トルコ・スーフィー音楽
メヴレヴィー旋回、アレヴィー派ジェム儀礼、スンニー派イラーヒー(讃歌)を含む、トルコにおけるスーフィー系宗教音楽の総体。
どんな音か
トルコ・スーフィー音楽は、13世紀メヴラーナ(ジャラールッディーン・ルーミー)以降のメヴレヴィー教団の旋回儀礼(sema)、アレヴィー派の年次集会ジェム(cem)で歌われるデイシュ(deyiş)、スンニー・イスラームの主要都市モスク周辺のテッケ(tekke=修道所)で歌われるイラーヒー(ilahi=讃歌)まで、トルコ語圏における非宮廷系イスラーム音楽の総体を指す。マカーム(旋法)体系はトルコ古典音楽と共有するが、器楽はより簡素で、ネイ(縦笛)、クドゥム(小型ケトル・ドラム)、時にケマンチェ(擦弦)、そしてアレヴィー派儀礼ではバーラマ(サズ)が中心となる。歌唱は自由律のタクスィム(即興前奏)から定型律のペシュレヴ(器楽序曲)、そして声楽本体へと進み、集団の呼吸を一つに揃えていく。歌詞はトルコ語で、時にアラビア語のクルアーン節、ペルシア語のルーミー詩を含む。
生まれた背景
13世紀コンヤに現れたペルシア系詩人ジャラールッディーン・ルーミー(1207-1273)の後継者たちが14世紀に組織化したメヴレヴィー教団は、旋回舞踏を伴う音楽儀礼semaを発展させ、オスマン期を通じて宮廷古典音楽と相互に影響し合った。並行してアナトリア各地に広がったアレヴィー派は、家父長の家に集まる年次儀礼cem(集会)でsazを掻き鳴らして詩人ハジュ・ベクタシュ・ヴェリ(13世紀)、ピール・スルタン・アブダル(16世紀)らのdeyişを歌い、これは今もトルコ人口の15-25%を占めるアレヴィー派共同体で継承されている。1925年、共和国政府はテッケ全面閉鎖令(Tekke ve Zaviyeler Kanunu)を発し、公式にはこれで宗教音楽の継承路が絶たれたが、実際には家庭とアレヴィー派共同体で継承され続けた。1954年、政府はメヴレヴィー旋回を「無宗教的な民族文化遺産」として観光的に再公開、コンヤのメヴラーナ廟前で毎年12月(ルーミー命日Şeb-i Arus)にsema儀礼が公開されるようになった。
聴きどころ
Kudsi Ergunerのネイ・タクスィムを聴くとき、彼が息継ぎを歌詞の呼吸のように扱う点に注目してほしい。西洋管楽器の連続的なフレージングとは異なり、ネイは息の切れ目そのものを表現の一部にする。フレーズの終わりで意図的に音が細っていく瞬間があり、それがスーフィーの「消滅(fana)」の思想と音楽的に対応している。Ahmet Özhan『Aşk-ı Mevlana』(1995)ではオーケストレーションが加わるが、彼の低音朗誦は伝統的な形式を保つ。Mercan Dede『Nar-ı Cehennem』(2004)は逆に、ネイをエレクトロニカのシンセ・パッドの中に埋め込む現代的処理で、伝統素材と現代技術の共存の可能性を示す。アレヴィー派儀礼のsazは、メヴレヴィーとは全く違う響きを持ち、より草の根的で反復的なリフレインが主軸となる。
発展
1954年、ケマル・アタテュルクの死後、政府はメヴレヴィー旋回を「無宗教的な民族文化遺産」として観光的に再公開、コンヤのメヴラーナ廟前で毎年12月(ルーミー命日Şeb-i Arus)にsema儀礼が公開されるようになった。1970年代以降、Kudsi Erguner(1952年 ディヤルバクル生)がパリを拠点にメヴレヴィー音楽の代表的なネイ奏者として国際的認知を獲得、彼の1990年代の日本ツアーはこの音楽が海外で最も熱心に聴かれた瞬間の一つだった。Ahmet Özhan、Ahmet Şahin、Bekir Sıdkı Sezgin、そして2000年代以降はMercan Dede(ネイ+エレクトロニカ融合)が新しい層を開いた。UNESCOは2008年、メヴレヴィー旋回儀礼を無形文化遺産に登録した。
出来事
- 1273: ルーミー没(コンヤ)
- 1925: テッケ閉鎖令
- 1954: メヴレヴィーsema再公開(コンヤ)
- 1975-: Kudsi Ergunerパリ拠点で国際活動
- 2008: メヴレヴィー旋回、UNESCO無形文化遺産登録
派生・影響
Sema-mevlevi(旋回儀礼)は本ジャンルの中核サブセット。アラブのQawwaliとは兄弟関係(いずれもスーフィー声楽)、トルコ古典音楽とはマカーム体系を共有。
音楽的特徴
楽器ネイ(縦笛)、クドゥム(小型ケトル・ドラム)、ボゥタルナ(タンブール)、時にケマンチェ、ウード、アレヴィー派儀礼ではバーラマ(サズ)、独唱と合唱
リズム自由律のタクスィム、定型律のusul(トルコ古典の拍子体系)、Semaでは10/8のdüyek型が中心
代表アーティスト
- Ahmet Özhan
- Mercan Dede
代表曲・古典
Ney Taksim in Hicaz — Kudsi Erguner (1990)
Aşk-ı Mevlana — Ahmet Özhan (1995)
代表曲・現在
Sufi Dreams — Mercan Dede (1999)
Nar-ı Cehennem — Mercan Dede (2004)
日本との関係
Kudsi Ergunerの1990年代の日本ツアー(具体的には1992年、1996年頃の記録あり)は、トルコ・スーフィー音楽が日本で最も熱心に聴かれた瞬間の一つだった。京都、東京、大阪の宗教施設や大学のホールで小規模の公演を行い、日本の禅仏教/瞑想文化との親和性を主題にした対談も残されている。Mercan Dedeは2000年代以降、Fuji Rock Field of Heaven、WOMADなどのフェス回路で日本に出演、より若いワールド・ミュージック層に届いた。禅の呼吸法とネイの息継ぎ、瞑想音楽としてのメヴレヴィー旋回の共通性は、日本の一部の思想界(河合隼雄、井筒俊彦らの中東思想研究の系譜)で継続的に議論されてきた。
初めて聴くなら
最初はKudsi Erguner『Ney Taksim in Hicaz』(1990)、ネイの息継ぎと自由律の即興が最も明快に体感できる。次にMercan Dede『Sufi Dreams』(1999)、伝統素材と現代エレクトロニカの融合の入口。より現代的な文脈で聴きたければMercan Dede『Nar-ı Cehennem』(2004)。深夜、部屋を暗くして、ヘッドホンで他の音を全部消して聴くのが本来の作法に近い。ルーミーの詩(井筒俊彦訳や田村道美訳)を並べて読みながら聴くと、詩と音の対応が浮かび上がる。
豆知識
1925年テッケ閉鎖令は、共和国の世俗化政策の最も強い措置の一つで、トルコの宗教音楽継承路を公式には切断した。しかし1954年のメヴレヴィー旋回再公開は「文化財」としての枠組みで、宗教儀礼としては今も公式には認可されていない、という宙吊り状態が続いている。コンヤのメヴラーナ廟は世俗の博物館としてオープンだが、隣接のsemaホールでの公演は「文化イベント」の名目でしか行えない。Kudsi Ergunerは1975年にパリに移住し、それ以降トルコ本国よりも欧州(特にフランス)を活動拠点にしてきた。彼の家系は9代続くネイ奏者の家で、父親のUlvi Erguner、祖父のSüleyman Erguner IIも著名なネイ奏者だった。Mercan Dedeの本名Arkın Ilıcalıは、彼の弟が有名なTV司会者Cem Ilıcalıだったこともあって、トルコでは家族としても知られている。
