異なる。

影響・派生で結ばれたジャンル

ジャンル関係図1700年代1960年代ボンバ/プレナボンバ/プレナサルササルサ凡例派生影響同系統
凡例
派生影響同系統
ボンバ/プレナを中心とした近傍図。中心と直接結ばれるエッジが強調表示されます。

ボンバ/プレナ の系譜全体図(多段)を見る

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